5 第70話 権力者の報い

 風が流れる。

 美しい花々を咲かせる枝で、小さな鳥が歌う。

 木漏れ日の降り注ぐ、夢のように美しい庭園に瞳を細める。

 そして長い長い沈黙の後、サナトは肩を落とし、大きく息を吐いた。



「妖魔になったザビリスを倒し、その歪みや澱を戻す時……過去を見た」


 寄り添う者も居ない暗く大きな屋敷の中で、幼い頃から領主となるために、ザビリスは厳しく躾けられていた。たった一人の味方である弟と遊ぶこともままならず、事故による大怪我ですら心配するような言葉は無く、叱責を受けるだけに終わった。

 弟の死すら、不審の目を向ける元になったのだ。

 魔法をうまく扱えなかったザビリスは、やがて力だけに執着して暴力を振るうようになっていった。それを「仕方がない」とか「可哀想かわいそうだから」という言葉で終わらせることが、サナトにはできない。


「俺は、ザビリスのような奴が嫌いだ。穏やかに暮らす者たちの場所に無理やり侵入して、穢し、欲に駆られて暴力を振るう。俺はそういうやからが許せない」


 エスカニオが頷く。


「けれど……」


 人としての形を失い、全てが灰となっても、ザビリスは孤独だった。

 恨みと悲しみ、虚しさと怒りが押し寄せる。

 あの時の感覚が蘇る。


「けれど……ザビリスのことを悪く言われるのは、嫌だ。その理由は俺にも分からない」


 やはりどうしても、この気持ちをうまく言葉にすることはできない。

 ただ、哀しいと思うだけだ。

 そして同時に、背中から抱くレラの温かな腕の感覚を思い出す。

 一人きりではない。孤独ではない。というぬくもりが、サナトの中に残っている。一歩間違えれば、サナトもザビリスと同じ運命をたどるところだったと自覚している。

 エスカニオが大きく息をついた。


「よかった」

「えっ?」

「最後に一人でも、ザビリスに対して、そう言う者が現れたことに」


 哀しそうな笑みを向ける。


「南と西、隣接する領土を預かる者同士、私は、ザビリスが子供の頃から知っています。その父親の気性も、最期となった魔物討伐に向かう直前の姿も」

「では……」

「先代領主は自身が魔物化していく焦りや苛立ちを、子息に向けていました。私もずいぶんいさめたのですが、力及ばなかった。そしてその後始末をサナト殿に負わせることとなった。真に、申し訳なく思っている」


 エスカニオは静かな声で謝罪した。

 サナトが見たザビリスの記憶の中にエスカニオの姿は無かった。

 ザビリス自身が意識していなかったのか、サナトにそこまで深い記憶を見る力が無かったのかは分からない。どちらにせよ、あの冷たく厳しい者たち以外に、ザビリスを気遣う者はいたのだ。

 エスカニオはぬるんでしまった卓子テーブルのお茶に口をつけて、更に続けた。


「今回の出来事を、エルネスト殿下は重く受け止めていらっしゃいます。アントーニア殿下から詳細をお聞きし、真の脅威は魔物や魔獣ではなく妖魔なのだと。更にその対策にも動き始めています。これほど混乱をきたしてしまったのは、正しい魔法の在り方をないがしろにしたためなのですから……」

「それは、戦争で強制的に魔法を使わせるため、誤った魔法を流布したから、か?」

「ええ、そうです」


 エスカニオは強い声で頷いた。


「権力者は、時に人民を制御するため、嘘の情報を流す。我々は今、その報いを受けているのです」


 息を詰めて見つめ返す。そしてサナトは腕を組み、視線を落とした。

 広大な森の中の小さな里で育ったサナトにとって、溢れるほどの人がひしめく「国」というものを取りまとめる、それがどれほど困難なことなのか想像がつかない。ただ真実だけを語れば全て上手くいったのか……と言えば、違うような気がしてならない。


 無闇に妖魔の恐ろしさだけを流布したなら、人々の心をめるのは不安と恐怖だけだ。

 明日をも信じられなくなる虚無だけだ。

 その恐怖や疑念が新たな歪みや澱を生み出し、積み重なれば妖魔へと変じかねない。だからこそ民に妖魔の真実を伝えるのは、魔拯竜ましょうりゅうの存在と救いがあることも、対で示さなければならないのだ。


「報い……か……」


 時は戻せない。

 サナト自身は「嘘」をつくことが嫌いだし、取り巻く精霊たちを見れば相手が「嘘」をついたかどうか見極めることもできる。

 エスカニオはサナトに嘘を語っていない。

 それでも、この違和感は何だろうと思う。


「城の者たちは……真実、妖魔の存在を知らなかったのか?」


 エスカニオの口の端が上がった。


「エルネスト殿下を始めとした、アントニエッタ様とアントーニア様はご存じなかった・・・・・・・

「現王は?」


 静かに、エスカニオはサナトを見つめ返す。


「エルヴィン陛下のお心を推し量るなど、私にはできない」


 アーニアの姉姫アントニエッタは、昔、ベスタリア王国現王エルヴィンの指示で、王妃である母親と強制魔法について調べたことがあると言っていた。本人は昔のことで詳しく記憶していない・・・・・・・・・・と言っていたが、国王と亡くなった王妃は、妖魔の存在とその危険性や対処法を知っていたのではないだろうか。

 知っていながら、次期国王であるエルネストにも明かしていなかったことになる。

 その理由こそ推し量ることはできないが、国王エルヴィンは、吟遊詩人の迫害や盗まれた古書や魔法書など、今は点としてしか見えていないものを繋げる存在なのでは……とサナトは推測した。


「どちらにせよ……王子らが妖魔の存在を知ることとなった今、やはり盗まれた古書や魔法書を見つけ出すことも急務だな」

「ええ。そのことでひとつ、情報があります」


 エスカニオが厳しいまなざしでサナトを見つめながら、続けた。


「古書を奪われ、陛下自らダウディノーグ王国に足を運ばれた話は、エルネスト殿下から伺っているでしょう?」

「ああ」

「ダウディノーグに古書は届いていない。ということが判明しました」


 サナトは息を止めるようにエスカニオを見返し、問う。


「燃やされるなど、既に現存していないという可能性は?」

「それはありません。幾つかの古書には守りの魔法をつけています。破損等すればそれと分かる。そしてこの城より西の方にある、ということだけが分かっています。既に少なくない人員を投入して、捜索は進めているのです」


 サナトは、ううむと唸るようにしてあごに手を当てた。

 エスカニオが本当に話したいことは、このことだったのではないだろうか。


「俺に、その古書を探してほしいと?」

「サナト殿にはさねばならないこともあるでしょう。ですから、探し出してほしいとは言いません。ただこれより西を旅して手がかりとなるものを見聞きしたならば、ベスタリアの信頼の置ける者に伝えてほしいのです」

「信頼の置ける者とは誰だ?」

「是非、アントーニア殿下に」


 ふ、とエスカニオが笑みを見せた。

 人好きのする静かな学者風ではなく、民と国土を取りまとめる領主の笑みだ。


「それは、ベスタリアの王女を連れていけと言うことか?」

「連れていって欲しいのではありません。アントーニア殿下が護衛として、貴方について行くのです。これは既に、エルネスト殿下ともお話して了承を得ていることです。お許しいただけますかな?」


 王女の従者として導くのではなく、王女がいち旅人の供として付き従うなど、世俗に疎いサナトでもあり得ない話なのだと想像できる。

 仮にそれは置いておいたとしても、サナトは一人で旅をしているわけではない。


「レラにも聞いてみなければ、答えられないな」

「では、大丈夫ですね」


 すでに根回しは済んでいるということか。

 この西の領主は食えない相手だと、サナトは思った。

 どちらにしろ、西方ダウディノーグ王国に向かい妖魔の現状を把握しなければならない。場合によっては魔拯竜を見つけ出すまでの、時間稼ぎが必要だろう。戦力のある者たちとならば、旅の危険度は下がるのも事実だ。


「レラが了承しているのなら、俺の反対するところではない」

「よかった。もちろん我が西の領土内を行く間は、できるだけの援助をさせて頂きます」


 そう答えた所で、様子を見計らったかのように王城付きの治癒魔法師であるハイノが訪れた。


     ◆


 別れの挨拶を交わし、領主は静かにその場をしていく。入れ替わりで東屋あずまやに訪れたハイノは、手慣れた動きで腕などの火傷やけどの痕を確認し、新たな包帯を巻いて診察を終えた。


「城を出立しゅったつするのはいつ頃となりますか?」


 エスカニオが話していた内容には一切触れず、端的に問う。次の目標が定まれば、いつまでも立ち止まっている者たちではないと理解しているようだ。


「そうだな……レラに確認してからとなるが。明日にでもと俺は考えている」

「本当に……」


 一度言葉を切ってから、苦笑いを浮かべつつハイノは言う。


「本来でしたら絶対安静を言い渡すところですが、このように回復しているのですから、私がお止することはできません」

「治癒魔法師がそこまで言うのなら心強い」

「でも、この夏の間は腕の包帯を続けて下さい。薬もですよ。正直強制魔法でもこれほどの治癒はそうそう無いことです。魔法の力を借りたとしても、怪我の状態によっては完全に治癒することが難しいのですから……」


 そう言って、ひとつ溜息をつく。

 ハイノはしばし逡巡しゅんじゅんするように視線を巡らせてから、サナトに顔を向けた。そして、「ご本人が告げてほしいと仰ったことですので」と前置きしたうえで、静かに話し始めた。


「先日、お会いしているかと思います、近衛隊長ユルゲン・フォン・シュタイン様は、五年前の魔物との闘いで生死を彷徨う怪我を負い、一命は取り留めたものの、かつてのように剣を握れないお体になったお方です」


 サナトは視線を厳しくした。だから隊を代表する者との手合わせは、隊長のユルゲンではなくファビオだったのだ。

 治癒魔法師として、口惜しそうにハイノは続ける。


「魔法は万能ではありません」


 それはサナト自身がよく知っていることである。

 それでも未来ある青年に対して、ハイノは言わずにはいられない。


「サナト様は、既に、魔人化が始まっています」


 息を詰めて見つめ返す。

 サナトの体を診た治癒師が気づかない筈がない。昨日の朝、ハイノが診察に来た際にそのことを口にしなかったのは、周囲に人が居たせいだろう。


「他に知っている者は?」

「同席しましたジーノ様とニノ様、そしてアントーニア様とエルネスト殿下にもご報告しております。いずれダウディノーグ王国にります、エルヴィン陛下のお耳にも届くでしょう」

「レラは知らないんだな」

「今は」

「そうか……」


 光に溢れる庭園へと、サナトは視線を向けた。


 レラならば外見が変っただけで態度を変えるような娘ではないだろうが、サナトが人としての意識を保てなくなったなら、安全のためにも距離をとった方がいいことは覚悟している。

 遠からず、サナトは人の姿を失うだろうことは、深淵の森の大社でレラも聞いている。いつまでも気づかれずに済むことではない。問われれば包み隠さずに話すだろう。

 だが、今、敢えて告げる必要は無い。


 告げたくは無いと思う気持ちが、サナトの内をさいなんでいた。






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