5 第71話 灯火の光と影

 王城の治癒魔法師ハイノの診察を終えて書庫に戻る頃には、既に夕食の時間になっていた。

 サナトが退室した後、皆それぞれにもう一度、手がかりとなる書物は無いか探していた。だが目ぼしい収穫は無く、サナトも西の領主エスカニオとの話を掻い摘んで伝えた後、レラの了承を得て明日の出立しゅったつを決めた。


 夕食を終えて部屋に戻ると、既に夜のとばりが下りていた。

 祭の夜を彩った花火は前夜祭だけの特別で、災厄を祓う意味合いもあったらしい。王都全体が沸きたつような大きな式典は日暮れまでに終えたのだと、今日一日、街の警護に当たっていたファビオは駆けつけた夕食の席で話していた。

 それでも街の灯りは空の星より多く、明け方まで消えないだろう。

 興奮冷めやらぬ気配が、今もあちこちの広場や店先から流れるがくとなって風に乗り、響いている。


「やっぱり、お祭りに行きたかったのではないのですか?」


 小さな露台バルコニーの窓から夜の街を眺めるサナトの隣に立ち、レラが微笑みかけた。


「昨日はずいぶん楽しそうでしたし」

「楽しかったが……また、あの苦い酒を飲まされてはかなわん」

「ふふふふっ……」


 肩を震わせる。

 夕食の席での話を思い出したのだろう。

 サナトの回復は精霊の守護による奇跡の賜物たまものか、でなければ特異体質なのではと口にするハイノだったが、別れ際、しっかり傷の煎じ薬となる薬草の追加を用意して、迎えに来た召使いに渡していた。

 薬草はそのままレラの手に渡り、うっかり置き忘れたことには出来なさそうである。


「ハイノ様の煎じ薬も、頑張って飲みましたものね」

「明日の朝には、出立だからな」


 アーニアは、サナトやレラの気が済むまで書庫の書物を調べていてもかまわないと言ったのだが、おそらくこれ以上長居しても、竜や魔法、妖魔に関する古書は見つからないだろう。

 ならば西の領主エスカニオが言うように、西方ダウディノーグ王国に向かう道すがらで、奪われた古書の行方を探す方が実りがあるかもしれない。


「そう言えば、レラ……」

「はい」

「俺が眠っている間、西の領主と話をしていたのか?」


 ダウディノーグ王国までの随伴ずいはんとなるかは分からないが、アーニアたちがサナトたちの旅に同行するむねを、事前に話していたという件だ。


「話……というほどのものではありません。ただ、今後西に向かうのであれば危険も多くなるので、警護の者をつけた方がよいとご提案は頂きました。それがアーニア様であれば、同性同士、心強いだろうということも」

「それで?」

「サナト様がお許しになるのでしたら、私は、構わないと……」


 握る両手を胸に添えてサナトを見上げる。

 余計なことをしたかと不安になったのだろうか。


「いけませんでしたでしょうか?」

「いや。今後の旅路を考えるならば、腕の立つ者たちが供につくというのは心強い」


 窓から部屋へ振り返ると、ナギは早々と広い寝台ベッドの上で寝転がり、のんびり手足を伸ばしている。

 サナトとナギがいれば、自身も精霊の声を聞き留めるレラとムーを守りつつ旅を続けることも難しくはない。それでもこのような提案があったということは、何らかの精霊の導きなのでは……とサナトは考えた。


「西の領主から、俺たちが行く道筋に盗まれた古書があるかもしれない、という話を聞いた」

「古書を、探し出してほしいと?」

「そうは言わなかった。直接には、な」


 苦笑する。

 やはりレラには話していなかったのか。事前に話をすれば、レラは迷うと思ったのだろう。

 竜を探し、妖魔の対処が急務だと言っている所に、手がかりとなるかもしれない・・・・・・本が行く先にあるとなれば、そちらに寄りたくなる。

 場所が判明しているのなら、寄り道もやぶさかではない。だが、ダウディノーグ王国より手前、であったとしても「城より西の方」ではあまりに広すぎる。深淵の森で、たった一つの石ころや木の葉を見つける様なものだ。

 サナトは寝台ベッドのナギの側に腰を下ろし、ううむ、と唸る。

 そんな姿を見つめるレラは、胸に手を当てたまま声を掛けた。


「サナト様……どうぞ難しく考えなくとも。それこそ必要があれば、精霊が導いてくださるのではないのですか?」


 蝋燭ろうそくの、温かな明かりを受けながらレラが微笑む。


「竜も妖魔も重要ではありますが、精霊の言葉から耳を遠ざけては大切なものを見落としてしまいます。私は……精霊の導きでサナト様と出会えました。一見遠回りになるようなことであっても、それは必要な道筋なのかもしれません」

「レラ……」

「ですから、どうぞ気を急いたりならないでください。まして無理を通して怪我など――」


 腰に手を当て「だめですからね!」と、念を押す。

 その様子があまりに可愛らしくて、サナトは思わず噴き出した。


「何が可笑しいんですか!?」

「いや、別に……なにも……」

「笑ってます!」

「笑ってない」

「嘘です。笑っています!」

「わふっ!」


 二人がじゃれていると思ったのだろう。サナトの背中からナギがのしかかってきた。そのまま寝台ベッドに倒れ込む。


「わふっ! わっ!」

「ふふっ、一緒にくすぐってしまいましょう!」

「おんっ!」

「やめろぉ!」


 二人と一匹でもみくちゃになる。

 そこに、扉を叩く音が響いた。

 慌てて起き上がったレラは居住まいを正して、扉の方に駆けて行く。ナギはサナトの上に乗ったまま、顔を上げ尾を振った。

 訪問してきたのは司書のトーニだ。扉で一度うやうやしく頭を下げてから、一言二言、レラに声を掛ける。そして続いて入室してきた召使いが押してきたのは、何冊もの本を載せた台車だった。


「サナト様、本が届きました!」

「本?」

「アーニア様が特別に本を貸し出してくださったのです。もちろん、守りの魔法を施しておりますから、王城からの持ち出しは厳禁、とのお話です」


 サナトも寝台ベッドから下りて扉の前に向かう。

 トーニはサナトにも丁寧に会釈をしてから、説明した。


「レラ様から、サナト様が熱心にご覧になっていました地図を、もう一度ゆっくり見たいのでは、と伺いまして。一夜限りではありますが、お持ちしました。明日引き取りに参りますので、それまでゆっくりお読み頂ければと思います」

「それは、助かる」

「これから長旅になるかと思います。現在の最新の地図はここまで精密ではないのですが、合わせてお持ちしました。お役に立つのでしたらさいわいです」


 そう、にこやかに告げて、トーニと召使いたちは部屋を後にした。

 寝台ベッドの上では、つまらなそうな顔のナギが「くうぅーん」と声を漏らして尻尾をぱたりと倒す。そのままふて寝でもするように寝転がってしまった。

 苦笑したレラが、サナトを見上げる。


「不要な手配……でしたでしょうか?」

「いや、ありがたい。当然持ち出しはできないだろうから、覚えられる限り記憶しておきたいと思っていたところだった」

「そうでしたか」

「……それより、本当に明日、出立していいのか? レラの方こそ、まだ色々と調べたかったのでは?」

「いいえ」


 微笑みながらレラが首を横に振った。


「もう一日、と言ってしまったら、更にもう一日、もう一日と際限が無くなります。どこかで見切りをつけなければ。さ、時間を有効に使いましょう? 先ほどの召使いの方が、飲み物なども置いて行ってくださったのです」


 トーニと話している間に卓子テーブルを整えたのだろう。

 頷いたサナトは飲み物で本を汚さないように気をつけながら、古い地図を開いた。


 ベスタリア王国が描かれたローラスティア大陸。クーライ大連峰の麓にあるクタナ村は小さすぎるせいか記載されていないが、そこに暮らす人々の顔はありありと思いだせる。

 オレグ村長や優し気な婦人、声聴きの婆グルナラと気さくなムラト。少し生意気そうな口調で意地を張っていた獣人の娘オリガは、今頃何をしているだろう。

 テーブルを挟んだ向かいの椅子に腰を下ろしたレラも、幾つかの本を広げる。その中から気になるものを見つけては、備忘録に書き写していた。


 窓からは穏やかな初夏の風が流れる。

 淡い蝋燭ろうそくの明かりが揺れる。

 夜風にのったがくの音が、思い出したように耳朶じだに触れる静かな夜。

 次第に真剣になっていくレラの青い瞳を見て、サナトも、この心地よい時がずっと続けばいいと、柔らかく瞳を細めた。


     ◆


 その同じ頃、王都アルダンの街外れにある屋敷で、二つの影が不穏な気配を漂わせていた。


 一人はみやびな椅子で鷹揚おうようにかまえた鎧の女騎士であり、血のように赤く波打つ豊かな髪を豪奢ごうしゃな鎧の胸元まで流している。

 鎧の意匠デザインは非常に凝った物で、大昔に奇跡の業物わざものを生み出したという鍛冶師、石の人いしのびとの一品だと言えば、誰も疑わないだろう。数多あまたの魔法で守りを施しているだろう鎧には、ただの飾りでは無いことを示す小さな傷が幾つも走っていた。


 あでやかな女騎士はゆったりと足を組み、赤い唇を笑みの形に刻みながら、妖しく輝く紫の瞳を細める。

 薄暗い部屋に置かれた乏しい蝋燭の明かりの中、もし心の弱い者が対峙したならばたちまち冷や汗を浮かべ、震えながら平服しただろう。

 けれど今、女騎士の前で片膝を折るのは、決して意志薄弱な者ではない。

 眼前の女騎士よりも強い覇気を纏った長身の男だった。


 簡易鎧に紺藍の外套という、ともすれば王城の近衛騎士とも見える姿ながら、僅かな所作や携えた剣の柄や鞘のこしらえを見れば、並みの剣士ではないと知ることができる。その男が青みがかった灰色の髪の下、彫りの深い目元の奥で緑の瞳を向けた。


「そうか、古書は城の西にあると。だが……王国には届いていないぞ」

「荒野か山脈か……はたまたどこぞの森か遺跡にでもあるのだろう」


 男がどうでもいいような声で答えた。

 赤い唇が笑みになる。


「ずいぶんと、大雑把ではないか」

「単に持ち出しさえできればいいはずだ。中身に興味は無かろう?」


 男は膝を折って礼をしていたにもかかわらず、口調はまるで対等な者のようにも聞こえる。そして女騎士は、男の所作を無礼と言ってとがめなかった。


「そうだな。王子のめいは、古書や魔法書を失わせよ、というもので、我が手元に持って来いと言うものでは無かった。だが……下手な場所に捨て置いては、良からぬ者の目に触れないとも限らない」

「ケルバー卿が抱えているのならば、心配ない」

「奴はどこに?」

「さぁ、消えたそうだ」


 女騎士は、くっくっ、とくぐもったわらいを漏らす。

 そして斬り捨てる様な眼光で男を見た。


「西の領主が方々に古書の行方を追わせている。先にりかを見つけろ」

「手はずは済んでいる」


 男の、先を読んだかのような答えに、女騎士が感嘆の声を漏らした。

 そして笑みの形のまま、女にしては低く響く声で釘を刺す。


「必ず、西の領主より先に見つけるのだぞ。ベスタリアの英雄のエルヴィン国王を五体満足で帰国させたければ、な……」


 男の、緑の瞳が細められる。

 そのままゆったりとした所作で去ろうとする背に、女騎士が思い出したような声で呼び止めた。


「それと――大切なことをもう一つ」


 何か、不吉な気配を察したかのように、男は足を止めた。


「先の妖魔との闘いで、珍しい得物えものを持った旅人がいたそうではないか。ケルバーが警戒していた、サナトと言う若造だ」


 男は振り返ることなく、女騎士の言葉に耳を向ける。


「奴が持っている剣の出どころを調べよ」

「調べて何の意味がある?」


 感情のこもらない声が返った。

 女騎士が、弓のように唇の両端を上げた。


「あの剣は、我が王国の国王だけが所持を許されるもの――王剣である」


 ジジ……と音を立てて、蝋燭の炎が歪んだ。

 二人の影が魔物のように壁を這う。


「旅人の持ち物などたかが知れている。どこぞの鍛冶師が腕自慢に作った偽物にせものだろう」

「そうよ、偽物であろう。だが偽物だろうと所持は許さぬ。そして万が一にも本物であったなら、殺してでも取り返さなければならぬ」


 殺気が、鎧の女騎士のそこここから溢れ出す。

 男は無意識に柄へ伸びそうになる手を意志の力で留め、拳を握った。

 女騎士が命じる。


「剣をダウディノーグ王国まで運ばせろ。真偽はそこで確かめる」


 喉の奥を鳴らすように、くっくっ、と嗤う。

 去りゆく男の背に、独り言のような声が撫でた。


「そろそろ姫君を働かせよ。本来の役目を果たせなくなったのだ、そのぐらいはよかろう。近々迎えをよこす。よいな? アンブロジーノ」


 アンブロジーノと呼ばれた男は、何も答えないまま女騎士の元を去った。






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