5 第66話 運命へと導く書庫

 落ち着かない様子で食事を待っていたレラは、到着したサナトたちに安堵あんどを浮かべたかと思うと、直ぐに呆れたような顔になった。


「食事時には戻ると言って出たぞ」

「ええ、部屋にいらしたお世話の方からお聞きしました。けれど――」


 ひょいと手を伸ばし、髪についていた草切れを取る。


「いつまで経っても帰って来ないのですもの。アーニア様とご一緒とは知りませんでしたから、迷子になったかと思っていました」

「レラではあるまいし」


 と笑って言うと、「私も迷子になどなりません!」と口を尖らせて言い返す。

 いつものレラだ。

 泣いていたのかと思った目元は、もう赤くない。

 食事の席は他にニノとジーノが同席しており、ファビオは朝から市街警備の応援に行っているのだという。アーニアが、今日は祭りに行かず書庫で調べものをしたいと言うと、先を見越していたニノは、既に司書らに準備を申し付けていると答えた。


「後で……おそらく午後にでも時間を見て、治癒魔法師のハイノさんも来ると思います。魔法に関しては、口伝で師匠から受け継いだものもあるようですし、サナトさんの具合を診たいと言ってましたから」


 人手は少しでも多い方が探しやすいだろうから、ありがたい。

 その後、改めて書庫の現状報告を受けて、食事を終えた一同は目的の部屋へと向かった。


     ◆


 城の北側にある、地上を遥か下に望む高い階層の廊下は、以前、訪れた時と同じように静かな佇まいの中にあった。

 けれど今回は少し印象が違う。

 晴れ渡った青空ということもあって、廊下に降りる光が眩しい。風を流す為だけの小さな窓でも、頑強で無骨な造りの壁や廊下の隅々を見通すことができた。

 その中で、以前に来た時と同じように扉の前で待つ者たちがいる。

 書庫の警護をしているのだろう衛兵と、長衣に膝丈の上着を来た、二十代終わりと思われる細面の司書が頭を垂れる。その面々を眺めて、先頭を歩いていたアーニアが声をかけた。


「ケルバー卿は不在か?」


 言われて司書は衛兵らと顔を見合わせた。

 ヴィリ・デ・ケルバー。三日前のザビリスと戦うことになる前、朝の食事の席に書庫で起きた問題を知らせに来た城付きの家臣だという城伯だ。。

 控えていた衛兵の一人が答えた。


「ケルバー様はお屋敷の方にお戻りになっており、本日はまだ城に上っておりません」

「そうか。まぁ……先日の騒ぎで憔悴しょうすいしていたと聞く。後で本日の報告を兼ねて様子を見てくるよう、使者を送れ」

「はっ」


 短い返答に頷くと、アーニアは改めて司書と間に立ち振り返った。


「改めて紹介する。現在ここの取りまとめをしている司書、トーニ・デ・ルーベンだ」

「先日はご挨拶もままならず、申し訳ございません。どうぞ、トーニとお呼び下さい」


 再び軽く頭を垂れる。

 魔法を帯びた紐付きの鍵を、ケルバーより預かっていた司書だ。

 先日は顔などゆっくり見るような状況ではなかったせいか、どのような人物かあまり気に留めていなかった。ただ、あまり顔色がよくないように見えたが、もしかすると元々の肌色なのかもしれない。

 藍鉄あいてつの暗い髪色に、瞳は茶というには緑がかっている。よくよく見れば耳の形が細長く、少し変わっていた。獣人とは違うようだ。

 サナトの視線に気づいたトーニは、人好きのする笑顔で続けた。


「私は北の出身なのです。祖は、深淵の森の更に北であったと聞いております」

「そうか。俺は自分の生まれがどこか知らない上に、ずっと森の中で暮らしていた。これほど多くの人と会ったことは無かったから、何を目にしても物珍しい。不躾ぶしつけだったなら謝罪する」

「いいえ、この顔立ちはこの辺りでも少ないので」

「俺の瞳もかなり変わっているだろう?」

「伝承に、人とは違う金の瞳の種族がいると聞いたことがあります」


 自嘲じちょうするように言うサナトに、トーニは嫌悪など欠片も無い声で答えた。今まで、この瞳のことについて知っている人はいなかったから、思わずサナトが訊き返す。


「伝承に?」

「子供の頃のことです。吟遊詩人の詩に」

「さぁ、ここで立ち話をしていては時間がもったいないではないか。先ずは中に入ろう」


 アーニアの声に、司書は頭を下げて扉に向き直った。

 レラから、扉に掛けられていた強制魔法や書庫内の妖しい気配は、ザビリスの一件の際にまとめて戻して・・・しまった様だと聞いていた。その言葉通り何の抵抗も無く扉の鍵が開く。そのまま躊躇ちゅうちょのない様子でアーニアが取っ手を回すも、不審な様子は無い。


「大丈夫のようだな」

「うむ」


 サナトの呟きにアーニアが頷く。

 側のナギも不穏な気配は感じていないのか、特に警戒する様子も無く首を傾げていた。

 扉を押し開ける。

 重い音を響かせて開いた向こうは、時が止まった、厳かな気配漂う空間だった。


     ◆


 高い天井の部屋である。

 古い紙とインクの匂い。外の眩しさを感じさせない、細く長い窓の明かり。

 左の壁と、奥の三方をぐるりと囲む棚の材質は胡桃くるみだろう。永い年月を感じさせる濃い茶色の本棚が、通常の二階部分に相当する吹き抜けの天井近くまで続いている。

 手の届かない箇所の本は、梯子はしごを使うようだ。

 左手の本棚には横移動できるよう絡繰からくりを施した梯子を備え、奥には細い階段があった。部屋の凡そ半分を占めるだろう中二階ロフト部分に窓は無く、くしの歯のように整然と並ぶ本棚があった。


 全体的にはサナトたちが寝泊まりしている部屋の、倍……いや、三倍ほどの広さがある。

 窓に近い方の部屋の中ほどには、天板が手前に向けて斜めとなった机が幾つかあり、扉から入って右手、暖炉のある煉瓦れんがの壁側には一つの大きな楕円の卓子テーブルと椅子が置かれていた。

 さすがに夏だけあって暖炉に火は無い。

 代わりに遅れて入ってきた召使いが、水差しと幾つかのグラス卓子テーブルに置いた。


 室内が、窓の小さな廊下よりやや薄暗く感じるのは、書物を傷めないようにする処置だろう。他にも、腐敗や劣化を抑えた精霊魔法の気配があった。


「言葉もないか?」


 ぽかんとした顔のサナトとレラに、アーニアは誇らしげな笑みを向けている。


「扉の向こうからも察してはいたが、やはり妖魔を始めとした怪しげなモノの気配は無いな。その後、物音なども耳にはしていないのだろう?」


 ぐるりと部屋の中を眺めながら、控える衛兵に声を掛ける。入室禁止の間も番をしていたらしい兵士は、「物音はございません」と短く答えた。


「うむ。では引き続き警護を頼んだ」

「はっ」


 答えて退出する衛兵が扉を閉めるのを見て、アーニアは皆に振り返った。


「さて、先日兄上が言っていたように魔法に関する書物は持ち去られたままだが、探せば何か手がかりとなるものはあるだろう。各々、自由にやってくれ。不明な点があれば、トーニに尋ねる様に」


 頷き、ニノやジーノが動き出す。

 レラはさっそくトーニに話しかけ、案内する姿について行った。

 サナトはゆっくりと息をついてから、改めて部屋を見渡す。


 深淵の森にも幾つか本を持ち込んでいた森の人がいたし、村人から供えられた物もあった。レラの手記も読んでいる。書物自体珍しいわけではなかったが、あまりに膨大な量に驚きは隠せない。

 ふと、その時、足元に気配がして視線を転じた。

 本棚や机の陰から、小さな親指ほどの精霊がこちらを覗き見ている。浴室にいた草木の精霊に似た者たちは、どこか怯えているようにも見えた。


「お前たちは大丈夫だったか?」


 膝を付き、他の人たちの邪魔にならないよう、声を落として問う。

 姿を視ることができるサナトに驚いたのか、精霊たちは一瞬隠れてから、またそっと顔を出した。


「俺は、お前たちを追い回したりしない」

『見えるの?』

『聞こえるの?』

『暴れたり、しない?』

「大切な物たちが眠る場所で、暴れたりはしない。お前たちはここの守りの精霊だろう? 無事な様でよかった」


 おずおずと顔を出していた精霊たちは、ふ、と笑ったかと思うと、忽然こつぜんと姿を消してしまった。側にいるナギも首を傾げる。

 書庫に何がいたのか、誰がどのような魔法を施していたのか、訊くことはできないようだ。


 サナトは立ち上がり、本の背を眺めながらゆっくりと棚沿いに歩く。

 正直、本が多すぎてどこから探していいのか分からない。ならば気兼ねすることなく司書のトーニやアーニアにでも声を掛けて、目ぼしいものを見繕ってもらえばいいのだが、何故かそのような気も起きなかった。

 人に訊くのではなく、自分にしかできない探し方があるような気がする。


数多あまたの――」


 自然と口を突いて出る。


「数多の書物に宿るよ、今、我が手を引き、運命さだめ至ることの葉へと、導き給う……」


 唄文が終わると同時に、自然と足は薄暗い部屋の奥へと向いた。

 目に見える精霊の姿や言葉は無い。それでもこの身に宿るに導かれるように腕が伸びる。


「これは……」


 古い皮の背表紙に指が触れた。

 厚みもあって大きい、ベルトのついた頑強な作りの本だ。

 棚から引き出し抱えるように持ってみると、どこにも文字らしきものは無かった。深い茶の外装だけでは、何の本か見当もつかない。それでもサナトは迷いなく、重い本を手に手近な机へと持って行った。


 椅子に腰を下ろし、表紙をめくる。

 思うより滑らかな手触り。部屋に入った時よりも、強く渇いた羊皮の匂いがする。

 何もないページをもう一枚、丁寧に捲ると、太くしっかりとした見慣れない綴りの文字が記されていた。指でなぞりつつ文字の形を確かめる。その中に、「大陸」を示す言葉があった。







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