5 第65話 姫としての振る舞い
シャラン、と思うより軽い音を響かせアーニアが剣を抜く。
笑いながら、「私には長剣で挑んでくれよ」と念を押され、ナギと遊んでいた時の短剣は腰に収めた。
月夜でも朝の光の中にあっても、森長から頂いた長剣は、触れただけで切れそうなほどに冴え冴えと煌めく。対するアーニアの剣も、明るい炎を思わせるように清らかな輝きを放っていた。
向かい合い、アーニアが短く「参る」と言うと同時に踏み込んだ。
打ち合う。硬質な鋼の音。
受けた刃で払い押し、踏み込むサナトの足に合わせアーニアが間合いを取る。かと思う瞬間には、踏み込み、低く切り込んできた。
受けて払いを繰り返すも、その勢いすら軽やかな
何より恐れが無い。
「やはり、サナトでは軽くいなされてしまうな」
アーニアが、獲物を狙う狩人のような瞳で笑いながら剣を繰り出してくる。
払い躱すと分かっているからこそ、的確に狙いを定めてくるのだ。
気を逸らす余裕は与えられない。
サナトも同じように口の端を上げ、受けた剣の払いから更に踏み込み、突き入れる。アーニアは半身を逸らして軽く躱したかと思うと、そのままこちらの胸元を狙ってきた。
軽い手合わせのつもりだろうが、簡単に流血ぐらいしそうな鋭さ。
無論、互いに怪我をさせるつもりは無い。つもりは無くとも、敢えて寸止めをするかといえば、あやしい。「このぐらい避けられなかったのか?」とさらりと言って笑いそうだ。
「剣は誰に習った?」
長い髪を躍らせアーニアが問う。
「森の人には、元騎士だった者や兵士が多くいた。入れ替わり、いろいろだな」
「やはり、
「だろうな……」
ひゅっ、と耳のすぐ側を刃先が抜ける。
決して長くは無い黒髪までもが風圧で踊るのを感じ、ぐっ、と腹の底に力を込めた。
次の剣を受ける前にサナトは地を蹴り、大きく振り上げる。歯を食いしばるアーニアは踏み込み、力を溜め、詰めた間合いで下から上へと――重い鋼の音を響かせ、交差する。
「サナトの剣はいいものだ、
「聞かなかったな……」
里の
旅の供にと頂いたことは理解していても、それ以上のことは分からない。
「
「知りたいとは思わないのか?」
「知る時がきたなら、
シャランと、音を立てて互いに一歩離れる。
息が上がるというほどでもないが、深い呼吸で整えた。
「そういえば俺が倒れている間、手入れをしてくれたと聞いた。礼を言う」
「
「剣に?」
「うむ、無暗に触れるなと。レラが間に入って許しを得たようなかたちだ」
苦笑する。
アーニアも精霊の気配を察することができるせいか、精霊のお叱りには驚いたことだろう。
「なかなか、気難しい精霊のようだな」
「俺も叱られた」
「サナトも?」
「これからは肌身離さず、我が良しというまで、決して他人に触れさせぬように――と」
アーニアが声を上げて笑う。
「
サナトは、きょとんとして剣の先を下ろした。
笑いが止まらないアーニアが、「ここまでにしよう」と答えて鞘に戻す。サナトもなにやら気が抜けてしまって、同じく剣を収め、互いに軽く礼をした。
風が踊る。
陽は昇り、城の方からも人々が動き回る気配が届いた。朝の軽い散歩のつもりが思ったより時間をかけてしまったようだ。
アーニアも食事の時間と察して、共に戻ろうと声をかけてから、城へと足を向け始めた。
「ナギ!」
「おんっ!」
アーニアとの遊びが終わったと察したナギが立ち上がり、尾を振りながらサナトの側に駆け寄ってきた。そのまま並んで歩く二人の間に滑り込み、顔を上げ、悠々と歩いていく。
自分を真ん中に、と甘えているのだろうか。
アーニアは笑いながらナギの頭を撫でた。
街の方からは早くも祭りの音楽が風に乗って流れ始めている。アーニアも耳に留めて、サナトに向き直った。
「今日は夏至の本祭りだ。食事の後にでも……また、眺めに行くか?」
「いや、できれば今日は書庫に行きたい」
ここに
サナトの言葉に、アーニアは頷いた。
「分かった。では朝食を終えたら今日は一日調べものといこう」
「お前は行かなくていいのか? 民が待っているだろう」
国を挙げての祭りならば、王族であるアーニアは外せないのではないのだろうか。
昨夜も多くの人に囲まれていた。式典なり何なり、深淵の森でクタナ村の人たちが行っていたような、何か習わしがあるのではないかと、サナトは考えた。
「書庫の閲覧には私を同席させるよう命じていただろう。それに祭りは、兄上と、今年は姉上もいるのだから任せればよい。祭りは好きだし、祭りを楽しむ民と一緒に居るのも好きだが……あの恰好は、一年に一度でいい」
そう言って苦笑いする。
あの刺繍が施された、薄い布を何枚か重ね合わせた白い
祭りの化粧と結い上げた髪を飾る華やかな花々もあって、レラと並ぶアーニアは、共に街行く人たちの目を奪い
「お前も似合っていたぞ」
「当たり前だ、民が心を込め用意した衣服を、似合うように着こなさずして何が王族か!」
胸を張る。
「だが、あの
言いながら、アーニアは笑いながら肩を落とした。
そういうものなのだろうか。
「無理に城暮らしをしなければならない理由は無いだろう」
「理由は……なくは、ない。王族の務めというものは……やはり、ある。これでも姫らしく振る舞えぬことに関しては、申し訳なく思っているのだぞ」
何故、無理に姫らしく振る舞わなければならないのか。
そもそも
アーニアはアーニアにできることを精一杯やっている。ならば、その姿や場所は関係ないはずだ。
「申し訳ないと思う必要は無い。お前がお前らしく振る舞える姿や場所にいることが、一番、いいことではないのか? その為に、お前は努力もしている」
剣を合わせればわかる。
その行為は誇りとしても、申し訳なく思うようなことではない。
だというのに、アーニアの表情は何故か硬い。
「まぁ……周りの声など無視して、私らしくを、通してはいるのだが……」
「ならばそれでいい。何も気にする必要はない」
笑いながら返す。
いつも自信に満ち溢れ、己の行いに一切の迷いは無いように見えたアーニアにも、気にしていることがあったのだ。
「大丈夫だ。もし道を誤ったならば、精霊が止める」
「私はサナトほど、精霊の声を聞き留めることはできないぞ」
「だが、全く気配を感じないわけでもないだろう?」
「うむ……」
サナトの剣の手入れをしようとして、精霊に叱られたと言うぐらいなのだ。明確な言葉として聞き取ることはできなかったとしても、何らかの気配を察することはできるのだろうから。
「お前は、とても精霊に好かれている。今まで民や、この国に息づくものたちの為に戦ってきた全てを、精霊は知っている。そのような者を精霊は決してないがしろにはしないし、これからも守っていく」
アーニアの側を漂う精霊が頷いている。
サナトが深淵の森に息づく全てのものを大切に思っていたように、アーニアにも大切なものがある。それをこれからも、胸を張って守り続ければいいのだとサナトは思う。
「私は……姫らしくなくても、よいのか……」
「お前は、お前らしくあればいい」
ふ、とアーニアが柔らかく微笑んだ。
二人の間で悠然と歩くナギも顔を上げ、「おんっ」とひと吠えしてから尾を振る。と、ちょうどその時、戻りの遅い二人を探していたのか、姿を見つけた召使いが駆け寄り恭しく頭を下げた。
「アントーニア様、皆様がお食事の席でお待ちでございます」
「おお……そうか、ではこのまま向かおう」
アーニアが声を掛ける。
サナトは、散々ナギと芝の上を寝転がり、じゃれ合っていた。多少の土は払ったが、まだあちこち汚れている。森の中での野宿ではないのだから、一度部屋に戻り、せめて顔を洗い直すつもりでいたのだ。
「俺は草切れで汚れている。このままでは……」
「そのままでよい。その方が、サナトらしいではないか」
ニヤリと笑う。
その笑顔は、いつものアーニアだった。
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