4 第51話 強制魔法

 強制魔法は、精霊を無理やり使役して大きな力を現す法である。

 サナトは幼い頃、その存在を知って魔法を嫌った。

 「命を縛るのは嫌だ」と。けれど「そうではない」とさとしたのが森長もりおさである。

 森長は長い黒髪を肩からこぼし、頭の両端から突き出た角を重たそうにもたげながらサナトに告げた。


「魔法とは、命を揺り動かすおもいである以上、必ずふたつの側面がある。光と闇が一対であるように、唄文ばいもんと呪文も表裏一体。どちらか一つだけでは歪みとなる。サナト、光の中の闇を知り、闇の中で光を見つけるためにも必要なのだよ」


 そう静かに告げて「精霊とお話するのも、嫌か?」と笑った。




「……サナト様……」


 レラが、声を詰まらせるように名を呼んだ。

 強制魔法は途方も無い奇跡と共に大きな歪みや淀み、おりをつくる。

 澱は妖魔を生み出す元となり、使い方を誤れば相手や術者の体に溜まる。やがてそれは毒となって蝕んでいく。かつて、「人がそのまま、妖魔になる」とレラに説明したのは、他でもないサナト自身である。


 小鬼のように他愛ない妖魔でも、全身の生気を奪われるような思いをしたのだ。大きな、強いおもいを抱えた相手ならば、一人の力では太刀打ちできない可能性がある。

 それでも。

 今、この場所を、これ以上破壊させることはたまらなく悲しく、許せなかった。

 例え人の姿を失うことになりかねないとしても、自分には関係の無い国であり民だからと、無視して逃げ失せることができない。


「全て戻す。だから、行け……」


 その言葉を合図にレラが離れる。

 ジーノが、他の騎士たちに指示を出し動き出す。

 人々が動く気配を背後に感じながら、大きく息を吸い、誰にも聞かれることのない小さな声で「すまない……」と漏らした。


 自分のことを案じてくれるレラに。

 そして、いつも優しく見守ってくれた、精霊たちに――。




 顔を上げる。

 剣を――森長から頂き、偉大なる力を宿した精霊が守護する剣を水平に掲げ、サナトは妖魔となったザビリスに向かう。


「サナト・アウレウス・セルヴァンスがめいずる――」


 ざわり、と肌が粟立つ。

 世界を巡る精霊たちの正しい流れを、今、サナトのおもいがき止める。


「――ザビリス・ベン・レオネッティを滅するが為――精霊よ」


 剣が鳴動を始める。


「我に、従え」


 大地が、風が、サナトを取り巻く水と火が、音を立て、崩れ、暴力的な力のみなもととなるために再構築されていく。空に暗い雲が湧きたち、渦を巻き始める。雷が天空を走る。

 身が震えるほど膨大な魔法の気配を感じたザビリスは、縦に裂けた赤い口を開き、耳障りな音で嗤った。その足元の石畳が、バキリ、と音を立ててひびを走らせる。

 サナトを中心に風が吹き荒れ、精霊が悲鳴を上げていく。


「裂けよ!」


 大気を揺るがす絶叫から耳を逸らさず、切れるほどに唇を噛んでから呪文を叫んだ。


地の御靈プリティヴィ!」


 名を呼ぶ。

 声と共に大地に手を向ける。

 瞬間、ガゴゴォオ! と音を立てて大地が割れた。

 亀裂に足を取られた化け物は、咆哮を上げて四方に幾つもの手を伸ばす。

 一呼吸にも満たない瞬間に、サナトの呪文が続く。


きざめ!」


 剣を横に薙ぐ。


風の御靈ヴァータ!」


 幾千万もの風の刃が空間諸共切断していく。

 青黒く変色した腕を、切り刻んでいく。

 だが、その肉片から妖魔が湧く。

 襲い掛かる妖魔を紙一重で避け、自らも風の刃を受けながら炎を纏う。


「アドハーの壁! 劫火ごうかに滅すべし、火の御靈マタリスヴァン!」


 周囲を取り囲むように石の壁が突き出た。と同時に天を焦がす炎が化け物を焼き尽くす。真っ赤に燃え滾りながら鋭い爪を伸ばす。

 ガキィィイ! と、鋼と鋼がぶつかり合う音を響かせ、受け、競る。


「ぐぁぁああああああっっ!!」

捕縛ほばくせよ、風の御靈ヴァータ!」


 渦となり化け物の身体を捩じり上げる。

 切り刻む。

 僅かな肉片も余さず灰塵かいじんに変えて、大地に喰らいつかせる。


「がふうぅぅうう、うぅぅう! うぅぅがぁぁ!」


 それでも尚、体を引きずりサナトに向おうとする化け物の上に、輝く矢が浮かび上がっていった。


水の御靈バルヴァルナを導きに――雷の御靈ディヤウスやじり、貫かん!」


 白刃の如く、鋭利な水の刃が幾重にもザビリスを貫き、間髪を容れずに雷が肉を裂く。

 轟音が鳴り響く中、ばっくり割れた体に火柱が立ち上った。

 精霊諸共焼き尽くす劫火ごうかは、大地すら溶かしていく。

 魔法を唱える者の身も巻き込んで。

 それでも――サナトは更に、炎を重ねていった。


「喰わセ……がぁあああああ!!」

火の御靈マタリスヴァン、剣に宿り火炎となりて穢れを灰に、気枯れをに」


 振り下ろす。

 火の柱となる剣が、握るサナトの手や腕をも焼いていく。


ちりとなるまで、滅せ!」


 再生しようとする体を、ことごとく刻み灰塵に帰す。

 燃え盛る炎の中でザビリスは腕を伸ばした。

 その腕ごと、輝く剣は巨躯を貫き、大地に縫いとめる。


「滅せ!」

「がぁぁあああ!」

「滅せ!」

「ヨコセェェエエ!!」

「滅せ!!」

「チカラ……ヲ、喰わせ……ろぉぉ!!」

「滅せよ!!」


 周囲を取り巻く岩盤が変形していく。

 ぐずぐずと、化け物のカタチが崩れていく。


「塵と残らず……滅せ」


 サナトは力を緩めない。


「アァァアア! チカラを、喰わせ……ヨコセ……」


 火の粉が舞う。

 サナトは力を緩めない。


「滅びよ」

「がぁぁあああ!」


 サナトは、力を緩めない。


「サナト・アウレウス・セルヴァンスがめいずる――」


 サナトは呪文を重ね、力を緩めようとしない。


瞑目めいもくせよ」


 おもいで、ザビリスの生命いのちを縛り、斬り捨てる。

 血を流し、焼かれてもなお、力を求めてくる。


「ヨコセ……」


 この執念はどこからくるのか。

 鋭い爪も、腕も、体の殆どを炭のように崩しながら、それでも欲しがる力とは何なのか。人々を恐怖に落とし暮らしを破壊した、その怒りよりも悲しみが大きくなっていく。

 サナトは、目の前の御霊いのちに命ずる。


「逝け、ザビリス」


 断罪の剣で胸を貫く。

 大地から、天に向かい飲み込もうとする腕も体も、サナトに触れる寸前にもろもろと崩れ落ちていく。それを真正面から受け止め、サナトは呻いた。


「もう終わらせろ……」


 終わってくれと、願いながら。

 ぼろり、と形を失い地に落ちる。


「……ヨ、こせ……」


 地に落ちる、命の欠片を見つめ、大きく息を吸った。


    ◆


 肺が、数千の針を飲み込んだように痺れている。

 うつむくと、剣を握る腕が赤くただれていた。


 化け物となった妖魔ザビリスは、灰塵となって広場の地に広がる。だが、空を覆う暗く厚い雲は未だ渦を巻き、風も収まり切ってはいない。

 大地も、微かに震えを残している。

 静寂というにはほど遠い。

 その只中ただなかにありながら、遠巻きに見守っていた者たちが、一人、二人と声を上げ始めた。


「た、倒したぞ……」


 どよめきは次第に歓声となっていく。

 反して、サナトの表情は鬼気迫るままで変わらなかった。

 まだ、なのだ。

 浅く、速く呼吸を繰り返しながら、たった今、ザビリスを貫いた剣を地に向け突き刺す。ガキィン! と響き渡った音に、駆け寄ろうとした騎士たちは立ちすくみ、足を止めた。

 ジーノも、レラやナギですら近づくことができない。


「斬り、燃やしたただけでは……ダメだ」


 形としての妖魔・・・・・・・は灰になった。

 だが、その本体、歪みや淀み、おりとなったおもいはまだここにある。

 妄執に捕らわれたザビリスの諸共、精霊――世界の一部に戻さなければならない。


 サナトが呻く。



「……ここからが、本当の闘いだ」







  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る