4 第49話 妖魔となる

 ナギが低く唸り声を上げる。

 深淵の森で結界を破り、侵入しようとしたザビリス・ベン・レオネッティと初めて遭遇したのは、半月ほど前のことである。尊大な態度で鎧の兵士をけしかけて来た。濁った剣を手に、顔を歪めてわらう男。武具からも、自身の体からも瘴気が妖魔のように取り巻いていた。

 あの時は精霊の声を聴かない者には気づかない程度のおりだった。

 けれど今は違う。人の形を保っているのが不思議に思えるほど、魔法の毒に侵されている。


「何故、森の中で暮らす化け物が、王都の城にいるのだ?」


 侮蔑ぶべつの声にサナトは表情を硬くする。剣の鞘を握る手に力がこもる。

 同時に、このような神聖な場所で剣を抜いてはならないと引き留める精霊の声が、サナトの腕を止め、足を床に縫いとめていた。


「精霊の、導きだ……」

「は! 言い訳には丁度いい、精霊様々だな」


 口を歪ませる。

 大いなる魔法を求めながら精霊を軽んじる。その思考がサナトには理解できない。

 いぶかしむ王子エルネストは、自分より前に出て吐き捨てる領主に低く問いかけた。


「レオネッティ卿、説明せよ」

「こいつが! 深淵の森で我らの邪魔をした、人のように見せかけた魔の化け物たちです。使っても使い切れない程の魔法のみなもとを独占して、いつの日か、このベスタリアに侵略して来ようという魔族だ」


 ザビリスは大仰おおぎょうに手を振って、戸惑う一行に振り向き声を上げた。

 呻くようにサナトは呟く。


「貴様は、自分が何を言っているのか……わかっているのか?」


 魔法とは、生命いのちを揺り動かすおもいだ。

 おもいに突き動かされた精霊や命あるものたちが起こした奇跡が、形となって現れたものだ。精霊を否定した魔法はあり得ない。この男は、魔法が何によって現れるのか知らないのか。


「わかっているとも。お前が邪魔したせいで、俺は魔法の品を持ち帰ることが出来なかった。南の地は腐り、魔物が跋扈ばっこするままになっている。ベスタリアの民が苦しみ続けているのは……お前のせいだ・・・・・・


 支離滅裂だ。

 確かに深淵の森では魔法の威力が上がる。それは、多くの精霊いのちに溢れているという意味であり、広大な森そのものがみなもとである。金塊や宝石のように誰か一人が独占できるものでは無く、持ち歩けるものでも無い


「エルネスト殿下、前々から話していたように、有益な魔法生物や魔法を帯びた希少な品を手にできれば、この国の力となる。今後予想される、多くの脅威にも立ち向かえるでしょう! ダウディノーグも同盟維持といわず、陛下や、いずれ国を受け継ぐ殿下が大陸を支配する日もくるのです!」


 濁った瞳が狂喜の色で輝く。


「東の果ては雪が深い。攻め込むなら今が好機――」

「レオネッティ卿」


 エルネストが静かな声で告げた。


「大地の腐敗と魔物の脅威は看過かんかできるものではない。だが、深淵の森に手を出すことは許されない。森に何が棲んでいようとも」

「殿下……」


 断言するエルネストに、ザビリスは顔を引きつらせる。

 エルネストを囲む一人――おそらくザビリスより十は年上であろう壮年の臣下が一歩前に出て対峙した。

 ザビリスが「バンニステール」と呟く。

 彼が昨夜、エルネストが話し合いをしていたという西の領主だ。バンニステールと呼ばれた者は、たしなめるような声で言った。


「レオネッティ卿、ベスタリア王国は豊富な水の恩恵と引き換えに、深淵の森と不可侵の盟約を結んでいる。建国より千年に渡る誓いを、よもや南の人々は忘れたのか?」


 だが、ザビリスは鼻で嗤って返す。

 顔が……崩れていく。


「バンニステール卿こそ、まさか魔物を、人と同等に扱うつもりか?」


 誰もが目を見張る。

 話には聞いていた。だが、人が妖魔に飲み込まれていく姿を目の当たりにして、誰もが言葉を失う。その中で、サナトは呻くように声を漏らした。


「やめろ……ザビリス。人の形を失うぞ……」


 バキ、ベキ、と生木なまきを割るような不快な音がする。いや、骨が折れる音だ。

 ナギが唸る。サナトは、じりじりと剣の柄に手を伸ばす。

 まるで夜の闇を纏っていくかのように、ザビリスの周囲は歪み、澱を取り込み、人ならざる形に変化していく。


「魔物と――化け物との盟約など守るに値しない。はははは! そうだ、皆、精霊精霊と、目に見えない物をあがめてどうするのだ。今こそ、我ら人が、人ガ……この世界の支配者だと、知らしめる時なの、ダ……」

「ザビリス、どこで何を吹き込まれた!?」


 バンニステールが叫んだ。

 けれどもう、声が届いている様子は無い。

 家臣や駆けつけた衛兵に取り囲まれながら、エルネスト一行は距離を開けていく。その間にサナトが入り、背後に皆をかばう。


「……俺は、ずっと……この国、ノ事ヲ……第一に、考エ……」


 ザビリスの声は、既に人のものでは無くなっていた。

 前のめりになっていく。背中が膨れ上がっていく。

 裂けるほどに大きく開かれた口からは涎のような体液がしたたり落ち、長い舌がはみ出してくる。仕立てのいい衣服が裂け始め、不気味なほど長い、腕が……伸びていく。

 黒々とした爪が鎌の刃のように鋭く光り、床を引き裂いた。


「国ト……民ノ事ヲ、思イ……皆ノ期待、に――」


 ぐるりと、歪んだ顔がサナトの方を向いた。

 醜悪。

 ただ、その一言でしか言い表せない。

 飛び出し零れ落ちそうな眼球は血走り、膨れ上がった背から、骨ばった腕が一本、二本と生え始めていく。高い天井の広間を侵食していくかのように、肉塊にくかいが形を変えていく。


「ザビリス……」


 サナトは深淵の森で、様々な姿になった森の人を見てきた。


 森長のように人の姿を保っている者もいれば、元が人だったのか獣だったのか判別できない程変わってしまった者もいた。

 魔法によって変容した姿は、千差万別だ。けれど皆、悲しみや苦しみ、痛みを抱えながらも周囲のものを傷つけまいとして逃れてきた者たちだった。


 その姿で存在するだけで、人々を恐れさせるから。

 手を振り払っただけで傷つけてしまうかもしれないから。

 そしてそんな姿になっても、己の命を断つことができず、深淵の森へと逃れて来たのだ。だからどんなに異様でおぞましい形をしていても、サナトは彼等を嫌悪することは無かった。

 取り巻く精霊を見れば、誰もが優しい姿をしている。

 なのに今、魔物・・と呼ぶに近い姿となったザビリスは、森の人と対極にある。邪気を振りまく、ただの化け物・・・でしかない。


 これが――妖魔となる、ということ。


 サナトを追って、謁見の間のエルネストの元まで辿り着いたアーニアたちは、眼前の怪物に息を飲んだ。


「兄上、これは何事ですか?」

「南の領主が闇にちた」

「レオネッティ卿が!?」


 愕然がくぜんと呟く声は、アーニアだけでは無い。


「無念だ……」


 国王代理たるエルネスト王子が、剣を抜いた・・・・・。それを合図に、取り巻く者たちも剣を抜く。

 裁決は下ったのだ。


「お前ヲ、喰っタなら……強クなれル……カ?」


 ザビリスだったモノは、ひひひ、と笑って一歩進む。

 元の数倍の大きさに膨れ上がった体と、異様に伸びた首。うすら笑いを浮かべながら、目の下にあった古い傷痕がぱっくりと開き、鋭い歯の並ぶ二つ目の口・・・・・になった。

 もう、ここまで人を姿を失っては元に戻ることは叶わない。

 人の心を取り戻すことも。


 妖魔は、ずるり……と体を引きずりながら、取り巻く者たちを一瞥いちべつして、サナトの方に顔を向けた。濁った眼球で見えているのかどうかは分からない。けれど、深淵の森での記憶が、強い執着を生んでいるようだった。


「……強クなれば……認め、らレル……」

「お前は……力というものを見誤っている」


 ギリ、と奥歯を噛むようにしてサナトが呻いた瞬間、化け物の腕が大気を切り裂き伸びた。と、同時に、腕の中ほどから先が宙を飛ぶ。

 鋭く伸びた爪の先が届く前に、鋭い刃が鮮やかに斬り落としていた。

 ゆらりと、青い炎を纏うかのようにサナトの剣が光る。

 化け物が嗤う。


「あぁ……イタイ、イタイなぁ……」


 切り口から赤黒い粘液のような血がしたたり落ちていく。

 その血から小さな妖魔が、泥の中の泡のようにき始めた。剣を抜いた近衛たちも、顔を引きつらせ足を引く。サナトの剣が輝きを増す。


「……痛めツケテ、喰オう……」


 ぐあぁああ!! と叫び声を上げて化け物が動いた。

 次々と繰り出される腕。

 ナギが跳ねて、唸り声と共に猛然と襲い掛かる。剣で応戦する。それでもすり抜けてくる幾つもの腕を、サナトは姿勢を低く薙ぎ払う。

 剣を守護する精霊が、妖魔の気配に殺気立つ。

 その剣身に指をわせ、サナトは唄文ばいもんを叫んだ。


「火の、剣に宿り炎となりて穢れを灰に、気枯れをに!」

「がはぁぁああ!」


 詠唱と同時に赤い火の粉が踊り、爆炎となって包み込んだ。

 化け物が叫ぶ。

 取り巻く者たちが「やった!」と声を上げた。

 だが――次の瞬間、炭化しかけた腕が四方に伸びた。

 息の根を止めるどころか更に激しい攻撃を繰り出す。エルネストを始め、アーニアや近衛たちが剣で受け止め、払い、斬り落としていく。

 妖魔の動きは止まらない。


「剣が効かないのか!?」


 アーニアが声を上げた。

 全く効いていないわけではない。だが、ファビオやジーノの鋭い剣で切り刻まれても、妖魔となった体から新たな妖魔が生まれ、徐々に数を増やしている。

 斬り落とされ炎で焼かれても尚、執着から生まれるおもいが上回っているのだ。


 ここは謁見の間。

 精霊たちが神聖な場だと告げた場所である。


「くっ……」


 サナトは外に繋がる扉の方に走った。

 化け物が、のそりとサナトの方に顔を転じる。


「喰ウ……喰って……強ク、ナル……ハハハハハ!」


 百足むかでが地を蹴るかのように、駆けるサナトを追う。

 そのまま外へと飛び出した場所は、謁見の間より広さのある門前の庭となっていた。

 風が吹き荒れ、厚い雲を呼んでいる。

 眼下に見える河の水面は波たち、数百年を優に超えているだろう大木のこずえが妖魔の気配に騒めいている。サナトはその広い空間の中央で振り返り、追ってきた化け物に唄文を唱えた。


「火の、土の、水と樹々のの癒し深き。風のやいばに、今はの者の動きを縛り、かいなを奪い、足を食み、身を千に斬らせ給う!!」


 風が裂く。

 地に割れ目が走り、化け物の足を飲み込む。

 サナトの剣に宿る炎は輝く渦となって取り囲む。


「がはぁあああ、ぐぁああ!!」


 絶叫が響き、もがく腕が何本も生えては燃え尽きていく。

 この場、全ての精霊の助力を受けて、形作るを崩壊させていく。これだけの力を叩きつければ、如何いかなる化け物も姿を保つことはできないだろう。

 サナトは息を詰める。

 異様に伸びた首の上で暴れる頭部がこちらを向く。そして、暗く落ち窪んだ眼下のまま、ばっくりと割れた赤い口が――嗤った。


「あぁ……イタイなぁ……」


 切り刻まれ、とうに原形はとどめていない。それなのに、妬み、恨みというおもいに塗れた澱は、正しく戻さない限り、何度でも湧いてくるのだ。


 ざわり、とサナトの背に悪寒が走った。






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