4 第48話 精霊たちの警鐘
足早に廊下を行く。
不穏な気配を漂わせながら行く複数の足音に、すれ違う城の衛兵や召使いたちは何事かと、驚く様にして廊下の先を譲った。
「胸騒ぎの元はこれであったか……」
案内するケルバーに続いて、アーニアが苦々しく漏らす。
「ファビオ、私の剣と共にジーノを書庫まで呼びよせろ」
「はっ」
事態の重さを察したファビオが、いつもの軽い口調と笑顔を消して一行から離れ、階段を駆け下りていく。本人が言っていたように怪我の心配なさそうだ。
アーニアは足を進めながら、ちらりとサナトを振り返った。
「これを予見して帯剣したのか?」
「いや、俺は精霊の声に従っただけだ」
サナトの横を行くナギが、ピリピリとした気配を放っている。
嫌な臭いを感じ取っているのだろう。無意識に剣の鞘を握るサナトは、城を守護する精霊の気配に意識を向けた。今はまだ騒ぎ立てる声は無いが、嵐の前の静けさのようにも見える。
急に風が出てきたのか、あれほど晴れ渡っていた空に雲がかかり始めていた。
◆
ケルバーが案内した場所は城の北側にある棟で、地上を遥か下に見る高い階にあった。廊下は他よりも厚い石の壁とやや無骨な造りとなり、窓は小さく、明かり取りというよりは風を流す為に設けられているように見える。
辿り着いた扉の前には、数人の人たちが待っていた。
その内の一人は司書なのだろう、長衣に膝丈の上着を来た二十代終わりと思われる細面の男であった。他は城の衛兵なのか簡易鎧を身に着けている。それら出迎えた者たちは、アーニアの姿を目に留めて頭を垂れた。
扉はサナトらが泊まった部屋の物よりも大きく、重厚な造りのものだった。
素材は石――いや、鉄だろうか。
眉根を
「こちらが書庫ですか? ……地下ではないのですね」
「ダウディノーグでは地下に書庫を作るのか?」
耳に留めたアーニアが気を引き締めた笑みで返す。
レラは軽く首を振って答えた。
「ダウディノーグの王都ではどうか知りませんが、私の生まれ育った寺院は過酷な環境のため、入り組んだ岩洞窟の半地下にありました。地上は陽射しが強く、風と砂が吹き込むのです」
「なるほど、この城は河に挟まれているからな。逆に地下では書物が痛む。……して、何か感じるものはあるか?」
レラとサナトに問いかける。
それは、アーニアが感じていることの再確認をしているようでもあった。
「強制魔法の気配がある」
険しい表情でサナトは答えた。異変を知らせたケルバーが言っていた、「扉に不自然な封印が施されている」のもとであろう。
アーニアは出迎えた者たち、司書らに顔を向けた。
「昨日、兄上の
「はい……昨夜エルネスト殿下直々にご足労下さり、アントーニア様がいらっしゃるまで入室禁止にするとご命じになられました。ですので、その場で全員が退室しまして、殿下の目の前で鍵を掛けましてからは誰も入室できないはずなのです」
「その後は我らで、こちらの見回りをしておりました」
司書が顔を青くしながら答え、衛兵が続く。
鍵を持っていたのはこの司書なのだろう。何かあれば鍵の所有者が疑われる。
「鍵は……誰かに奪われたりすり替えられてはいないか?」
「はい、ケルバー様に、何か異変があればそれと分かるようにと、魔法をかけて頂いておりました」
「見せてくれ」
アーニアの言葉に司書は首から下げていた紐付きの鍵を外し、恭しく手渡した。
複雑な作りではあるが、一見、何の
「お前たちが見て、不自然なところはあるか?」
「私には……わかりません。サナト様はどうでしょう?」
手渡される。
ピリ、と指先に痺れるような感覚が走った。鍵に宿る精霊は、司書が了承して手渡した者以外、鍵を持ち去ることができない様にしているのだと伝えている。
「そこの者が言うように魔法がかけられている。無理やりこの鍵を奪ったなら、体を麻痺させ動けなくさせるものだ」
「はい、私がかけた魔法はそれでございます」
サナトの言葉に、深い皺を刻んだケルバーが答えた。
ならば、この鍵は使われていない。アーニアは控えている衛兵に顔を向けた。
「窓から侵入されている様子は?」
「確認しましたが、窓が破られている様子はありません」
即答する衛兵に頷きながら、アーニアはサナトから鍵を受け取った。
窓にも不用意に侵入されないよう、仕掛けが施されているのだろう。
「扉に魔法を掛けるだけなら、衛兵の見回りの隙をつくこともできようが、中に入ることは叶わぬはずだ。ここの鍵は、そう易く複製でるものではない……であろう?」
確認するようにアーニアが問う。
汗をかきつつ「そのとおりでございます」と答えたのはケルバーだった。再びアーニアが扉に手を当て向こう側の気配を探る。ややして、鋭い眼差しの目元が歪んだ。
「やはり……気配があるな」
「何者かが入り込んでいるのです」
呟くアーニアにケルバーが呻く。
つい先日、魔法に関する専門の書を持ち去られたばかりだ。誰もが神経質になっている所に再び賊が入ったとなれば、王家の
「ならば多少強引な手を使わせてもらおうか。この程度の封じならば、外せぬことも無い」
取り巻く者たちに一歩、離れる様に言ったアーニアが扉の前に立ち、意識を集中する。
だが、ざわりと肌を撫でる悪寒がして、後ろに立つサナトは声を上げた。
「待て」
アーニアの肩を掴む。視線は真っ直ぐ扉に向けたまま、サナトは眉間の皺を深くした。
扉越しでは分かりにくい。けれど確かに、囁く精霊たちが警鐘を鳴らしている。そして微かな匂い。ナギが頭を低くして呻く。
サナトは扉を見つめたまま、意識を集中させた。
「書庫の中の物音は……
「なに?」
「この澱……妖魔が、湧いているのでは」
ざわりと、取り巻く者たちが更に一歩、離れた。
アーニアの表情が険しさを増す。
「何、だと……?」
「扉の封じは強制魔法だ。それが原因になったのか、他にも仕掛けられた魔法で湧いたのかは分からないが、書庫の中の気配は……人によるものではない」
直接目にしていなくとも、微かな匂い、気配、それらすべてが人ならざるモノだと告げている。そして何より側に控えるナギの表情が、危険な物に対峙しているかのように険しい。
「ならば……」
「下手に扉を開けるのは危険だ」
ここは人里離れた山の中ではない。城にも、城の周囲にも多くの人が暮らしている。
かといって、このままにもしておけない。
どうすべきか重い空気が漂い始めた時、ジーノとアーニアの剣を取ってきたファビオが到着した。既にファビオから最初の報せは聞いていたのだろう、控えていたニノが簡単に状況説明をすると、ジーノも同様に表情を厳しくした。
剣を受け取り、アーニアは顔を書庫の扉に向けたままジーノに問いかける。
「お前なら、何か方法は見いだせるか?」
「魔物――ではなく、妖魔というのでしたら、その性質を見極めなければ下手に手を出せません。単に切りつけて消えるものならば簡単ですが、それだけで収まるとは思えません」
彫りの深い顔立ちのジーノが振り返る。サナトも頷く。
周囲を膨大な本が埋め尽くしているのであれば、火や水、土の精霊魔法は使えない。場合によっては風も難しい。書庫の中にある物を破損させては元も子も無い。
と同時にサナトは考える。
物音の正体が妖魔だとして、これは意図せず湧いてしまった妖魔なのか。それとも意図的に魔法を巡らせ呼び出した、罠……などでは、ないのか。
「ぐぅるるる……」
「ナギ?」
銀狼が毛を逆立て、牙を見せながら頭を低く威嚇する。
だがその顔は、書庫の扉の向こう側ではない。今、歩いてきた廊下の先を睨み付ける。狼の鋭利な鼻が、書庫の中に湧いているだろう気配よりも危険で、良からぬものの匂いを嗅ぎ取ったのだ。
「この廊下の向こうには何がある?」
サナトの問いに、ファビオが答えた。
「この先は西門。謁見の間に抜けます」
「……何か良からぬものが近づいている」
そうサナトが告げると同時にナギが走り出した。続くサナト。
アーニアが指示を出す。
「衛兵、私がよしと言うまで書庫の封じを解くな! 扉の前の警備を厚くせよ。ケルバーと司書はこれを兄上に報告の上、魔法を施した犯人を捜すのだ。ジーノらは私に続け!」
それぞれが短く答え行動を開始する。
サナトの後を追って走り出すアーニアにジーノ。更にニノ、ファビオとレラが続く。風の精霊の力も借りて、サナトはナギと共に石の廊下を抜け、階段を駆け下りていた。
胸が騒ぐ。嫌な予感がする。
複雑に入り組む廊下はやがて調度品の並ぶ優美な装いのものとなり、突き当たり、大きな広間のような所へと出た。
サナトとナギがいるのは三階分の高さになるだろう、広間をぐるりと囲む空中回廊である。階下の左手奥には数段の高さの壇があり、空の玉座があった。
窓から鈍い光が差し込む空間に人の姿は無く、がらんとしている。
「ここが……謁見の間か?」
サナトの呟きを合図にしたように、階下の右手向こう奥にある大きな扉が開いた。
そこから入って来た数人の人影に目を凝らす。
先頭を行く一人は昨日会った、国王の留守を預かる王子エルネストだ。続く数人も、同じく応接室で取り巻く家臣らの中にあった顔である。だがその中に見知らぬ顔と、そして――胸にザワリと、泥を掻いた手で撫でられたような感覚を呼び起こす姿があった。
ナギが唸り、軽々と回廊を飛び下りる。続くサナトも広間の中央、エルネストら一行と離れた場所に舞い降りた。
銀狼を連れ突然現れた青年を前にして、家臣たちはエルネストを
ただならぬ気配にエルネストの表情が険しくなった。そのまま「何事か」と、問いかけるエルネストの後ろから一歩出て、呻くような声を上げる者があった。
「何故、お前がここにいる……深淵の森の若造」
顎髭を生やし土色の
唇の片方だけを歪ませるように上げて笑う顔。はっきりとした
サナトが押し殺すような声で名を呼ぶ。
「べスタリア王国の南方領主――ザビリス・ベン・レオネッティ」
微かに腐臭を放つ尊大な態度の男には、妖魔の気配が取り巻いていた。
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