4 第47話 問題発生

 柔らかな朝陽が、波打つ硝子ガラス窓の波紋を通り抜けて、天井近くの壁に水面のような模様を浮かび上がらせていた。

 森は遠くとも、朝を知らせる鳥の声は響く。

 都のあちこちに植えられた大きな街路樹や、都を縦横に走る川があるせいかもしれない。


 サナトは、そんな朝の部屋の様子を寝台ベッドから眺めていた。

 夜中に何度か、うつらうつらと眠りはした。けれど右と左でぴったりと寄り添って眠る銀狼ナギとレラに寝返りもままならず、かといって押しのけては起こしてしまいそうで、そのままにするうちに朝を迎えてしまった。

 正直、寝不足である。

 けれど……なぜか嫌な気持ちは無い。


 時々ぴくぴくと動く耳や、ふさふさの手触りの尾が足に当たる。レラの長い髪は白い敷き布シーツに広がり、朝陽に輝いている。

 薄紅の花びらのような色の頬。温かく柔らかな肌。甘い香り。

 何の夢を見ているのか、時々、甘える様な声が漏れる。

 自分を慕うものたちが、何の不安や恐れも無く眠りこけている。深淵の森に居た頃のような穏やかで平和なひと時に、言葉にできない安らぎを感じる。


「……あふっ……」


 吐息のような声がレラの唇からこぼれた。

 朝陽の気配を感じた瞼が動き、ゆっくりと長い睫毛まつげが上下する。そのまま、しばしぼうっとした様子で動きを止めてから、不意に、自分が頭をのせていたものに視線を向けた。


「え……?」

「おはよう」


 瞬きを三回。の後――。


「きゃぁあああああっ!」


 悲鳴が響き渡り、ナギが飛び起きた。


     ◆


「あははははははっ!」


 朝の身支度を整え、一息ついたちょうどいい頃合いで部屋に迎えに来たアーニアは、ぎこちないレラの理由を聞いて大笑いした。


「笑いごとではないのです、アーニア様」

「いや、あはははははは! いいではないか、はははは!」

「もぅ……ナギを真ん中に、と言いましたのに」

「ナギが、言うことをきかなかったのだ」


 笑いの止まらないアーニアに、レラとサナトが代わる代わる答える。

 どうにか呼吸を整えたアーニアは、知らないよ、という顔でいるナギの首を豪快に撫でた。


「ナギのせいにするではない。気をかせたのであろう?」

「おんっ!」

「どういう意味ですか?」


 口を尖らせた。そんなレラに構わず、食事に行こうと声を掛けてアーニアは扉を開ける。

 レラはあっけなく部屋を出たことに驚き、サナトを見上げた。

 扉の封じは外されたのか、それとも城主の身内である者には効かない術だったのだろうか。どちらにせよ、アーニアの口からそれを示唆しさする言葉が出るまで、敢えて言うことではないと互いに頷き、口を閉じる。


「ん?」


 続いてサナトが部屋を出ようとしたその時、精霊が声を掛けてきた。

 森長から頂いた剣を身に着けている様に――と。

 いつも身に着けている剣ではあるが、あえて声を掛けてくるのは珍しい。精霊は、時に悪戯で言葉を掛けることもあるが、今回に関してはそのような気配もなく、サナトは言われた通り部屋に戻り帯剣した。


 何故かいつもより剣が重く感じる。

 アーニアが首を傾げるのを見て、サナトは苦笑するように問いかけた。


「剣を持って行ってはだめか?」

「ダメではない……と思うが、食事の邪魔ではないのか?」

「旅の間はずっと持っていた。もう慣れたな」


 精霊の声が聞こえていない様子に深く理由を告げず、部屋を出る。

 アーニアは帯剣していない。

 服装は、このまま剣の稽古にでも行きそうな身軽な装いである。昨日会った姉姫、アントニエッタの様な足首までの長い衣装ドレスではないということは、これが彼女の普段着なのだろう。

 レラも、いつもの白い膝下までの上衣に、民族模様の刺繍をほどこした赤い肩掛けを羽織っていた。両手首にはいくつもの石を括りつけた腕輪と、胸元には、紐をつけたあの青い結晶石が光っている。


 朝の廊下は窓からの陽射しを受けて、昨夜とは違う印象を見せていた。

 足早に行き来する召使いたちが、アーニアとすれ違う度に廊下の端に一歩下がり、頭を下げてから通り過ぎていく。

 サナトは周囲の様子を見渡した。


「城の朝は、こうも慌ただしいものなのか?」

「いつもはもう少し静かだ」


 アーニアは苦笑するように答え、辿り着いた大きな扉の前に立つ。合図をするでもなく開けた向こうは、大きな食卓に料理を並べた広い部屋だった。

 窓から朝陽が降り注ぐ。鮮やかな季節の花が活けられ、幾人かの給仕が無駄のない動きで行き交う。そして先に待って居た、軽装の青年二人が立ち上がった。ニノとファビオである。

 ニノが屈託のない笑顔で挨拶をした。


「おはようございます」

「他の者たちは朝の鍛錬もあって同席していないが、二人は、怪我の結果報告を兼ねてな」

「城付きの治癒魔法師に、足の具合を見てもらっていたのだったな」


 アーニアの説明にサナトは思い出す。

 給仕の者たちが椅子を引いて待つ姿に促され、アーニアに続いてサナトとレラが席についた。

 ナギもサナトの側で腰を下す。今度はナギにも食事の用意をしていたようで、床に置かれた、深めの平皿に盛られたほぐし肉の匂いを嗅いでいた。

 着席し直したニノとファビオは苦笑しながら答える。


「治癒魔法無しでここまで治したなんて、びっくりされましたよ」

「精霊魔法の唄文の話をしたところ、ご存知でした。でも強制魔法による歪みや澱の話は、昔、師事した師匠から、聞いたことがあるとかないとか……。サナトさんから詳しく話を聞いてみたいと仰っていましたよ」


 ファビオに続いてニノが説明をする。

 その間にも給仕が汁物スープを注ぎ、アーニアは食べながら話そうと促した。


「その治癒魔法師とやらと話をするのは構わないが、怪我の具合……骨に問題なかったか?」

「あ、それは大丈夫でした! おかげで今日の午後から、訓練に戻れとか言われちゃいましたよ、とほほほ……」

「怪我が治ったなら鍛錬は当然だろう」


 サナトに答えたファビオへ、アーニアが喝を入れる。

 川魚なのだろう、上品に炒め焼きした身に肉叉フォークを入れ、サナトに顔を向けた。


「そういえば城の近衛隊長も、私と互角に遣り合える腕なら見てみたいと興味を持ってな。後で隊員と手合わせ願いたいと言っていた。場合によっては指南を求められるやも知れん」

「そうか……」


 答えつつ、サナトは戸惑うレラの顔を見る。

 ここに来た一番の目的は、王城の書庫に眠る魔法や竜の記述を調べるためだ。専門の書を失っている今、伝記や物語から見つけ出すとなれば、精霊たちの力を借りたとしても時間はかかるだろう。


「勿論、必要であれば手合わせも構わないが……俺は、書庫での調べものを優先したい。この国にとっても、妖魔の対処法は優先事項のはずだ」


 真剣な声に、アーニアはふと口元を笑みの形にした。


「サナトは生真面目きまじめだな。まぁ……そんな性分も悪くは無い」


 そして飲み物を一口含んでから、真摯しんしな眼差しで返す。


「確かに、魔法や竜、妖魔の対処法は何よりも優先されることだろう。兄上のめいというだけではなく、私も立ち会うのならば共に記述を探し出したいと思っている」

「アーニア様や殿下にお許しいただけるのなら、僕たちも探しますよ」

「こういうことは人海戦術の方が早い」


 アーニアに続いて、ニノとファビオも同意する。

 サナトはレラと顔を見合わせた。


「それと、実はちょうど三日後が夏至祭なのだ。先を急ぎたいのかもしれないが、それまでは滞在してほしい」

「夏至の祭……」


 サナトには懐かしい言葉だ。

 王城に至る道すがらでも街中のにぎわいは見た。と同時に、遠く深淵の森やクタナ村の人々を思い浮かべる。ところが誘うアーニアの表情は、ただ祭を楽しんでもらいたいというものでは無かった。


「夕べも話したであろう……魔を呼ぶ者が紛れ込んでいると言ったあの件。私も騒めく気配が気になってな」

「お姉さま――アントニエッタ様も、そのことを気にかけて、東の領土からお戻りになっていたのでしたね」


 聞き役に回っていたレラが、夕べのことを思い起こして言う。

 アーニアは頷いた。


「何か……違和感に気づいたか?」

「いや、俺たちは普段の王都の様子を知らないから、違いを感じることはできない。けれど城で生まれ育った者が言うのなら、間違いはないだろう」


 レラも頷く。

 肉叉フォークを置いたアーニアは、難しい顔で唸った。


「そうか……昨夜は兄上を交えて、領主らの話し合いが立て込んでいたからな。精霊の騒めきは、そのせいもあるかと思っていたのだが……」

「西のバンニステール卿との話し合い、でしたでしょうか」


 レラが呟いた。城に着いたアーニアたちを出迎えた時、身なりを整えた初老の従者が言っていた名前だ。アーニアが「そうそう」と答えた時、扉の向こうから声が掛けられた。


「お食事のところ申し訳ございません。ヴィリ・デ・ケルバーでございます」

「ケルバー卿? 入れ」


 アーニアが答えると、給仕の一人が扉を開けた。



 恭しく頭を下げながら入って来たのは、昨日、応接室に同席していた家臣の一人である。サナトたちに「魔法円はただのまじない」「化け物は、強力な魔法で打ちのめすより他に方法はない」と言い切った者だ。

 顔に深い皺を刻んだ壮年の男は、食事の席にサナトたちが居るのを目に留め、僅かに唇を歪ませた。


「ご歓談中でございましたか……」

「何があった?」

「実は……書庫で問題が発生しまして」


 食事の席を囲んでいた面々が顔を見合わせる。


「どのような問題だ? サナトらが行くまで何人なんぴとたりとも書庫の立ち入りを禁ずると、夕べ兄上がめいじていただろう」


 今、書庫の扉は封じられている。それは、国王の留守を預かるアーニアの兄、エルネストが、再び古書が狙われるのを避けるために下した命令だ。


「はい……そのはずなのですが、物音がするのです。何者かが書庫に入り込んでいるのやもしれません。更に扉には不自然な封印が施され、司書はおろか城の衛兵も原因が分からぬ始末で……」


 ガタリ、と音を立ててアーニアが立ち上がった。

 そして杯の飲み物で口の中を流し、「先に行く」と席を離れる。無言でニノとファビオが続くのを見て、サナトとレラも頷き合い、席を立った。





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