4 第45話 城の作法
王城の一室で顔を赤くしたレラは、おろおろと辺りを見渡していた。
どうしましょう、と叫んだはいいが、実際にはどうしようもない。閉ざされた扉は内側からは開かず、レラの心情としてはともかく――壊すほど緊急性の高いことでもない。必要な物があれば控えている召使いに何なりと申し付けるよう、言われてはいたのだが……。
「同じ部屋は困るから、別に用意してほしいと言えばいい」
「それは……」
レラが言い淀む。クタナ村と同じ状況になっている。
アーニアが気を利かせなかったのか、気にも留めていなかったのか。それとも部屋を用意した城の者は、同じ部屋にしたことに他意があったのかどうかも分からない。けれど――。
「俺としては、別々の部屋では無い方が……安心なのだが」
「サナト様?」
「寝込みを襲われることは無いだろうが、決して無いとも言いきれない」
アーニアやエルネストのみならず、国王ですら手が届かないところで動いている勢力がある。ならば共にナギの側にいた方が安全なのは、アーニアにも言ったとおりである。
「この状況では……そ、その通りですね」
「俺は気にしていないが、お前はやはり嫌か?」
「少しは、気にしてください……」
口を尖らせて言う。
気に
サナトの眉間に皺が寄る。それを見て、レラは「今のは聞かなかったことにしてください」と顔を赤くしたまま呟いた。
どちらにせよ、閉じ込められているとはいえ居心地が悪いわけではない。
「サナト様の仰る通り、ここでは一緒に居た方が安心かと思いますので……部屋は、このままでいましょう!」
そう力を込め、自分にも言い聞かせるように言ってから、レラは改めて周囲を見渡した。
目を止めた部屋の奥に、もう一つの扉がある。そのまま足を向け、ガチャリと取っ手を回して開くと同時に声を上げた。
「サナト様っ、浴室が備えてあります!」
「珍しいのか?」
「勿論、大きなお屋敷でも
明るい声に誘われてレラの後ろから覗き込んだ。続くナギも「わふっ?」と鳴いて首を突っ込む。
「水が豊かな土地ならではでしょう。さすが王城ですね!」
深淵の森を出てから、今日までの道のりを思い出す。
ここ二日ばかり街道沿いの町にある宿屋を利用していたが、どちらも部屋に浴室はついていなかった。
「そう言えば、湯屋や水場は別の棟だったな」
「はい。ゆっくり汗を流せますねっ!」
明るい顔になったとたんに、レラのお腹が鳴った。
「そうだ。ゆっくり過ごせと言われているのだ、先ずは食事にしようか」
レラが恥ずかしそうな顔で頷き、サナトに続いて
温かな
大熊の尻尾亭で口にした熱々の
「どうなさったのですか?」
「いや、森の外にはいろいろなものがあると思ってな」
さすがにナギの分の用意は無かったため、味の薄い肉を選んで一つ二つと取り分ける。
身分は証明されたとはいえ一介の旅人に対して、城の者は好意的とはいえないのだろう。レラも自身の皿からナギへと分けながら苦笑した。
「アーニア様には失礼かと思いますが……毒は、なさそうですね」
「そうだな。まぁ、もし良からぬものが混入されているのなら、真っ先にナギが蹴散らしているだろう。狼の鼻はごまかせない」
「わふっ!」
美味そうに肉を
「少し、足りないようですね」
「腹が減れば自力で何か獲って食うだろう。そうはいっても、人が飼っている羊や馬には手を出さないぐらいの、知恵はある」
もふもふしたナギの頭を撫でると、当然、という顔で顎を上げた。その姿を見てレラは苦笑する。
明日の朝になればアーニアが来る。このまま一生出られないということは無いのだから、心配する必要はないのだ。それどころかここまで豪華な夜を過ごす事も無いのだから、一生の思い出として楽しまなければ損である。
――とはいえ、城での過ごし方が分からない。
食事が終わると、テーブルの皿をどのように片づければいいのかと二人は首をひねった。部屋から出られない以上、炊事場まで運ぶこともできない。
「このまま置いておいても、いいのですよね?」
「城での作法は分からないな。召使いを呼んだ方がいいのだろうか……?」
と、呟くサナトに城を守護する精霊たちが、くすくすと笑うように囁き始めた。
いいのに、置いておけば片づけに来るのに、と小さな声で言う。そして、姫様は面白い人たちを見つけてきた、と声の気配が続く。
「皿はそのままでいいそうだ。城の精霊が言っている」
「そ、そうですか?」
「気づかなかったか?」
「……楽し気な気配は、感じるのですが……」
レラの動きがぎこちない。
自分も納得して同じ部屋のままでいいと言いながら、まだ落ち着かないでいるのだろうか。得てしてそういう時は精霊の声も聞き取りにくくなるものである。
「あの、サナト様……」
「何だ?」
「その……どうぞ、先に浴室をお使いください」
「ん? あぁ……お前が先に使えばいい」
「いえ、ここは、サナト様がお先に!」
「水の精霊に気を鎮めてもらってこい。ざわついたままでは、身も心も休まらないだろう」
苦笑するサナトにナギも「おんっ!」と後押しする。
自覚があるのだろう。恥ずかし気に俯いたレラは随分迷ってから、「それでは……」と、小さく声を返し準備を整え、浴室の方へと姿を消した。
その後姿を見送ったサナトは頭を掻く。
いつも以上に勝手が違うせいもあって、次第に落ち着かなくなってくる。
「手持ち
「わふっ」
ナギが首を傾げる。ややして、廊下に続く扉の向こうに人の気配が動いた。
扉に近づき「何か?」と尋ねると、「お食事を片づけに参りました」と声が返る。一歩離れると同時に扉が開いた。
現れたのは揃いの服装を身に着けた女が三人。質素な意匠で、膝下までの紺の長衣に白い前掛けを着けている。
丁寧にお辞儀をしてから静かに入室し、部屋の中央に陣取っていた大きな銀狼を目にして、一瞬、息を詰めたように体を硬くした。それでも直ぐに作業に戻る。
全ての務めを終えると、一人が視線を伏せたまま静かに尋ねた。
「何かご入用の物はございますか?」
「いや、十分なもてなしを受けている。礼を言おう」
ふ、と口に笑みを浮かべる。
視線を上げた一人は顔を赤くして、慌てて頭を垂れ部屋を出ていった。
やはりこの目や顔が怖いのかもしれない。そう思い至ってサナトは気落ちする。念のため取っ手を動かし確認するも、扉はまたもや開かなくなっていた。
城を護る精霊たちが笑う。
「何が
サナトのぼやきにも精霊たちの楽し気な様子は変わらない。
だって、ねぇ……全然気づかないでいるよ、と囁きあう。サナトが何に気づいていないのか、肝心なことは教えてくれない。
静まり返った部屋で、奥の浴室から微かに水の音が聞こえる。
ふと、里でレラが水浴びをしていた朝を思い出した。
淡い金色の朝陽を反射させた水辺に立つ、白い後ろ姿。薄桜色の髪をうなじから前に垂らし、梳いていた。まるい肩やしなやかに伸びた細い腰と、背に浮かぶ魔拯竜の紋章。
光を散らした水面を背にして、透明な滴が肌を伝う。
振り返る、息を飲むようにして見開かれた青い、透明な瞳。
「んん……」
胸の奥がざわざわする感覚に、サナトは顔を
一先ず時間を持て余しているのだから、くつろぐナギの横で剣の手入れをして、気を落ち着けることにしよう。そう自分に言い聞かせて、シャラン、と音を立てて剣を抜く。
今夜も、青白い燐光を放つかのように冴え冴えとした刀身は、部屋の温かな
「森長は、俺がこんな場所にいると知ったら驚くだろうな」
「わふっ?」
「妖魔との戦いばかりになるかと、覚悟していたのに……」
穏やかすぎて拍子抜けする。
クタナ村を出て、渓谷の橋を渡り終わった瞬間や、廃村での空気の変わりようには驚いた。今も気を鎮め微かな気配を視れば、確かに
微妙な均衡によって、妖魔という形に湧くのを押し留めている。
「礼拝堂の魔法円のようなものが、城や王都のどこかにあるのだろうか」
自浄作用とでもいうのだろう。
ならばサナトは、この世界の認識を改めなければならない。
そのようなことをつらつらと考えている内に、レラが浴室から出て来た。
まだ乾ききっていない髪を頭の高い位置で一つにまとめ、頬は上気してほんのりと赤い。
肩が細い紐となった薄手の、膝下まである白い一枚衣は、着替えとして何度か目にしていたものだ。けれど今夜は、やけに体の線がはっきりと見える様な気がする。
「あら、片づけがいらしたのですか?」
大きな
「……食事が終わる頃合いを見計らっていたようだ」
何とは無しに視線を
剣を片づけ、立ち上がるサナトにレラは声をかけた。
「とても気持ちが良かったです。どうぞ、ゆっくり入ってきてください」
「そうさせてもらう」
着替えを手に浴室に向かう。先程ちらりと覗いた時にはあまり気に留めなかったが、改めて見るととても広い部屋だった。
落ち着いた赤銅色に壁を塗り、白い柱を浮き立たせる。その部屋に合わせた色合いの草花が飾られ、点々と配置された蝋燭は明るすぎず暗すぎず、窓からは涼しい夜風が流れ込んでいた。そして何より目を見張るのは、とめどなく流れている湯である。
どういう仕組みで出来ているのか分からない。
魔法を使っているようには見えないから、どこかで沸かした湯をここに流し込む
ナギが鼻をひくひくさせている。
湯の側に添えられた小さな
いざ衣服を脱いだはいいが、サナトは途方に暮れて小さく唸った。
「ナギ、これは聞いた方が早いだろうか?」
「おんっ」
先にレラがここを使っていたということは、これらの使い方も知っているだろう。そう思い、そのままサナトは浴室から顔を出した。
「少し聞きたい。この道具の使い方だが――」
「きゃぁあああっ! サナト様服をっ! 服をぉ!」
夜は、まだまだ長い。
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