2 第23話 言祝ぎ

 村の者たちは皆席に着いて、声聴きの話に耳を傾け始めた。


「オレグより話は聞いておる。作業場の妖魔を戻してくださったと」

「では、前に祓いをしたのは」

「私でございます。力足りぬ故、完全に戻すことができなんだ」


 僅かに頭を垂れる。


「……辛かっただろう」


 思わずサナトの口をついて声が漏れた。

 妖魔には、直接対面した者にしか分からない痛みがある。

 グルナラは、ふっふっ、と笑いながら細い瞳を更に細めた。


「若き森の人よ、そのようにお優しいままでは、人の形を失ってしまいますぞ」


 細めた瞳で見つめ返され、息を飲む。

 柔らかな口調だが、物事を見通す瞳は森の大神や森長のように深い。


「元はと言えば、私らがことの起こりを突き止めることができず、妖魔を湧かせ申した。その後始末のような真似をさせてしまったことは、言葉もありませんわ。ここは、きつく叱っていいところですぞ」


 視線を逸らし俯く青年に、グルナラが笑う。

 サナトは何かむずがゆいような、気恥ずかしいような居心地の悪さを感じた。深淵の森という特別な場所で育ったからこそ、持つことのできた知識や力がある。けれどそれは決して驕っていいものでは無い。

 ましてや、できうる限りのことをしても果たせなかった者を、叱る立場になどない。


「俺は……村の役に立てたのなら、それでいい」


 サナトの後ろで、銀狼ナギが「わふっ」と短く声を上げた。そして不意に伏せた恰好から背筋を伸ばして座り直し、両耳をピンとそばだてる。ひらり……と、どこからも無く碧い蝶が舞い、通り過ぎた。

 偉大な精霊の気配を感じたのだ。

 直ぐにサナトも気配を察して、顔を上げた。

 目の前で、同じように精霊の動きを読んだグルナラが、威厳を漂わせ声を放った。


「さて……深淵の森を旅立たれた若き森の人へ、偉大な精霊より、お伝えしなければならないことがあります」


 固唾かたずを飲んで見守っていた村長や、ムラトを始めとした村人たちにも緊張が走る。サナトの横にすレラだけが、いだ湖面のように静かに見つめていた。


「深淵の森を旅立たれた者は、精霊の導きにより、新たなお役目を受けて世に散ってゆきます。それまでは森の一部であったものを、個の、一人の人として生まれ直す。新たな生でございます。ならば――生まれた者には、名が与えられる」


 サナトは黙したまま、声聴きの言葉に耳を傾けた。

 背筋がざわざわとするような感覚がある。

 恐ろしいものでは無いが、おそれ敬うべきもの。滾々こんこんと湧き出るの源。

 深淵。

 グルナラは続ける。


「今、天地司る精霊より、深淵の森を旅立たれた若き森の人へ、新たな名が下り申した」


 グルナラが、精霊による唄文ばいもんを唱え告げる。

 窓からの光が、蝋燭の灯りが、輝きを増す。

 風が動く。



「サナト・アウレウス・セルヴァンス」



 指先から、足先から背筋を通り、額まで、痺れるようなざわめきが走る。

 視界が広がる。

 今、自分の中の何か――この身に宿るの天性とも呼ぶものが、変容したのだとサナトは感じた。

 グルナラが言祝ことほぎで締めくくる。


黄金こがねに輝き命はぐくむ森のに、魔拯竜ましょうりゅうの導きがあらんことを」


 目を見張るサナトに、グルナラは、ふっふっ、と笑って息をついた。


「さて、祝いの席となった。この様な役目を仰せつかるとは、命卑しく生きながらえてきた婆には身に余る光栄。たとえようもなく嬉しきことかな」

「素晴らしい」

「ありがたい」

「なんと幸運なことでしょう」


 驚きのあまり声も出ないでいた村長や村人たちが、やっと緊張を解いた顔で次々と声を上げる。横を向くと、レラは頬を染め、満面の笑みを向けていた。


「サナト様に宿るが、大きく輝きを増しました」

「これは……」

「精霊たちが全霊をもってお力添えする。その証でございます」

「うむ」


 レラの言葉に、声聴きのグルナラが頷く。

 ナギが「わふっ」と軽く声を上げて、嬉しそうに尾を振りながらサナトの顔を舐めた。そして杯を掲げるようにしてオレグが声を上げる。


「私もこの場に同席できたことは、なんと幸せなことか。ささ、皆、今日は飲もう。存分に野山の恵みを頂こうではないか」


 村長の言葉に明るいざわめきが溢れる。

 並々と注がれる酒に目を白黒させているサナトの横で、レラは気を引き締め直した面持ちに戻し、グルナラに尋ねた。


「グルナラ様……今の唄文にはどのような意味が?」

「さて、私は精霊が告げた言葉を、そのままなぞっただけよ」


 最初に会った時の様に、瞳を細めて答える。

 人々の暮らしや伝承を見聞きして、書物に収めたい好奇心が動いたのだろうか。

 レラは一度サナトの顔を見て、それから更に問いかけていいのか迷うようにオレグやグルナラに向き直った。少し様子が違うようだ。


「あの……今、魔拯竜のお導きと……そう仰られたので」


 控えめに声をかける。その言葉で、サナトは「ああ」と胸の内で嘆息たんそくした。せっかく祝いの席だと言って和やかな雰囲気になったところに、不穏な話を持ち出していいのかと躊躇ちゅうちょしているのだろう。

 サナトは一度レラに頷いてから、オレグたちに打ち明けた。

 祝いの席になったからといって後回しには出来ない話だ。


「実は俺たちは西方ダウディノーグ王国の災厄を受けて、この世の全ての精霊を使役し、あらゆる魔法を使うことができるという魔拯竜を探している。この村に、竜の行方を知る手がかりはあるだろうか?」


 オレグはグルナラと顔を見合わせた。

 ゆっくりと頷き返す声聴きのグルナラは何ら気に留める様子も無く、むしろ若い旅人を労わるような声で答える。


「偉大な竜が今どこにいるか、残念ながら私らは知らぬの。もし精霊に問うても答えないのであれば、それは、今は会うことが叶わぬ地にいるということであろう」


 レラのため息の様な息遣いが漏れた。

 グルナラは続ける。


「竜はこの世に生まれる、紋章の娘が呼べば、どんな地の果てからでも飛んでくると言い伝えられておる。紋章の娘は、ダウディノーグ王国やベスタリア王国にもいるというが、竜が呼びかけに応えて現れたという話は聞かない。ならば、呼びかけに応えられない状態にある……と、私は察する」


 サナトはレラの俯く横顔を見た。

 レラの背には、魔拯竜の紋章があるはずだ。だが、レラは唇を硬く結んだまま、自分がその紋章の娘であることを告げなかった。


「ベスタリア王国の――」


 オレグが控えめな声を挟む。


「ベスタリア王国の王城には、古の伝説の書物があると聞いたことがあります。そちらに行くことができれば、何か手がかりがあるかもしれません」

「ベスタリア王国の、王城……」


 レラが繰り返した。

 サナトが考え込むように俯くレラに尋ねる。


「西から深淵の森に来る時、ベスタリア王国は通らなかったのか?」

「通りはしましたが……王城に近づくなど、とても……」


 何の後ろ盾もない娘が王城に出向いたところで、門前払いを受けるだけであると。そんな様子を見ていたオレグが、ううむ、と唸ってから声をかけた。


「では……ひとつ、私が紹介状を書いてみましょう」

「紹介状?」

「こんな田舎の長の紹介状ではどれほどの効力があるか分かりませんが、無いよりはいいかもしれません。それこそ、お役に立てるのなら嬉しい」


 サナトとレラは顔を見合わせた。

 具体的な手がかりが見つかったわけではないが、ひとつ、道ができたような気がする。


「お手数をおかけいたしますが、是非」

「畏まりました。明日の朝までにはご用意いたしましょう」


 やっとレラの顔に笑みが戻ったところで、今度こそ心置きなく料理や飲み物を勧められる。

 蒸した鶏肉の香油漬け、蜂蜜に漬け込んだ木の実。季節の山菜の香りもいい。側に控えるナギにも特別に油の滴る肉が用意された。

 思えば朝が遅かったとはいえ、昼の休みを取らずにここまで来ていたのだ。サナトもレラも気持ちが落ち着くと途端に空腹を覚えた。


 早速酔いが回った村人が、声高々に自慢の喉を披露し始め、楽の音が追う。村に昔から伝わる豊穣の唄であったり、すれ違う男女の恋の唄であったり、あるいは親子の口喧嘩を面白おかしく歌い上げる。


 サナトはこのような宴の席を体験したことが無かった。

 夏至や冬至の祭で村人たちの姿を見ても、基本的に森の人は遠くから見守り祭の席に交わらない。

 歌って、飲んで、笑って。恵みを受け取る。

 人々の暮らしとはこのようなものであったのだと、和やかな雰囲気にくつろいでいた居た所へ、様子を見計らっていたムラトが声を掛けてきた。


「サナト様、フィオレラ様、まだお休みになるには早い時間ではありますが、お部屋はご用意できました。お声を掛けて頂ければ、湯屋にも、お部屋にもご案内いたします」

「ありがとうございます」


 レラがにこやかに答える。

 グルナラの隣に座っていた村人が、杯を傾けながら笑う。


「それにしても、こんな可愛らしいお嫁さんが一緒とは、羨ましい」

「ヨメ?」


 サナトが聞きなれない言葉に首を傾げる。


「ええ、フィオレラ様はサナト様の、お嫁様なのでしょう?」






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