2 第24話 嫁問題

 はっ、と顔を上げたレラが、顔を真っ赤にして声を上げた。


「いえ! いいえ!! 違います!」

「あれ? 村に来た時、フィオレラ様はエルクに乗られて、サナト様が手綱を引いていたと聞きましたが……」

「その通りだ」


 慌てて否定するレラに、訊き返す村人。

 サナトがムーの手綱を引いて村に来たことは事実だ。それの何がおかしいのかサナトには分からず、聞きなれない言葉と合わせて首を傾げる。

 レラが、慌てたような声で釈明した。


「私がエルクに乗っておりましたのは、その、怪我をしていたからです! もうずいぶん治っているのですが、サナト様は無理をするなと案じて下さって、それで、お言葉に甘えていただけです!」


 確かにレラは歩くと言った。

 それを止めて、山道だからムーに乗るようにと言ったのはサナトだ。


「ですよね!? サナト様!」

「ああ、その通りだ」

「ですので、深い意味は無いのです!」

「エルクに乗ると、ヨメという者になるのか?」


 レラが真っ赤な顔でサナトに振り向く。


「なりません!」

「いやでも、ねぇ……お二方とも、どう見てもお似合いの若夫婦で……」

「違いますっ!」


 サナトと村人から代わる代わる言われて、レラは顔から湯気が立ちそうになっている。

 どうやら「エルクに乗せた女性の手綱を引く」という姿のせいで、「花嫁とその婿」と勘違いさせたらしい。サナトはううむ、と考え込むように唸った。

 側にいるナギが「わふっ?」と声を上げて首を傾げる。


「夫婦……ということは、ヨメというのはつがいの――」

「それ以上仰らなくてもよろしいです!」


 釘をさされた。

 そんなやり取りを見ていたムラトは、困り果てたような顔で頭を掻いた。


「いやどうも、あまりにお似合いでしたのでオレたちが勘違いをしてしまったようです。けど……どうしましょう。お二人、同じお部屋でご用意してしまいました」

「それならばそれで構わない」


 サナトがさらりと答える。

 ムラトが何を困っているのかサナトには今一つ分からないが、用意してくれたというのならば、ありがたく使わせてもらうだけだ。ところが、レラは俯きながらふるふると手を震わせ、サナトの上着を掴んだ。



「サナト様、お話がございます」



 居住まいを正してレラが向き直る。

 何やら、強い気迫を感じてサナトは訊いた。


「今話す必要がある、重要な事柄か?」

「そうです」

「ならば、聞こう」


 サナトも正して真正面に向き合う。

 周囲の者たちは「痴話喧嘩か?」とざわめき立ち、声聴き婆のグルナラは、ふっふっ、と笑いながら見守っている。そしてレラはひとつ深呼吸してから、落ち着いた声で話し始めた。


「いいですか? サナト様は私がもたらした災厄の話をお聞きになり、森の大佳靈おおかみの御前で、旅立つ決意をされました」

「うむ」

「サナト様は精霊の声をお聞きになり、妖魔を砕き、おりを戻される方法をご存知だからです。そして私はその様なサナト様のお役に立ちたいと思い、ついてきた者です。言わば従者の立場。サナト様にとってのナギと同じでございます」

「わふっ!?」


 ナギが耳を立てて背筋を伸ばす。

 レラは尚も話を続ける。


「その従者が同じ部屋で休むのは間違っています」

「そうなのか?」

「そうです」

「俺はナギとも一緒に寝るぞ」

「おんっ!」


 ナギが尾を振る。

 レラはうな垂れるようにして床に手をついた。


「それは、ナギだからでしょう」

「お前は今、ナギと同じだと言ったではないか」

「そうですが……そう言う意味ではないのです」

「ではどういう意味なのだ? 初めて出会った時からここまで、俺はずっとお前のすぐ側で寝ていただろう」


 余計に混乱してくる。


「それは……森長様より世話役を仰せつかったからで……とにかく、お部屋は別。エルクの騎乗は私が怪我をしていたから、サナト様が特別にお許しくださったことです。本来はサナト様が騎乗し、私が手綱を引く立場です」

「ムーはお前のエルクだ。俺が騎乗するのはおかしい」


 完全に、話が平行線になっているということは分かるのだが、互いにどうすればいいのか分からなくなってしまっている。そんな様子を見て、必死に笑いを堪えながら聞いていたムラトは、涙を滲ませつつ助け舟をだした。


「サナト様、フィオレラ様はお恥ずかしいのだと思います」


 思いもしない言葉に、サナトは苦笑するムラトに訊いた。


「恥ずかしい? 恥じるようなことはしていないぞ」

「そういう意味ではありません。夫婦でもない二人が同じ部屋で休むのは、気恥ずかしい、というものなんです」

「気恥ずかしい……」


 戸惑うサナトが繰り返す。

 ムラトは声を強くして言った。


「女の子とは、そういうものなのです!」

「そういう……もの」


 レラがとても困っているのは分かる。

 サナトはしばし言葉を失ってから、レラに尋ねた。


「嫌だったのか?」

「い、嫌だったというわけでは、ありません……側で見守ってくださったのは、とても、心強かったです」


 顔を赤くしてうつむく。

 その言葉を聞いて、サナトは胸を撫で下ろした。


「そうか、嫌だったわけではないのなら、よかった」


 深淵の森の里には、森長以外に女の人が居なかった。

 サナトが小さい頃には他にも居たと聞いたことがあるが、記憶には無い。女の子とはそういうものなのだと言われれば、「そうか」と言うしか他に無かった。

 二人を見守っていた村人たちが、やれやれと言った様子で笑いあう。

 ある意味サナトの前途は多難ともいえた。


「……それで、お部屋はどのようにしましょうね?」


 結局、話は元に戻ってムラトは頭を掻いた。

 ううむ、とサナトは唸って答える。


「今から用意するとなると手間だろう。俺は同じでも別でも構わない。別々に休みたいと言うなら、俺はうまやのムーの所にでも行く。それでいいか?」

「ダメです!」


 レラに却下された。

 更に、ずっと話を見守っていた村長も強く反対して「サナト様をとてもそんなところには」と慌てだす。これは部屋をもう一つ用意した方がいいとムラトが立ち上がったところで、力が抜けたような声のレラが呼び止めた。


「あの……お騒がせしましたが、今夜はそのままでよろしいです」

「ですが……」

「誤解されるような振る舞いで、最初に説明しなかった私たちにも非があります。サナト様は……このようなお人柄でいらっしゃいますし、その……」


 次第に声が小さくなるレラを見て、ムラトは村長らと顔を見合わせた。

 ふっふっ、と笑う声聴きの婆が言う。



「まぁ、何があっても精霊のお導きだろうて。肩に力を入れなさるな」



 その一言でこの場は収まった。

 人の世というのは、何とも複雑で難しいものだとサナトは思う。


     ◆


 えんもたけなわとなった頃、少し離れた席に座っていた一人が、杯を片手にサナトや村長の方まで挨拶に来た。毎年、深淵の森に供えを運ぶ役目を担っている者だという。

 先ずは今年の夏至の件でお礼を言ってから、村人はサナトに尋ねた。


「サナト様は、ずっと深淵の森でお育ちになったのでしょうか?」

「そうだが」


 恰幅のいいその村人は、ふと、何かを思い出そうとするかのような仕草をしてから、やや遠慮がちな声で訊いてきた。


「八年……いや、九年ほど前の夏至の際に、供え物をつまみ食いして叱られた子供がいましたが……もしや、あの時の御子おこでございましょうか?」


 恰幅のいい男の言葉を聞いて、その隣の者が「ああ」と声を上げる。


「いたねぇ、小さな子が。こっそり顔を出して団子を頬張ったものだから、喉に詰めそうになって。角の生えた長い黒髪のお人に、背中やらお尻やら叩かれていた」

「ああ、いたいた……」


 何やら話が不穏な方に流れ始めてきた。

 皆は酒が回って来たのだろう。サナトは視線を逸らして、杯を口につける。


「そうだ、あの時の悪戯っ子だよねぇ。いやぁ、立派な青年になられて気づかなかった」

「サナト様がそのようなことを?」


 レラが瞳を輝かせて話に乗る。


「そうそう、陶物すえものの椀を織物の隙間に隠したり、馬の尻尾に鈴をつけたり。あの時はもぅ、見つけたこっちは、馬に蹴られるんじゃないかと肝が冷えましたよ」


 気まずい。

 いや、これが気恥ずかしいというものだろうか。

 オレグやグルナラは楽しそうに聞いていて、今度は助け舟も出そうにない。唯一、サナトの側に控えていたナギだけが「わふっ」と声を上げた。


「すまない、少し外の風に当たってこようと思う」


 窓の外はいつの間にか、すっかり日が暮れていた。

 昔話に花が咲き始めた宴は、まだ当分終わりそうにない。

 剣を片手に立ち上がるサナトに気づいて、レラが「お供します」と声を上げたが、サナトはそれを軽く制した。


「深淵の森で、里の話は何も聞けなかっただろう。せめてここで、書物に残せそうな話でもゆっくりしているといい」


 そう言うと、さっそく側の村人が「書物とはなんですか?」と訊いてきた。

 レラはサナトの役に立ちたいと言うが、対等な存在であり、決して従者とは思えなかった。だからレラが興味を持つ、本来やりたいと思うことを優先してほしいと思うのだ。

 村長と声聴きのグルナラに一礼をしたサナトは、ナギだけを伴って屋敷の外に出た。


 空に雲は無く、月が明るい。澄んだ大気に星々も輝きを放っている。

 途中すれ違った者に、夜道を照らす灯りを用意すると声をかけられたが、月明かりで十分だと静かに辞してサナトは歩き出した。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る