2 第21話 少女の居場所

 誰もが息を飲む。

 静かに風が流れだし、緊迫していた大気を押し流していく。

 サナトは肩で何度か呼吸を繰り返してから、ゆっくりと立ち上がり、剣を鞘に収めた。

 額からしたたり落ちる汗を腕で拭う。小鬼の妖魔を戻した時の様に立っていられない程ではないが、全身を覆う疲労は濃かった。


「サナト様……」


 周囲の精霊の気配を読んだレラが力を抜いて声を掛けた。

 ナギも、一度体を大きく震わせてから、尾を振ってサナトの方に寄って来た。鼻を鳴らす銀狼の柔らかな頭を撫でながら、レラを始めとした村の人たちに声をかける。

 これほど間近に妖魔を見たなら、恐ろしかっただろう。


「もう、大丈夫だ」


 このおりは戻った。

 だが――サナトはそのまま作業場の娘たちの方に足を向け、「どうして」と呟いた、緑の瞳と濃い焦げ茶の髪の、獣人の少女の腕を取った。

 こんな人間など無くてもいいという破壊と虚無の呪詛は、まだどこかにあどけなさを残す、少女自身に向けられたものだったのだから。


「何故、自分に呪いをかけた?」

「あたしは……」


 一瞬、怯えたような顔をした緑の瞳の少女は、サナトに腕を掴まれたままキッと眉を吊り上げて言い返した。


「あたしは、この場所には必要ない者だから、だから居なくなっちゃえばいいんだ!」


 サナトの手を振り払うと、少女は気圧けおされないようきつい表情で睨み返した。

 周囲の者たちが驚き慌てて手を伸ばす。


「オリガ、あなた何を言って……」

「近づかないでよ! 全部、壊れちゃえばいいと思ってるくせに!」


 私の作ったものなんか……と小さく呟く。

 オリガと呼ばれた獣人の少女は、緑の瞳に涙を溜めながら一歩後ずさった。


「あたしなんか、消えて無くなっちゃえばいいんだ」

「精霊は、そんなことを望んでいない」


 サナトが低く言い切った。

 見えてはいないのだろう、側によりそう精霊たちが囁きかけているというのに。


「お前が人の見ていない所でどれだけ努力を積み重ねてきたのか、一つ一つの仕事に真摯に向き合っていたかを、精霊たちは知っている」

「精霊、が……?」

「だからこそ力を貸し、それが、今回は妖魔を呼ぶところにまで暴走してしまったのだろう」


 時に、ひどく精霊に好かれる者がいる。

 精霊の導きでここまで来たレラの様に、命を救い傷を癒す。精霊がここまで力を貸そうとする時、その者は何か大きな使命を持っているのかもしれないとサナトは感じるのだ。

 それでも村長を始め村の者たちを苦しめたのだから、何らかの償いはいるだろう。


「俺はこの村の決まりを知らない。だからお前が招いたことに対して、どのような償いが必要なのかは分からない。分からないが――」


 わざと妖魔を呼ぼうとしたわけでない。

 それは、精霊たちが告げている。

 呪詛を吐き、あれだけのものを引き寄せても尚、精霊はオリガのことをあんじていた。


「……精霊たちは、ずっと見ていたんだ。独りきりだったことも……」


 オリガの睨み付ける様な視線は揺るがない。

 今ここで気を許せば、全てが崩れていくように感じているのだろう。


「あたしには分からない、何も感じないもの。精霊が見ていてくれたとか、そんなの。皆だって見えていないし、聞こえていないのだから――」


 サナトから視線を逸らさず言い捨てる。


「あなたも、口先だけの嘘を言っているかもしれないじゃない!」

「オリガ! 失礼なことを言うんじゃない」

「何よ!」


 赤髪の年長者がたしなめるも、オリガは言い返す。

 今までため込んでいたものがせきを切ったように溢れ出てくる。


「私が邪魔なら、さっさと追い出せばいいじゃない」

「誰がそんなことを?」

「知らないとは言わせない。陰で噂していること、嘲笑あざわらっていること、皆知っている! どうせあたしは余所者よそものだから。余所者の子だから。そんな子が作る物なんて、役に立たないって。使い物にならないって。だったらどうして私にやらせるの? 全部他の人に任せればいいじゃない!」

「それは――」


 赤髪の年長者が言葉を切った。


「それは見込みがあるから。少し……厳しく言っただけで」

「そんなの知らない!!」


 オリガが叫ぶ。


「今になってお前の為だなんて言われても、誰が信じられると思うの!? どれだけ頑張っても気に入らないのなら……あたしが、全部壊して何が悪い!」


 周囲の人たちが戸惑いの色で顔を見合わせた。

 心当たりがあるのだろう。

 オリガは自分の気持ちを落ち着けようと、ひとつ、大きく息を吸った。


「お父さんの言葉が無かったら、こんな場所、とっくの昔に出て行ったのに!」


 レラの震える手が、サナトの腕を掴んだ。

 少女の周囲に渦巻く精霊が泣いている。

 オリガの深い孤独が、精霊を通じてレラの心まで掻き乱しているのだ。

 元は工房内の些細な行き違いから始まったのだろう。片方は相手の為と理由をつけて、心無い言葉になっていたことに気づかず、片方はただ不信を募らせていった。

 信頼関係が崩れた所にどれだけ言葉を重ねても、相手には届かない。

 サナトは腕を掴むレラの手に自分の手を重ねてから、オリガに向いた。


「信じられないのならそれでもかまわない」


 無理にでも信じろとは言わない。

 言っても聞ける状態ではないだろう。


「……それでも、お前が信じようと信じまいと……精霊が見守っていたのは、事実だ」


 そう一言、静かに告げて、サナトは窯の前から歩き出した。

 レラとナギが付き従う。従者一人を娘たちの所に置いて、村長とムラトが続く。

 そして、恐縮するような声が掛けられた。


「申し訳ありません……とんだ、恥をさらしました。サナト様にも失礼なことを」

「恥だと思わないでくれ」


 作業場の外、前庭で足を止めたサナトは、村長とムラトに振り返る。


「誰でも行き違いはある。小さな不信から、疑心暗鬼になっしまうことも……俺も未熟だ。立派なことを言える立場ではない」


 ただ、ほんの少しばかり精霊の言葉を聞き留められるから、人の嘘を見抜き、本心を知ることができるというだけだ。


「心を殺し呪詛を吐き続ければ歪みや淀み、澱が生まれる。それはやがて自身を蝕む。納得したふりをして、一人で抱え込んでいるよりはずっといい」


 むしろあそこで吐き出せたのだから、もう妖魔を呼ぶ心配はないだろうという気がした。

 ただ、妖魔の心配は消えても、彼女達はこれで万事解決とはならない。

 これからどうするべきか、どうしなければならないか、当事者同士での話し合いが必要になるだろう。そこにサナトは力を貸すことはできない。


「村長……理由は分からないが、精霊はあの子を気に入っている。才能があると周囲が認めるのも、精霊の助けがあるからだろう。それにより妬みも受けていたようだ」

「オリガが……」

「とても孤独だったのだと思う」


 自分の心の内を話せる者が、オリガという少女には居なかった。

 だから、呪いを生み出してしまったのだ。


「あの子が吐いた呪詛は他人の不幸を願うものでは無く、自分を嫌悪し、殺そうとするものだ。自分など消えてしまえと……けれどそれは、他人を呪うより深い闇になる」


 サナトにも心当たりがないわけではない。

 まだ赤ん坊の頃に捨てられた。親は奇妙な瞳の赤子を恐れ、必要ないと思ったからこそ、祭壇の社にサナトを一人、置き捨てて行ったのだろう。

 捨てるほどに嫌悪するならば殺せばよかったのに。

 時にそんな思いが頭をもたげても自分を呪うに至らなかったのは、精霊たちと、人として育ててくれた森の人や、今こうして慕い寄り添う銀狼がいたからだ。

 それらの存在は、とても、大きい。


「今は口先の慰めなど無意味だろうが、なにか、解決の糸口は見えるか?」


 村長は戸惑うように視線を泳がせる。

 隣で話を聞いていたレラが静かに問いかけた。


「あの子の親御さんは、いらっしゃらないのですか?」

二親ふたおやとも亡くなりました。父親は腕のいい陶物すえものの職人で、オリガはそんな父親のようになりたいと口にしていました。村の者皆が、親のつもりで接していたのですが……」


 いつの間にか、気持ちはすれ違っていたようだ。


「本当に、こんなことになるとは……」

「村長、顔を上げてくれ。少なくとも二つの心配は晴れただろう。あまり気を止むと体を蝕む。喉の調子もそれらが原因だったのではないのか?」


 言われて村長は自分の喉に手を当てた。

 しわがれた声になっていたのは様々な心配事によるものだろう。けれどこれで、夏至の祭に供える品の件と、作業場に起きていた異変は解決できた。


「そうですね。さっそく村の者たちにも伝えてやらなくては……あぁ、サナト様、お休みいただく前に、このようなご尽力を頂きまして。今夜はゆっくりしていってください」


 そう言って、ムラトに向き直った。


「私は一足先に皆に伝えて準備をする。お前がサナト様たちをご案内しておくれ」

「かしこまりました!」


 浅黒く日焼けした顔のムラトは、役目を与えられた時のナギの様に背筋を伸ばし元気に答える。そして小走りで坂道を下りて行く村長の後ろ姿を見送ってから、同じように坂道を下りつつ、少し興奮したような声を上げた。


「サナト様、本当にすごい魔法でした! フィオレラ様も毅然としていらして」


 最後の方は半ば実体化していたから、普段精霊が視えない者でも視認できていたかもしれない。怖がらせたかと心配したが大丈夫だったようだ。


「確か、精霊の気配が分かると言っていたな」

「はい! 普段は声や姿まではわかりませんが、気配は感じます。実はオレ、作業場が怖くて、なかなかここに近づけなかったんです」


 人好きのする笑顔を見せながら、ムラトは気恥ずかしそうに頭を掻いた。


「でも、サナト様が剣で黒い影を地面に刺した時、空気が一変しました! 怖いものが溶けて大地と一体になったというか、ただ存在するだけの物になったというか」

「声聴きが祓いをした時は違ったのか?」


 サナトの問いに、ムラトは苦笑して返す。


「オレはその場にいなかったので、どんな方法でやっていたのかは分からんです。けど祓いの後、一時は気配が散っただけで……また、湧いてきたような感じで」

「そうか……」


 ムラトは自分が思うよりはっきりと、精霊の気配を感じ取ることができるようだ。

 いつも山羊や羊駝ラマなどの動物や自然を相手にしているだけあって、言葉を使わないものたちの気持ちに敏感なのだろう。

 レラも同じように感じ取ったのか、静かに声を掛けた。


「ムラトさん、もしよかったら、時折感じた精霊の気配をオリガさんにお話することはできますか? 側で見守っているのだと知らせるだけでも、心強いかもしれません」


 ムラトの表情が明るくなる。


「ああ、そうですね! オレが気づいた程度でも、言えば安心してくれるかなぁ」

「ええ、きっと」


 レラに笑顔が咲く。

 そんな姿に、サナトの胸は温かくなった。






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