1 第11話 決断

 胸の鼓動が強くなる。

 ただ穏やかに暮らす人や獣、樹々や虫、精霊たちの魂を我が物のように手荒に扱い、穢し、蹂躙するものを、サナトは許せない。その相手が人であろうと、妖魔であろうと。もし今目の前に居たのなら、考えるより先に飛び出して戦っていただろう。

 けれどこれは、遠い、見たことも無い国の話だ。


「妖魔が湧くには理由がある」


 サナトは呻く。

 自ら招いたわざわいだろうと言い捨てて、そ知らぬふりをしていてもいい。この地に害意が及ぶ時になって初めて対峙してもいい。進んで自分が立つ必要は無い。

 だが。

 それでいいのか、と問う声が、サナトの内側からふつふつと湧きあがっていた。


 助けを求める少女がいるというのに、森の外のことなのだから、自分には関係無いと耳を塞いでいてもいいのか。今、この場で聞いた言葉を忘れて、綺麗な世界だけを見て過ごして居られるのか、と。

 森の大佳靈おおかみは決して強制をしない。

 人の勝手な都合で精霊を強要したならばおりが生まれる様に、精霊も人を操ることはできない。サナトの歩む道は、サナトにしか決められない。

 ただ、後々の悔恨にしてはならないと。

 それだけを問うているのだ。

 サナトはひとつ、大きくため息をついた。


「森の大佳靈、俺に、大国の妖魔の広がりを阻止しろと言われるか?」


 サナトをじっと見つめる金色の瞳は変わらない。

 横に並ぶレラが自分を見ている気配を感じながらも、サナトは見上げる視線を逸らさなかった。


「俺は……正しく魔法を使っても、妖魔を呼ぶことがある呪われた身だ」


 ふ、と森の大佳靈の瞳が細められた。

 風の精霊が言葉を運ぶ。

 ――妖魔が呼び寄せられるのは、知らずと妖魔を呼ぶようなおもいをもって力を使っているため。呪いは、己が内から生まれているのだと。


「サナト」


 混乱するサナトへ、森長が静かに声をかけた。


「言葉だけが正しくても、正しい魔法とは言えないのだ」

「言葉だけが? 精霊魔法は唄文ばいもんという、言葉を介して現すものではないのか?」

「妖魔が湧いた時、お前はどんなおもいを抱いて唄文を唱えたか」


 どんなおもいを抱いて唄文を唱えたか。


 冷たい汗がサナトの背筋を伝い落ちる。

 ザビリスなる侵略者と対峙した時に感じたもの。それは――例えようも無いほど強い嫌悪感だった。


 濁った剣だと思った。殺戮の刃。妖魔が瘴気となってザビリスの剣に取り憑いていたのを感じ、命を奪うことに何の躊躇ちゅうちょもない血走る目を見た時、胸が悪くなる感覚が湧いてきた。

 そんなやからが森を穢すのだと思った時には、唄文を唱えていた。

 唄文の言葉・・は間違っていない。けれど、何をおもって唱えたか、それが妖魔を呼ぶことに関わりがあるのだと、森長は伝えたいのだ。


「蹂躙しようする者に、怒りを持たず戦うなど……無理だ」

「サナト、お前はとても真っ直ぐな心を持っている。それ故にあやまちをゆるすことができぬ。このままでは、お前は二十歳を迎える前に、人としての形を失うだろう」


 それはよくて魔人に、最悪妖魔となって、この大切な世界を穢す存在になるということだ。

 森長は表情を変えずに続ける。


「回避する方法も、無くは無い。このまま森に留まり、可能な限り魔法を使わず心静かに過ごすこと」


 息を潜めて暮らす。

 そうすれば、少しは人の姿を保つ時間は長くなるだろう。西の王国で災厄から人々を守り、英雄とうたわれた魔法騎士が、名前も国も捨て姿を消したように。

 誰とも争わず。

 心すら閉じて。

 地中に眠る遥か昔の鉱石のように、ただそこにあるだけの存在になる。

 森の外の嘆きに耳を塞ぐことで、人の姿を保ち続ける。

 妖魔が森を侵食し始めるその時まで。


 森に閉じこもっていようとも、避けられない未来なのだ。


「俺は森の外がどうなっているのか、聞いてしまった」


 聞いてしまった以上、微かにでも精霊の嘆きが聞こえたなら、じっとしていられない。


「西の王国の妖魔はいずれ、この深淵の森まで手を伸ばすと言った。それは確かか?」

「誰も戻す・・ことが出来なければ、現実となる」


 森長は淡々とした声で答える。

 サナト以外の森の人が、西の王国に赴くことはできない。

 精霊の声が聞こえない多くの人々は、人の姿を失っている森の人を見て「悪しき魔物」と恐れ、排除しようとするだろう。

 ザビリスや取り巻きの兵士と同じように。

 だからこそ、人の形を失った人々は、人として生きることを捨てて「森の人」となったのだ。レラのように恐れることなく言葉を交わすことができる者は、きっと僅かしかいない。


「俺に……兇悪な妖魔を、戻す力があるかどうかは分からない」

しかり。人の身で、この世の全ての妖魔を砕き澱を戻すことは不可能だ。そうであっても、お前は戻す方法を知っている・・・・・・・・・・。精霊の声を聞くこともできる」


 世界を救う一助になることができる。

 常に危険と隣り合わせにあったとしても、真に方法を探そうと思い行動すれば答えは得られる。何もしなかった、という後悔は無くなるのだ。

 森長は告げる。


「サナト……命果てる時に深淵へと向かうか、今、森の外へと旅立つか。選ぶのはお前だ」


 サナトは視線を落とす。

 赤ん坊の頃に捨てられて、ずっと森の中で暮らしてきた。季節が巡るように、朝と夕が繰り返されるように、死ぬまで、ここの暮らしが続くのだと思っていた。

 深い森の奥に、風が報せを運んできたあの時までは。


 風――レラはまるで、新たな運命を呼び込む精霊のようだ。


 どちらの道を選んだとしても、誰も、サナトを責めたりはしない。

 だから、自分の意志で人生を、未来を決める。自分の決断に、自分自身が責任を持つ。



 旅立つことを、決める。



「大国に暮らす人のため……という気持ちにはなれない。けれど西で助けを求める精霊たちの声から、俺は耳を逸らすことができない」


 今は遠く微かでも、いずれ夜も眠れない程の叫びになるのだろう。

 そうなる前に自分にできることを成す。


「俺は、深淵の森を旅立ちます」


 レラが息を飲むと、思わぬ事態におののくような顔でサナトを見つめた。

 ただ世界に対する熱い想いを伝え、人々を救う魔法騎士と魔拯竜ましょうりゅうの行方を探し、僅かでも苦しみや悲しみを掃う手がかりは無いかと思ってのことだった。

 それが一人の人間の人生を左右することになるとは。

 レラの強張った声が漏れる。


「サナト様……」

「そのような顔をするな、これは俺が、俺自身の為に決めたことだ」


 声に出してみると、胸の内にわだかまっていたものが晴れたような気がした。

 問題はまだ何一つ解決していない。

 それでも、一歩、進むことができたような気持ちになる。そうサナトは思い周囲で見守っていた森の人たちに顔を向けると、いかつい蜥蜴とかげのような顔のダオが笑っているように見えた。


 風は動いたのだ。

 ゆったりと腰を下ろしていた森の大佳靈が立ち上がり、奥の間の、樹々に囲まれた更に奥の方へと姿を消していく。それを合図に周囲で見守っていた森の人も、三々五々に去っていく。

 戸惑うレラはサナトの手を借りながら立ち上がり、並んで見送りながら問いかけた。


「皆さんは……?」

「謁見が終わったから帰るのだろう」

「お別れの挨拶は、なさらないのですか?」

「しない」


 サナトは短く答えた。


「深淵の森からの旅立ちは死と同じだ。死は突然訪れるもの。だから別れの挨拶はしない。森の人は日々、目の前にいる者が明日には旅立つかもしれないと、そう、心に刻みながら生きている」


 静かに答えるサナトに、レラは複雑な表情を返した。

 そして一人残っていた森長に視線を転じると、深い紺色の外套の下から一振りの長剣を取り出し、サナトの方へと腕を伸ばした。


「これを、お前に託す……」


 サナトは両手で押し戴く。

 ずっしりとした重さ。夜空のように深い藍色の鞘と、格式高い柄。気高い精霊と守護の唄文が施されていることが、手にした瞬間に伝わって来た。

 鞘から柄を引いて剣身を現すと、触れるだけで裂けるような刃がある。

 炎の剣だ。

 それも紅い紅蓮の炎ではなく、冷たく骨を断つかのごとく蒼い炎の剣。冬の冴え冴えとした月のごとく、輝きを放っている。


 これを、森長は「託す」と言ったのだ。


 ただ旅の無事を願うだけではない、きっと大切な意味がある。

 森長は、サナトが剣に込められた気配と思いを察したのを見て、微かに微笑み、その場を後にした。

 残光が大社おおやしろの白い壁を琥珀の色に染め上げていく。

 一度ここを出れば、もう二度と訪れることは無い。だからこそ、その景色をサナトは目に焼き付け、同時に、最後に見る大社の姿がたまらなく美しいことに笑みを浮かべた。


     ◆


「お前は……」


 一度言葉を切って、レラの方に向き直る。

 レラはやっと歩けるほどに回復したばかりだ。この里のことも、もっとよく知りたいだろう。今の出来事も、森の外の者には分からない習わしばかりで戸惑っているに違いない。


「お前はまだしばらく、この森に留まるか?」

「いいえ、私もサナト様と一緒に旅立ちます」


 思いの外、レラの声に迷いは無かった。


「このお話をもたらしたのは私です。ですから私も行ける所まで、サナト様のお供をいたします」


 サナトの表情が僅かに曇る。


「危険な旅になるぞ」

「もとより、危険な道を一人で参りました」


 そう言って、レラは微笑んだ。

 本人が心に決めているのなら、誰もサナトの決意を変えられないように、サナトもレラの気持ちを変えることはできない。


「分かった。では、出立しゅったつは明日の夜明けだ」


 頷いたレラはサナトの腕を借りながら森の大社を後にする。

 外に出ると、陽の沈んだ空はどこまでも透明な藍色で、星が一つ二つと瞬き始めていた。心配そうに社の外で待っていたエルクのムーが、あるじの変化を感じ取って鼻を鳴らす。


「ムー、明日からまた旅が始まるの。これからも頼むわね」


 頭を上下に振って答えながら、レラを背中に乗せる。

 来る時は神妙な面持ちだったというのに、なぜか今のレラは晴れやかな顔にすら見える。暮れ行く里の景色を眺めながら、レラは囁くように話しかけてきた。


「ここにはいろいろな姿の方がいるのですね。森の大佳靈も……」

「狼の姿をしていたことに驚いたか?」

「はい、少し。魔人のようなお姿なのだと思っておりました」


 気恥ずかしそうに笑って答える。

 サナトは軽く苦笑して返した。


「深淵の森では、狼が去れば森は消えると伝えられている」


 子供の頃から教えられてきた、森の人の言葉をサナトはそらんじる。


「狼は森の獣を狩って生きる。もちろん生きる為に必要なものだけで、無駄な殺生はしない。そうすることで森の草木を食べる獣の均衡を保ち、森の草木を守る。森の草木は大地と水を守る。守られた大地と水は、森に命を生む」


 レラが息をつく。


「だから深淵の森では、一族で一番、精霊を慈しむ狼が、大佳靈として選ばれるのだと聞いた」

「すてきなお話です」


 レラが微笑む。


「戻りましたら、早速、備忘録に書き留めなければ――」


 言いかけて、家の近くまで来た二人は声を飲んだ。

 扉の前に荷物が届けられている。

 ムーからレラを下ろしたサナトが駆け寄って見てみると、それは長旅に必要な干し肉や薬であったり、立派な外套や革靴だった。

 近くに人の気配はない。

 翌朝には誰にも会わずに旅立つことを察した森の人たちの、別れの品だった。






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