1 第09話 召喚

 サナトが家に戻ってから程なくして、レラも届けた上衣に着替えて戻って来た。

 丈が長めの服を用意したが、しょせんは男物の上衣である。レラは膝上の裾丈に顔を赤くしながら短く礼を言った。


下衣かいを穿くか? 傷に障るだろうし、包帯を取り換える時の邪魔になるかと思ったのだが……」

「あっ、いえ……その、サナト様のやりやすいように……で」

「そうか」


 頷き、さっそく傷を覆っていた布を新しい物に取り換える。

 思った以上に傷の塞がりが早い。精霊が治癒を助けているのだろう。

 手早く終わらせ、作っておいた煎じ薬を渡す。

 一息ついて、山菜や肉を煮込んだ滋養のある温かい汁物スープを取った後、レラはまだ本調子ではないせいもあってか、うつらうつらし始めた。


「眠いのなら眠れ」

「ですが……」


 本当は里の家々を回って、森の人たちから暮らしや伝承などを見聞きしたいのだろう。だが歩くのがやっとの状態では、聞いた話も半分になるのが目に見えている。


「お前が知るべきものは、精霊が然るべき時を見て用意する。今はやれることをやれ」


 そうサナトが言うと、レラは反論せず大人しくベッドに入った。

 時を置かずして眠りにつく。そのまま昏々と眠り続けたレラは、陽が沈む頃になってやっと目を覚ました。

 軽く食事を取る。

 寝台ベッドで身体を休めつつ、備忘録の冊子に何やら書き留める。

 サナトが片付けをするために目を離して、ふと様子を見ると、いつの間にやらまた眠っていた。滑らかな肌の額に手を当てると、熱はすっかり落ち着いている。


 傷のせいばかりでなく、長く一人旅を続けてきた疲れが出たのだろう。

 もしかするとこの休息すらも、レラを守護する精霊たちの計らいなのだ。

 興味があれば体調などお構いなしに先へと行く。湧き出る好奇心を押さえつけることは容易よういではないのだから、早く傷を治す為にも眠らせているのでは……と、サナトは見た。

 事実、ゆっくりと休んでいた甲斐あって、レラが里に来て四日目となる朝には、目に見えて傷が癒えていた。

 この様子ならば、次の新月の頃にはすっかり良くなっているだろう。


 レラが眠っている間、サナトは目の届く範囲で出来る仕事をこなしていた。

 主の代わりにエルクのムーの毛をいたり、武具の手入れをしたり、本を読んだり……と。

 何かあれば間違いなく精霊が知らせてくれるのだから、家を空けてはいけない、というわけではない。そうと分かっていても、遠くまで離れる気持ちになれなかった。

 精霊たちが、心配なの? 気になるの? と、からかい笑う。


「違う」


 と、ぶっきらぼうに言い返して、サナトは眉間に皺を寄せる。


「世話役としての務めを果たしているだけだ」


 それ以外にどんな意味があるというのだろう。

 けれど、家の中で見守る精霊たちは、くすくす笑い合っている。


「俺がいない間に目が覚めて、部屋を歩き回った拍子に鍋でも引っ繰り返されては敵わない。それに……こう、物珍しいだけだ。ずっと眠っているのが」


 人らしい人の姿をした者が、これほど長く近くで無防備に眠っている。

 それが珍しいのだと答える。

 野の獣のようにとは言わないが、もう少し警戒心があっていいものを。もしサナトが危険な動物だったらどうするのか。本当によくここまで、無事に旅を続けられたものだと不思議でならない。

 そんな問いすらも、直ぐに答えは見えていた。

 何らかの危険があれば、直ぐに精霊たちが騒ぎ立ててレラに知らせるのだろう。悪意ある略奪者が容易に手を出せる娘ではないのだ。


 明け方、柔らかく白む窓際の寝台ベッドで穏やかに眠るレラを見つめる。

 その安らかな姿を目にするたびに、不思議な気持ちになっていく。

 だが……どうしてそのような感覚になるのか、サナトには理由が思い浮かばない。


     ◆


 ようやく、レラがサナトの後をついて回る程に回復したのは、五日目のことだった。


「サナト様! これは何ですか?」

「あぁ……森の奥のトラリ洞窟で取れた結晶だ。……確か、燐灰石りんかいせきという名だったかな」


 小指ほどの大きさの、水晶のような六角柱に両先端が尖った形の石である。全体に薄く青みがかった、光の角度で七色にも見える部分がある、少し珍しいものだ。


「繋げる、という性質をもつ精霊が宿っている」

「きれいですね」


 そう呟いてしげしげと眺める。

 燐灰石自体は珍しいものでは無いが、七色の異質な結晶を包含ほうがんしているという点では珍しいものだった。

 レラは、その石を飽きずに眺めている。

 手首の腕輪にも石を編み込むぐらいだから、鉱石にも興味があるのだろう。


「気に入ったのなら、持っていくといい」

「えっ!? でも、大切な物ではないのですか?」

「貴重な素材ではあるが、ずっと使わずに置いていたぐらいだ。ここにあっても埃をかぶるだけだろう。ならばお前が持っているといい」


 そう言って半二階の屋根裏に置いてある細々とした物を片づける。

 もうすぐ来る夏至の為の用意は大方終わっているから、今、急いでやらなければならない仕事は無かったが、何故が胸が騒いで手を動かさずには居られなかった。


「あの……ありがとうございます」

「え……?」


 不意に掛けられた声に振り向く。

 ずっと側で立ち尽くして声を掛ける頃合いを待っていたのだろう。本に書いた内容を訊こうとしていた時の様に、レラは瞳を輝かせている。


「このような大切な物まで頂いてしまって……」

「言うほど大したものでは無い。お前は未来に伝えておきたいものを書き記すという、務めをしているのだろう? だったら貰える物は貰っておけ」

「はい、私の宝にいたします」


 にっこりと微笑ほほえむ。

 やはりどうも勝手がつかめない。

 困ったような顔を逸らして手元に視線を戻すサナトの元に、ひらりと碧い蝶が風に乗った言葉を運んできた。

 森の大佳靈おおかみの元へと、謁見する機会が与えられたことを知らせるものだった。


     ◆


 森の人の里は、南の門を抜けるとまず草地の広場がある。そこを北東の奥にある広い水場から蛇行し、ぐるりと弧を描くような奇妙な形の小川が里の中心部を横切っていた。

 その広場から羽を広げたような並びで小さな家が東西に点在している。

 広場をまっすぐ北に向かうと、見上げるほどに大きく堅牢なやしろがあった。レラが「王城ではないか」と言っていた遺跡だ。


 堅牢とは言っても、数百年の年月の中にあって外壁は蔦が這い、ひび割れ、崩れている箇所もある。通常の家ならば朽ちた廃墟を思わせるところだが、この城は、森の一部となりそれ自体が巨大な生き物のようにそびえ立っていた。

 大社おおやしろと呼ばれるこの奥は、森の大佳靈が住まう場所である。

 その神霊が宿る場所へ召喚された二人は神妙な面持ちで、午後の日差しが降り注ぐ社の奥へと進んでいた。


 レラは正装なのだろう。血を洗って縫い直した下衣と、いつもの白い上衣の上に白い外套を羽織り、頭の上からかぶった赤い肩掛けを風になびかせている。サナトが最初に会った時の姿である。

 サナトの方といえば普段と大きく装いが変わるものでは無かったが、それでも、一度水場で体を清めてから参上していた。



 奥の間に進む途中で、ゆっくりと歩くダオと数人の森の人と行き合った。

 レラにとっては初めて見る、サナトと森長以外の里人である。

 ダオは一見して異形と呼ぶような姿をしているが、他の森の人から比べればまだ、生き物の姿をしているだけマシなのだという。

 猛禽の大きな土色の羽を幾つも生やし、全身が七色の鱗に覆われている者。肥大したイボ・・が樹々に絡まる蔓のように垂れ下がり、引きずっている者。八つの目を持つ蜘蛛のように、人ならざる頭と手足を生やした者もいる。

 レラは一瞬、大きく目を見開き驚いたような表情をしたが、直ぐににこやかな笑みを乗せた。


「精霊のお導きにより参りました」

「サナトの所にいる、レラさんだね」


 羽を生やした者が甲高い声で話しかけてきた。


「可愛い子じゃないか、羨ましい」

「まったくだ、こいつはサナトが張り切るのもわかる」


 次々と、笑うように声を掛けられた。

 サナトは怒ったような顔になって小さく言い返す。


「俺は張り切っているわけではない」

「素直じゃないねぇ」


 ダオが笑いを堪えつつ、サナトの背をぼすぼすと叩いた。


「俺はダオという。こいつは怒りっぽい上にすぐに拗ねるひねくれ者だ。イジメられそうになったら直ぐに精霊の助けを呼ぶといい。アッという間にお仕置きをしてくれるぞ」

「ダオ!」


 初対面相手に何を言い出すのかと声を上げた。

 レラは、サナトの隣でくすくす笑っている。


「ダオ様、大丈夫でございます。サナト様はとても優しく丁寧に介抱してくださいました。おかげ様でこの通り。私には勿体ないほどです」

「そうか、そうか、こいつでも役に立ってよかった」


 ダオも笑う。


「やっぱり可愛い女の子には優しいんだな。羨ましい」


 取り巻く森の人達に散々からかわれながら、一行は連れ立って大社の奥の間へと足を踏み入れた。



 建物は、近づくにつれ光り輝くような様相に変わっていった。

 壁は磨き上げられた獣の角のように白く艶やかに光沢を放つ。床も鏡のように滑らかで、細長い大きな窓から射す西日を受け、辺りは黄金色こがねいろに染まり始めていた。

 大社の内部にも、植物の枝がそこここに入り込んでいた。

 けれど建物を飲み込み朽ち崩そうというものでは無い。繊細に飾り付けられた美術品のように枝を伸ばし、柔らかな花をつけ、色鮮やかな鳥たちが止まる。

 レラが最初に感じた城、それも王城のような威厳を湛えた精霊の気配に溢れていた。


 その奥の間には既に十数人の森の人が集まっていた。

 どの姿も人の形を失っており、辛うじて人の範疇に収まるのは、サナトの他、森長もりおさ一人であるといっても大げさではない。

 サナトは森長が立つ最奥の手前、階段状になっただんの下で止まり、膝を折った。レラがそれに倣い、他の森の人もめいめいに腰を落とす。

 厳かな合図に森長が視線を上げると、白い柱と幾つかの樹々に彩られた壇の奥から、輝くような気配を纏った大きな獣が姿を現した。





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