1 第06話 手当て

 陽は落ちて、辺りはすっかり夜の闇が下りていた。

 蝋燭ろうそくの明かりをもう一つ増やし、綺麗な水と布、そして炎症止めの薬草など必要な物を用意してからサナトはレラの元まで戻り、黙々と準備を進める。その間レラは声を掛けることなく黙って様子を見つめていた。


「先程の煎じ薬は飲んだのか?」

「あ……はい、サナト様が仰っていたように、少し苦かったです」


 苦笑して答えながらも、残さず飲んだようだ。

 サナトは頷いて続ける。


「あれは眠気を呼ぶものも合わせている。手当てが済んだらそのまま休むといい」

「はい……ですが、どちらで?」

「そこの寝台ベッドを使え」


 レラが座る椅子のすぐ後ろにある寝台ベッドの方を見て言う。

 ぐるりと見渡しても、目の届く範囲にあるのは一つのみ。レラは戸惑うような顔で訊き返した。


「私……サナト様の休む場所を、取ってしまったのでしょうか?」


 ここに来て、この少女はまだそのような心配をしているのだ。

 本来心配するのは自分の脚の傷の具合だろうにと、サナトは半ば呆れ気味に言葉を返す。


「屋根裏にも寝床はある。俺のことは気にするな」

「はい……」

「それより」


 と、言葉を切ってから準備を終えたサナトは椅子に座るレラの前で片膝をついて、真っ直ぐ見つめる顔を見上げた。


「毒出しの唄文ばいもんは、体に入り込んでしまった余計な物、傷を化膿させてしまう悪しき物を流し出す魔法だ。区別としては精霊魔法の内だが、限りなく強制魔法の呪文に近い側面を持つ。強制魔法には危険が伴うことはさっき話したな?」

「歪みや淀み、おりをつくる……という話ですね」

「そうだ。その澱を生まないために犠牲にしなければならないことがある。唄文を唱える間は、強い痛みを伴う……」


 レラが息を飲むような気配がした。


「痛み止めの煎じ薬を飲んでいるから、多少の助けにはなるだろうが……」

「どうぞ、始めてください」


 ハッキリとした声がサナトの前に降って来た。


「私は大丈夫です。ですから、どうぞ、なすべきことに意識を向けてください」


 あまりに臆することなく覚悟を決める姿に、サナトの方が戸惑う。


「だが……」

「森長様は、サナト様がこの里で一番長けているのだと、腕は確かだと仰っておりました。精霊たちも全てを任せる様にと言っております。でしたら私が心配することは何もありません」


 そう言い切るレラは背筋を伸ばして瞼を閉じた。

 結局、一番恐れているのは、サナト自身なのだ。レラを苦しめたくないのなら直ぐにでも、出来るだけ速やかに終わるよう確実に、唄文を唱えるべきなのだ。

 サナトは覚悟を決め、「よし」と小さく声を漏らして手を進めた。


     ◆


 細い肩紐で吊っただけの、膝までの長い上衣を白い太ももの上までまくり上げて、脚に巻いていた布を取っていく。

 血は止まっていたが傷口は痛々しく、赤く、熱を持っている。もう少し傷が深ければ唄文を唱えた後に縫わなければならなかったが、厚手の下衣のおかげもあって、そこまでの必要は無いように見えた。

 もし縫合ほうごうの必要があるなら、精霊の声を聴き留めた森長もサナト一人に託さなかっただろう。


「一度止まっていた血にのせて毒を出す。始める前に、布を噛んでおいた方がいい」


 刺繍が施された赤い肩掛けを羽織るレラは、顔を上げた。

 サナトが理由を言う。


「舌を噛んではいけないから」

「わかりました」


 そう言ってレラは差し出された布を噛み、椅子の両端を掴んだ。

 両手首の腕輪に編み込まれた石が光る。卓子テーブルの上の灯火に合わせ、部屋の壁に伸びる影が揺れた。

 サナトは意識を集中させて、静かに精霊魔法の唄文を唱え始める。


「人の、肉の、血のの中に入りし、小さき、異質なるに問い申す……異質なるの、これより何処いずこと辿るか――」


 長い唄文が続く。

 レラの、椅子の両端を掴む手に力が入り始める。


「ふ……くっ……」

「――異質なるに申し願う、其の肉を腐らせ給うを眠らせ、叶わぬなら、血のにのりて其のから別れ、給う……」


 サナトの額から汗が噴き出してくる。

 レラの体内を巡る毒となる精霊に呼びかけ、どうか、願いを受け入れてくれとただ祈り唄う。ここで呼びかけている――毒となる精霊が受け入れなければ、更に強い唄文を唱えなければならない。

 それでもだめならは唄文は呪文へと強制力を強めていく。その呪文になるぎりぎり手前まで、毒となる精霊に呼びかけていく。

 レラの眉根が歪み、噛み殺すような声が布を噛んだ唇の端から漏れる。


「うぅぅ……く、んっ……うう」


 涙がにじむ。辛いのだ。

 早く、と焦る気持ちを抑えてサナトは続ける。


「願い届くなら、血の靈にのりて其の靈から別れ、給う……」

「んんっ!」


 傷口から、とろりとした粘性のある赤黒い血が溢れてきた。

 それはレラの白い脚を伝って、下に置いた大きな盆の中に落ちていく。所々、黒い塊があるのを見て、サナトは一度瞼を閉じ、気持ちを沈めてから開いた。

 精霊は応え毒は去った。

 ぱたり、ぱたり、と赤い滴が盆を染めていく。

 開いた傷口はひどく痛々しかったが、血の色は濁りと粘性のあるものから色鮮やかな赤へと変わっていった。


「……願い受け入れたる異質なる靈、血の靈にのりて、地の靈が受け止め、水の靈が清め至る。ことわりへと還り眠り給う」


 唄文に合わせて流れ出していた血が止まっていく。

 ほっと息をついて、サナトは顔を上げた。


「もう、大丈夫だ。精霊は応えてくれた」


 頷くレラの口から噛んでいた布を受け取る。

 額に汗が光る。

 レラは大きく深呼吸してから、椅子の背にもたれかかるようにして天井を仰いだ。

 サナトも子供の頃、森で腐りかけた木の枝を脇腹に刺し、毒出しの唄文を受けたことがある。子供だったとはいえ、あまりの痛さに気を失いそうになった。その後三日三晩熱を出して寝込んだが、傷は綺麗に治り今は跡形も無い。


「よく堪えた」

「はい……」


 白い胸元を上下させながらレラが薄く笑う。

 サナトは手早く血の止まった傷口を綺麗な水で洗い、切り傷によく効く薬を当ててから新しい布をきつく巻く。熱が出始めているのか、白い肌はほんのりと赤みが差し始めていた。


「水はこまめに飲んでおいた方がいい。体の中で、水の精霊が助けてくれる」


 手を洗ってから冷たい水を用意して、壁際の寝台ベッドを整えに行く。

 レラは素直に陶器のカップに口をつけてから、やっと呼吸が落ち着いたのか、何か楽しいことでも見つけたというような声で、力無く囁いた。


「サナト様は……何でも、おできになるのですね」

「何でも、とは?」

「その……お茶を淹れてくださったり、身の回りのことや、エルクと接するお姿もとても手慣れておりました。格闘術や魔法も……長けておいでで」

「身の回りのことぐらいできなければ暮らせないだろう」


 変なことを言うと、サナトは不思議に思いながら答える。


「用意ができた。寝台ベッドまで歩けるか?」

「はい」


 そう答えて卓子テーブルに手をつき立ち上がろうとするが、体に力が入らないようだ。

 それでも無理に立とうとして、ぐらりと倒れそうになる体を支え、サナトは少し怒るような声で言った。


「無理ならば無理と言え」

「あ……いえ、ひぁあぁっ!」


 ひょいと軽くレラを抱きかかえ寝台ベッドまで運ぶ。

 更に熱が上がって来たのか、レラの顔が真っ赤になった。


「あの、私……重いです」

「鎧の兵士よりは、ずっと軽い」


 この小柄な体で兵士より重かったなら、一体何を隠し持っているのかと疑う所だ。

 脚の傷に響かないよう、ゆっくりと寝台ベッドに下ろす。レラは居心地の悪そうな顔つきで視線を逸らしていた。熱と痛みのせいもあるのだろう、汗ばみ始めた肌にサナトは顔を曇らせる。


「傷に障るから今夜は湯あみを控えた方がいい。汗が気持ち悪いなら体を拭く。脱ぐのを手伝おうか?」

「いいえ! だ、大丈夫ですっ!」

「そうか」


 思ったより声は元気だから、ゆっくり休めばきっと良くなる。

 そう胸を撫で下ろすサナトにレラは遠慮がちな声で訊いてきた。


「あの……この里に、女の方はいらっしゃらないのですか?」

「森長一人だけだ。何か伝えたいことでもあるのか?」

「……いいえ、そういうことでは……」

「必要な物があれば言うといい。森長もそう言っていただろう」


 森長の言う通り、レラの怪我の責任はサナトにもある。

 極力、森の外の者とは関わり合いになりたくない気持ちから、ぞんざいに扱っていたが、今は客人であり、サナトはその世話役であるなら勤めを全うするだけである。

 レラは言いにくいことでもあるのか、落ち着かない様子でいる。

 サナトは周囲を見渡して、棚の横に置いていたレラの荷物に目を止めた。鞄からは紙を丸めたような物が見える。運んだ時、見た目より重かったから書物なども入っているのだろう。


「お前は、この世のあらゆる事柄を書物に書き留めるために旅をしていると、言っていたな」


 サナトの声に、レラは顔を上げた。


「はい。未来に伝えておかなければならない、大切なものが途切れることのないようにと、見聞きした物を書き記しております。……サナト様は、本をお読みになりますか?」

「他の森の人から文字は習った」

「でしたら私の鞄の中に備忘録や本が入っております。どうぞご自由に出してご覧になって下さい。その中で……もし間違って記している物がありましたら、サナト様のご意見を伺いたく思います。特に魔法に関することなど……」


 表情が明るくなる。

 もしかするとレラが居心地悪そうにしていたのは、慣れない場所に戸惑っているせいかもしれないとサナトは考えた。


「分かった。折を見て読ませてもらう」


 こうして話をしていたなら、レラはいつまでたっても眠りそうにない。

 サナトは苦笑するような顔を向けて言った。


「もう休め。今夜は傷のせいで熱が出る。休むことが回復を早める」

「はい……」


 大人しく横たわるレラが小さく答えた。

 開けていた窓を細めて風の流れを調整する。初夏の風に乗る夜の鳥の、低く穏やかな声が耳に触れた。

 レラはじっとサナトを見つめている。

 卓子テーブルの灯りをレラの視界に入らない場所へと移動させるたサナトは、穏やかな気持ちで呟いた。



「お前の唄文ばいもんは……とてもよいうただった」



 レラは微笑み、そして瞼を閉じた。





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