1 第05話 恐れるということ

 こじんまりとした部屋の中央には、さほど大きくない四角い卓子テーブルと椅子が三脚。正面の棚には森で獲れた細々とした物が入った瓶が丁寧に並び置かれていた。入って左手に煮炊きをするかまどがあり、鍋や薬罐やかんを揃えている。

 目に見える範囲は必要最低限の物ばかり。

 右手奥の壁際には簡素な寝台ベッドがあり、窓の向こうには黄昏たそがれの残光が、樹々の合間から見えた。整理のついていない細々としたものは、ベッドの足元近くの壁沿いにある階段上、半二階の屋根裏に置いてある。


「お前の荷物はここに置くぞ」

「はい」


 棚の横にレラの荷物を置いたサナトは、部屋の空気を入れ替えるために窓を少し開けて風を通す。夜の虫の音が風に乗り、部屋の中に流れてきた。


「とても……片付いていらっしゃるのですね」

「意外だとでもいうのか?」

「いいえ、その……どなたかと一緒に暮らしてはいらっしゃらないのですか?」

「今は俺一人だ」


 短く答えながら、竈の灰の下に残していた種火を使って蝋燭ろうそくを灯し、湯を沸かす準備を始める。火を熾すため、新たな薪を手に取りながら言葉少なく続けた。


「冬の終わりに、サナカは深淵へと旅立った」

「サナカ……様?」

「俺の育ての親だった森の人もりのびとだ」


 手際よく薪を組んでから、精霊の力を借りて火を大きくする。

 棚の瓶にある痛み止めの薬草はどれだったかと探しながら、ふと、棒立ちでサナトを見つめていたレラに振り向いた。


「座ったらどうだ。足も痛むだろう?」

「え……あ、あぁ……そう、ですね」


 申し訳なさそうに側の椅子に腰かける。

 先程の心躍るような表情と打って変わって、レラは落ち着き無さそうにサナトの方を見つめていた。そして口ごもりながら訊いてくる。


「あの……深淵に旅立つ、というのは……お亡くなりになったのですか?」


 探していた瓶を見つけたサナトは、レラの言葉に手を止め振り向きなおした。


「すみません……辛いことを訊いてしまったでしょうか」

「あぁ……そういうことか」


 サナトは肩の力を抜いて独り言のように呟いた。

 里特有の言葉は、外の人には分かりにくい。


「森の人は……そうだな、人としての形が崩れ命の終わりが近いと知ると、森の更に奥にある深淵へと旅立つ。そこで森に還る……精霊の一部に戻っていくんだ。それはつまり、死と同義であると理解している」


 そう答えて、ゆっくりと薬草を煎じる準備を進める。

 背中にレラの視線を感じながら、サナトは視線を手元に落としたまま問いかけた。


「お前は、人がどういう理由でここに来て、森の人となるか知っているか?」

「……明確には存じません。精霊と深く関わり森の一部となる暮らしをするためと……聞き及んでおります」

「それは間違いではないが全てではない。人として生きることを捨てた者が、森の大佳靈おおかみの許しを得て森の人となる」


 一度言葉を切ってから、サナトは言った。


「――人として生きることを捨てた者とは……魔法に蝕まれた者たちだ」


 レラの、息を詰めるような気配が背中越しに伝わって来た。


「魔法……それも強制魔法は、精霊を無理やり使役して大きな力を現す法だ。途方も無い奇跡と共に大きな歪みや淀み、おりをつくる。澱は妖魔を生み出す元となる。その場その場で元の精霊――混沌や大地の一部に戻せばいいのだが……それでも多く使い続ければ、相手や術者の体に溜まる。やがてそれは毒となって蝕んでいく」


 小鬼を戻す時に噛みつかれた痛みを思い出す。


「人がそのまま、妖魔になることもある」


 あれほど他愛ない小さな妖魔でも、全身の生気を奪われるような思いをするのだ。もっと大きな、力の強い妖魔に対峙したなら一人の力では太刀打ちできないだろう。

 サナトが振り向くと、レラは恐ろしい話を聞いたとでもいうような顔でうつむいた。

 森の外に暮らす者は誰もが精霊の声を聞き取れるわけではないという。正しい魔法の知識が伝わっていないか、もしくは意図的に真実を隠されたり、歪曲されているのだとサナトは聞いている。

 人にとって都合よく魔法を使うため。もしくは、使わせるために。

 レラは気持ちを落ち着けるようにしてから、ゆっくりとした口調で言った。


「魔法はむやみに使ってはいけないと……特にご年配の方々から、聞くことがあります。ですが、普段そのような話はあまり聞き及びません」

「だろうな。魔法の使い方を誤れば妖魔になる、と聞いたなら誰も使いたがらない」


 湯が沸き、薬草の香りが部屋に広がり始めた。

 サナトは匙でゆっくりとかき混ぜながら話を続ける。


「サナカは名を馳せた魔法の使い手だったと聞いている。精霊の声をよく聴き、俺にも魔法の良し悪しをよく話していた。そのような人でも魔物と呼ばれる姿となって、体に溜まった毒を消し去ることはできなかった。そして……命の終わりが来たと知った時、深淵へと旅立った」


 雪降る冬の終わりの朝。

 サナカは何も告げずに、家を出ていった。

 それが掟だと聞いていた。

 サナトは寝台ベッドの中で眠ったふりをして毛布を握りしめていた。

 精霊たちと、ナギだけがずっと側に寄り添っていた。

 煎じた薬草をしながら、サナトは手頃なカップに湯を淹れる。それを、レラの前の卓子テーブルに置いた。


「少し苦いと思うが、痛み止めになる」

「サナト様も……」


 レラは見上げ、僅かに声を震わせながら言った。


「……サナト様も、体に毒をお持ちなのですか?」


 目の前の少女とおそらく歳の頃は変わらないだろう。

 十代の若さで体に澱を溜めて、妖魔になるのかと不安に感じたのか。そう思ったサナトは胸が冷える思いを押し留め、軽く笑いながら答えた。


「俺は例外だ」

「例外?」

「赤ん坊の頃に、森の入り口にある祭壇のやしろに捨てられていた」


 ただの事実なのだから、そこに何の感情を挟む余地も無い。

 その後、親であろう者が様子を伺いに来たという話は聞かない。

 どこの誰かも分からない。ただ、必要なかったから捨てた。それだけのことだ。


「この魔獣のような目が恐ろしかったのだろう」


 それでも嘲笑するような声になるのは何故だろう。

 獣のような金色の瞳。自分で見ても、恐ろしい目をしていると……思うことがある。


「そんな!」


 突然、レラが身を乗り出すようにして声を上げた。


「サナト様の瞳はとても綺麗です! 琥珀のようで、深みがあって、柔らかで……その、全てを包み込むような優しさがあります!」

「……こはく……?」

「はい。琥珀というのはその、透き通った明るい黄金きん色で、樹液が固まり永い年月をかけてとても硬い石になった物です! 黄金色だけじゃなくて飴色のものもありますが、サナト様の瞳は明るい――」

「いや、その……琥珀が何かは知っているが……」


 はっ、と息を飲んだレラは、見る間に顔を赤くして両手を頬に当てた。


「あ! いやだ私、勘違いを……すみませんっ!」

「いや……」

「で、でも、恐ろしいなんてことは、ありません」


 気恥ずかしさに涙を溜めながらも、レラは念を押すようにもう一度言った。

 と、その時、扉の外に人の気配がして軽い声が掛けられた。

 森長もりおさが訪ねてきたのだ。扉を開け招き入れたサナトに、腰よりも長い黒髪と角を持つ森長は、笑いを押し殺したような声で静かに言いながら部屋に入った。


「話が弾んでいたようだ。楽しそうな声が外まで聞こえていた」

「弾んでいたわけでは……」


 言い訳のように答えながらもサナトは森長にレラを紹介した。


「この人が精霊の導きで森に招かれた……」

「フィオレラ・ムードラスチ・フラームと申します。どうぞ、レラとお呼びください森長様」


 サナトの言葉に続いて名乗りながら立ち上がろうとする。

 それを森長は手で軽く制して答えた。


「座ったままで。怪我をしていると聞いている、無理はせずに」

「ありがとうございます」


 立ち上がりかけた腰を戻してレラは素直に座り直した。

 森長はそのままサナトが引いた、レラと対面に位置する席に腰掛ける。サナトより長身の、三十代初めに見える美しい顔立ちの者だが、一対の、頭の両側より後ろに向かって生えた大きな青黒い角は見る者を不安にさせるのだという。


「私はこの里で森長と呼ばれている者だ。比較的人のような姿を残しているが、恐ろしければ目を伏せていよ」

「いえ、そんな……とても神々しく思います」

「ふふふ……言葉が上手だ」


 森長が微笑む。


「風から旅の者だと聞いている」

「はい、私は遥か西方、ダウディノーグ王国の北荒野にあります寺院から参りました。この世のあらゆる事柄を書物に書き留めたく、旅をしております」


 国名を聞いた瞬間、森長は僅かに目元を歪ませた。

 だが声音は変えず労いの言葉を返す。


「それは、とても遠いところから。一人旅では危険も多かろう」

「確かに危険もありますが、多くの素晴らしきものを見聞きすることができます。それに私には頼もしいエルクと、この世に満ちる精霊のお導きがございます」


 森長が頷く。

 現にその精霊たちによって、本来ならば立ち入ることの許されない地に招かれている。


「あの、本当に森へ入れて下さりありがとうございます。気づかず迷い込んでしまったことではありますが、サナト様を……ずいぶん、困らせてしまったようで……申し訳ありません」


 初めてサナトがレラと会った時、精霊の導きとは気づかなかった為に「森を去れ」と厳しく言い捨てていた。不当な侵入者と一戦交えたばかりだったせいで、気が立っていたというのもある。

 森長は一度、側に立つサナトを見上げてからおかしそうに口元を綻ばせた。


「気にせずともよい。サナトが困ったならば、それは己の未熟故だ」

「そう……なのですか?」

「むしろ謝らなければならないのは私たちの方だ。侵入者を止めることができず、客人に怪我をさせた。ここに居る間はこのサナトに世話役を申し付ける故、必要なものがあれば何でも命ずるがいい」


 森長が「よいな?」と有無を言わせぬ笑顔でサナトを見上げる。

 もとより森長が命じるならば、サナトに「いな」という言葉はない。


「わかりました」


 短く答えて口を横に結ぶ。

 一方、戸惑うのはレラだ。


「そんな、勿体ないお言葉です。私はその……この森に入れてくださっただけで十分です。木の洞でも何でも見つけて休みますので、何のお構いもなさらずに」

「それでは私が森の大佳靈に叱られる。それに、脚の傷はあまり良くない様に見える。このままでは膿んで、しばらく動かすこともかなわなくなるぞ」


 傷口を目にしたわけでもないのに、森長は全てを見通しているかのような瞳と声で言った。


「サナト、毒出しの唄文ばいもんで手当てをしてあげなさい」


 ゆっくりと立ち上がりながら森長が命じた。

 魔法を使えというのだ。

 さすがに戸惑い、サナトは言葉を返す。


「ですがその魔法は……」

「この里で一番毒出しの精霊魔法に長けているのはお前だ。サナト、魔法を恐れるということは精霊を恐れるということだ」


 森長の言葉にサナトはぐっと息を飲み込む。

 手足の先からざわざわと這い上がってくる、震えに似た恐怖を押し込めて、答える。


「わかりました。直ぐに準備します」

「レラ殿。サナトの腕は確かだ。ゆうるりと休むがよい」


 そう短くレラに告げて、森長は部屋を後にした。






  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る