1 第03話 闇の種

「この剣の傷か」


 手に持つ兵士の長剣に視線を向けて呟いた、サナトの声には怒りが滲んでいた。

 わずかに息を詰めて、視線を落としたレラは頷き答える。


「はい……そこの方が飛び出した時に。よほど驚いたのでしょう、たまたま持っていた剣がぶつかっただけです」


 明確な意思をもって襲い掛かったというよりは、レラの言う通り、人影に驚いて振り回した剣が当たったというのが正しいのだろう。だから兵士に殺意は無かったのだと、弁護する気持ちが滲んでいた。


「……見た目ほど深くはありません。さ、まいりましょう」


 そう言ってレラは立ち上がり、ぽんぽんと軽く上衣を払いながら微笑ほほえむ。

 当り処が悪ければ只では済まなかっただろうにと、サナトは心の中で呆れるが、本人が赦すのであればそれ以上口を挟むことではない。続いてサナトも立ち上がり、気を失う兵士の方へと足を向けた。


 沢に落ちていた簡素な兜は擦り切れ、所々へこみが見える。

 手にしている鉄錆びた剣も同じ。「兵士」として見るには、身を守るべき持ち物への手入れがあまりにも雑すぎる。簡易ではあっても、揃いの鎧を身に着けていたから兵士なのだと思っていたが、違うのだろうか。

 ふと振り向くと、エルクの手綱を持ったレラが首を傾げていた。


「何をしている。エルクに乗らないのか? 外への道は足場も悪い」

「えぇ……そう、ですね」


 言われてレラは心配そうな顔のエルクに振り返る。

 エルクは背に荷を載せてるがそれほど多い量ではない。地面から肩までの体高も、レラの肩ほどまである立派な体格をしている。人一人ぐらい乗せるのは問題ないだろう。あしを怪我したなら騎乗すればいい。

 だがレラは戸惑うようにエルクを見てから、サナトの方に顔を向け直した。


「その……私が乗っては、そこの方を運べないのでは?」


 レラは気を失ったまま、一向に目を覚ます気配のない兵士を心配しているのだ。サナトは沢の岸辺に転がっている兵士を見てから、呆れたような顔でレラに向き直った。


「お前は、自分を傷つけた相手を大切なエルクに乗せられるのか?」

「いえ……その……」


 今度はレラの方が戸惑う表情で口ごもる。


「確かに、傷つけはしましたが……私を恨んでのことではないでしょう。これはその、ただの不運な出来事、災厄だったのです。ですから……」


 真っ直ぐにサナトを見上げながら、レラが困ったような顔で答える。

 サナトは体から力が抜けるような感覚にうな垂れた。この少女はどこまでお人好しなのだろう、と。


「俺のことは気にするな。この程度なら担いで歩ける」

「えっ!? 鎧を着ているのですよ? 重たいですよ?」

「精霊が力を貸してくれる」

「あぁ……」


 そうか、魔法があったかと、やっと納得したレラは安心したような顔を向けた。

 レラがエルクに騎乗する間にサナトは兵士の元で膝を付き、意識を取り戻さないかともう一度軽く頬を叩いた。だが、おそらく二十代初めと思われる年若い兵士は小さく呻き声を漏らすばかりで、目を覚ます気配は無い。

 緊張の糸が切れたばかりでなく、おそらく魔法を使った反動もあるのだろう。

 仕方がない、とサナトは短い唄文ばいもんを唱え体の筋力を上げてから、肩に兵士を担ぎ上げた。兜と剣も忘れずに手に取る。わざわざ運んでやる義理は無いが、森に穢れた武器を置いたままにするのは不快だった。

 準備が整ったサナトが、ふとレラの方を見る。

 怪我をしながらもどうにかエルクに騎乗できたようだが、様子がおかしい。


「どうした?」

「どうしたのでしょう? ムー、行っていいのよ」


 ムーというのが、このエルクの名前なのだろう。レラは手綱を譲りながら声をかけるものの、エルクは戸惑うように足踏みするばかりで進もうとしない。


「さ、あの方の後に続いて、ムー」

「慣れない道で戸惑っているのか?」

「そのようなことは無いと思うのですが……険しい山道も、ずっと一緒に歩いてきました」


 道とも言えない沢の岩場である。

 もしや前に人が立って手綱を引かれなければ進めない、とでも言うのだろうか。そう思い、サナトが手を伸ばすとエルクはあからさまに、いやだ、と言うように頭を上げた。

 他人に手綱を触られたくない、というだけではなく、ここを動きたくないという意思表示のようにも見える。


「どうやらエルクはこの場に留まりたいようだ」

「……でも、深淵の森に人は……」

「獣のが嫌だというのなら無理強いはできないだろう」


 サナトが大きくため息をついた時、侵入者たちを追い払ってきた銀狼、ナギが戻って来た。

 決して小柄ではないサナトの、腰上まで体高のある大きな狼の出現にレラは息を飲む。エルクも僅かに怯えるような顔を向けた。


「問題なく奴らは追い払ったか」


 サナトの問いかけにナギは頷くように頭を上下させ、尾を左右に振る。

 ピンと張った耳や笑うような口元はいかにも自慢げだ。サナトは「よくやった」と褒めるように声をかけてから、レラの方に向き直った。


「先にこの兵士を森の外まで置いてくる。俺が迎えに来るまでここで待っていろ」

「ですが……」

「心配なら銀狼を置いて行く。その間に傷の手当てでもしているといい。ナギ、この者たちを頼んだぞ」

「おんっ!」


 サナトの新たな命令にナギは元気な声で答え、ぺたんと腰を下ろし尾を振った。

 言うまでも無く、先程の兵士たちと違い少女に害意が無いことを感じ取ったのだろう。サナトはナギに頷き返してから、肩に兵士を担いだまま深い森の樹々の間へと入って行った。


     ◆


 森は静かに風を流しながら鳥たちの声を響かせている。

 サナトは兵士が侵入してきた場所には戻らず、深淵の森の人が唯一、近隣の村人たちと交流する森の外縁に建てられた祭壇のやしろへと向かった。


 ひとつは兵士が目を覚ました時、村までの道があること。もし目を覚まさなかったとしても、社に置いておけば誰かが見つけ出し村まで運んでくれるだろう。そしてもう一つの大きな理由が、解かれた結界の場所に妖魔が集まっている可能性があるためだ。


 サナトが兵士らを追い払った時に使った魔法は、地を穢すことのない精霊魔法である。

 この世に満ちる精霊にうたを捧げ一体となり、奇跡を起こす。その根本は精霊主導の法であり、人はその力の一端を借り受けているに過ぎない。だから破壊的な力になることは無いし、精霊が拒絶すれば発動自体もない。

 精霊が自然の調和を崩さない範囲で表す奇跡だからこそ、穢れは起きない。

 だというのに、サナトが魔法を使うと妖魔を呼ぶことがあるのだ。


「呪い……か」


 自らを厳しく律し、正しい唄文を唱え、誰よりも森の穢れを嫌う。

 なのに妖魔を呼ぶサナトを、誰かが「呪い」と言った。


     ◆


 人気ひとけのない社の祭壇近くに兵士を置き、その側に兜と剣も並べる。

 兵士は昏々と眠り目を覚ます気配は無い。

 念のため兵士を守護する精霊に様子を確かめてみたが、最初に見立てた通り、緊張の緩みと魔法に触れたせいだとの答えが返った。このまま明日の朝まで眠れば目を覚ますだろう。

 サナトは静かに社を出て、真っ直ぐ結界を解かれた場所へと向かった。


 陽は西に傾き、辺りは黄昏たそがれの色に染まり始めている。初夏の風が抜ける森は、昼間の出来事など夢であったかのように穏やかだ。

 百年前と変わらないでいるのだろう、翡翠に彩る森の樹々。

 天に向かって箒を逆さにしたように枝を伸ばす大樹から、綿毛を纏った種子が雪のように舞い飛んでいる。

 銀色の羽虫が行く。

 静かに、穏やかに、過ぎていく夕暮れ時。

 けれど――綻びたままの結界の辺りには、妖魔とも呼べないほど矮小ながら、数匹の小鬼がうろついていた。


 微かに、粘りつくような腐臭が漂う。

 濁った土色の肌に細い枝を繋ぎ合わせたような手足。目ばかりが大きい小さな子供のような体格ながら、裂けた赤い口には鋭い牙がある。

 ザビリスと取り巻く兵士たちはナギによって遠くまで追い立てられたのだろう、舞い戻って来ている気配は無い。サナトは小さくため息をついてから、気を引き締め直し、大きく深呼吸し直した。

 サナトの気配に気づいた小鬼が「キキッ」と耳障りな声で鳴きながら、にじり寄ってくる。樹々の間に立ちながら静寂を保つサナトは、ただ周囲に満ちる精霊の気配を全身で感じ取るために瞼を閉じた。


 妖魔との戦いはとても難しい。

 剣などで斬れば簡単に形を失うが、ただ斬っただけではまた湧いて出て来る。

 本当の意味で「妖魔」という形を消すためには、調和のとれた精霊の一部に戻さなければならない・・・・・・・・・・

 多くの人はそれを知らないか、知っていても戻せないため、一度妖魔が湧けば何度倒しても湧き出すを繰り返すという。繰り返すうちに妖魔は強く狂暴になってゆき、やがてその地は穢れ、人も獣も住めない、草花一つ芽吹くことのできない荒野となる。

 今目の前にいるような小鬼の内に、精霊へと戻さなければならない。


 妖魔はおりが形になった物なのだ。


 魔法の中の都合のいいものだけを無理やり引き出した際の歪みであり、残りかすであり、残骸ざんがいでもある。本来光と闇は均等に調和する、樹々の木漏れ日にある日向と木陰のようなものだ。

 闇だからと拒絶し斬り捨てるのではない。

 光と対であったことを思い出させる。世界の一部に戻す。

 祈りの形に手を組み、サナトは静かに精霊唄文を唱えはじめた。


「水の、其のものの流れ整え、火の、穢れは光と還る」


 小鬼が襲い掛かりサナトに噛みついてきた。

 腕や脚に、鋭い牙が食い込む感覚に奥歯を噛む。

 だが、実際に体を傷つけているのではない。小鬼はサナトの体に触れた瞬間に燃え、水が蒸発していくように消えていく。形としての体は消えていくが、小鬼のは怒りや憤りとなってサナトの中に喰い込んでくる。それが痛みとなって感じられるのだ。


 痛みは毒のように心の奥へと落ちてゆき、同調すれば心と体を蝕んでしまう。

 妖魔となってしまう。

 引きずられてはいけない。

 踏みとどまれと心の中で言い聞かせ、瞼を開き、唄文を続ける。


「風の、其の自由を示せ、土の、受け入れたもう」


 黄昏の光の中、金と翠に輝きながら、梢が、草花が、風に揺れる。

 靴底を介した足の裏に大地の柔らかな感触を思い出す。

 小鬼だった澱が断末魔を上げる。

 お前は、あの少女のように人を赦すことができない。冷たく凍える怒りの火種は、やがて深い闇となって芽を出すだろう――と。


「黙れ……」


 捻じ伏せる。

 小鬼の体は既に消え、喰い込ませた憤怒の想いはサナトの中を経て、水の流れのように大地へと落ちていく。

 世界の――精霊の一部に戻していく。

 実際には僅かな時間なのだろう。だが「戻し」の時は、永遠に続くような感覚に陥る。陥りはするのだが、それでもやがて周囲に完全な調和が整い、鳥の声と虫の気配が戻ってから、サナトはゆっくりと祈りの手を解いた。

 と、同時に肩で大きく呼吸を繰り返して膝を折り、地面に両手をつく。


「かはっ! はっ、あぁぁ……っ。はっ!」


 どっと汗が吹き出し、力が抜ける。

 極度の緊張と集中が解けたせいか、そのまま崩れる様に倒れ込んだ。

 視線を向けると結界も元通りになっている。


「よかった……無事に、戻せた……」


 直ぐに、あの沢で待っている少女の元に向わなくてはならない。

 そう思うのに全身を覆う疲労感に腕を動かすのも辛い。サナトは観念して、横たわったままもう一度大きく深呼吸をした。

 サナトは決して強制魔法を使ったわけではない。

 なのに、どうして妖魔が湧くのか。


「呪い……」


 サナトは赤子の頃、祭壇の社に捨てられていた。

 魔獣と同じ金色の瞳をしているせいだと耳にしたことがある。不吉だと。この子供はいずれ恐ろしい魔物になると恐れられたからかは、分からない。

 いずれにしろ、結界に閉ざされた深淵の森の奥で育てられた。

 そこで正しい魔法の使い方と精霊との接し方を学んできた。季節の移ろいと共に森に息づくものたちと暮らし、必死に、穏やかな世界を守ろうとしているのに、サナトの力は大切なものたちを傷つけていく。


「何故、だ……」


 自分の存在自体が森を、世界を穢すのだろうか。

 だから、捨てられたのか。

 そう思うと、込み上げる悲しみと怒りが止まらない。両手で顔を覆い、呻く。



「俺は魔物ですらない。既に、人の皮をかぶった妖魔……なのではないだろうか」



 闇を生み出す種なのではないか。






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