第49話 家路
事件から一か月あまり経った夜。
ガルデニック・グエンが、ロナウの店でカウンターに腰かけていた。店内に客はいない。蝶ネクタイ姿の若いバーテンダーが一人、グエンに向き合っていた。
「もう一杯もらえないだろうか。かすかに香るかんきつ類が、実に楽しい。美味だ」
バーテンダーは微笑を浮かべて、空になったシェイカーを傾けてみせる。
「恐れ入ります、総督閣下。ラストオーダーは、もう過ぎていますので……」
「……分かった。もうそんな時間になったか……」
ボギーがカードを受け取り精算した。グエンは客のいなくなった店の角席に座るロナウへ視線を移した。ロナウは暇そうに水タバコをふかしている。
「おい、蛇! Sクオリファーは、いつここへ戻ってくるんだ?」
呼び捨てにされたロナウは水タバコのパイプをくわえながら横柄に答えた。
「なんで俺にそんなことを聞くんだ総督閣下?」
「やめろ。貴様が閣下などとへりくだったところで、むしずが走る」
「お前は客、俺はもてなす側だ。丁重な受け答えをして、どこが悪い?」
ロナウがニヒルな笑みを浮かべると、グエンは苦笑した。
「そうか。夜を明かしてポーカーをしていたあの頃にはもう戻れないか。今や私はフェムルトを占領する総督。貴様は、占領される側のしがない水商売の小店主」
「おいおい、客だからって店主様をけなすな、馬鹿野郎」
傍らにいたボギーは、二人が喧嘩をし始めないかハラハラしだす。バーテンダーがカウンター越しに身を乗り出して、ボギーをこっちへと手招き避難させる。
「全く、人間というものは」
そうつぶやき、グエンは今一度店内を、ロナウ、ボギー、バーテンダーへと視線を移していった。バーテンダーを見据えたとき、目がかすかにうごめいていた。
やがてグエンは店内に向かって、誰に話すでもなく語り出した。
「一か月前の事件は、占領統治を揺るがす大事件だった。しかしあの事件に対する彼女の功績は計り知れないものがある。私は帝国貴族院にもそのことを報告し、正式にSクオリファーの逮捕拘束を無効とする手続きを取り付けた。そればかりか、ハーン二等勲章授与の話もあるのだ。私はどうにかして……」
「おい、もう店じまいの時間なんだ。とっとと出ていけ!」
グエンはなおも何か言いたげだったが、ロナウの方が澄ました顔でそれまでとばかり目を閉じてしまった。仕方なくグエンはパンゲアノイド式に別れの挨拶で手を振った。ロナウは片目を開けて投げやりに手を振りかえしていた。
外に止められていたグエンの公用車がエンジン音を上げる。やがてそれも遠くへ消えた頃、見計らっていたボギーがバーテンダーに向き直った。
「やったぜ! グエン総督、全然気付かなかったじゃん!」
バーテンダーは右足に不自由しながらカウンターを出てきた。バーテンダー姿から、変身を解いたラティアになる。ロナウがやれやれと腰を上げていた。
「ロナウさん、あなたはグエンとツーカーだったんじゃないの?」
「あん? なんのことだあ?」
ロナウは水煙草を片付けながら、気のない返事でとぼけている。しかし別れ際に示したグエンとロナウの挨拶は、パンゲアノイド流では最上級の敬意を表す挨拶だった。
ゲリラ十四の拠点はそこに出入りしていたロナウが知りうる情報だった。どちらから持ちかけたかは分からないが、人間に治安統治府側が弾圧を加えている印象にならないよう、ロナウがゲリラ内部に潜入し制御しようとしていた、というところだったのではないか?
「なあ、ラティア。グエンもああ言ってるんだ。ファンデリック・ミラージュでバーテンダーに見せかけて身を隠さなくてもいいんじゃねえか」
ラティアは笑って首をすくめた。
「ううん、嫌よ私は。グエンの前に出ていくなんてまっぴら。勲章をくれると言ったって、どうせその授与式に私を引き連れて一緒に出たいだけでしょ? 魔性の機械戦士を手なずけた英雄、ガルデニック・グエン凱旋とか言って。きっと、五時間くらい授与記念演説をするのよ」
ラティアが身振り手振りを交えて話すと、そうに違いないと、ボギーが笑う。ロナウも片付けがてら、ニヤニヤ笑っている。
「それにしても、酒を飲まない奴がバーテンダーなんか勤まるのかよ……」
「あら、ちゃんとロナウさんのレシピ通りに作ってるわよ? いざとなったらファンデリック・ミラージュで酔っぱらわせてごまかすわ」
「おい、それじゃ詐欺じゃねぇか! お前、俺の店を潰す気かっ?」
「心配ないわよ。でも何かあったときは、ロナウさんお願いね」
「何かあったときって、何をどうすりゃいいんだ!」
「なによ、帰ってこいって言ったのはロナウさんだからね!」
「だめだ、バーテンダーはやめろ! 」
「お店が潰れないように頑張ってね。私も一生懸命頑張るけど」
「アホウ! 無理やり話を既定事実化するんじゃねぇ!」
「だって私、足が不自由なんだもの。歩き回らない仕事がいいし、それにシェイカー振るのって、かっこいいじゃない」
ラティアはカウンターに置いてあったシェイカーをつかむと軽く宙へ放って廻して見せた。
シェイカーは柔らかな銀の輝きを放ち、ほほ笑むラティアの手に収まった。
「こいつ……性格変わったなぁ……」
あきれるロナウに、ラティアは勝ち誇ったように指を鳴らした。
「……まぁいい、店じまいにするぞ」
「ふふ。ありがとう、ロナウさん」
三人はコートを羽織って店の外に出た。うしろで蝶番がきしんだ音を立てて扉が閉じる。ロナウが鍵をかけている。隣でボギーが声をかけてきた。
「夜もだいぶ暖かくなってきたなあ」
「うん。あったかい」
足元石畳の雪はすっかり消えていた。見上げる空には霞かかる月がある。
ロナウ、ボギー、そしてラティアは、新渋谷の夜を家路についた。
Sクオリファー・ワン・ラティア 倭人 @wajin
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