第13話 他人を知ると言う事
「や、止めろ!止めてくれっ!!」
駿太の眼下で、勝田が必死な形相で助けを乞う。だが、殺意に満ちた駿太の右手に握られた鉄製の刀は止まらなかった。
ガンッ。
鈍い音が駿太の耳に聞こえて来た。勝田は拘束された身体で、唯一自由になる首を限界まで捻り刀を避けた。
駿太が振り下ろした刀の先は、パイプ椅子の背もたれに食い込んだ。殺意に任せて行為に及んだ駿太に、その鈍い音は今自分がしている事を客観的に知らしめた。
「くそが。悪あがきしやがって」
駿太は口汚く勝田を罵り、第二撃の為に再び右腕を上げる。勝田は激しく息を切らせ、怯えた表情のままだった。
その時、駿太の目に勝田の着る作業服が目に入った。何の変哲も無いベージュ色のその作業服に、何故か駿太は目を離せなかった。
その理由を、駿太自信が分かりかねていた。何故勝田の着ている服などに気を取られるのか。
そして駿太は気付いた。勝田の着ている作業服が、汚れ一つ無い清潔な状態な事に。それだけでは無かった。
丁寧にアイロンをかけたのだろう。作業服には、シワ一つ無かった。男が毎日着る作業服にそんなに気を使うのだろうか。
そんな疑問と違和感が、駿太の行動を停止させていた。そして駿太は何かに気付いた様に勝田の背後に回る。
椅子の背もたれの後ろで縛られていた両手を見る為だ。駿太は勝田の左手の薬指を確認する。
『······コイツ。結婚しているのか』
駿太は心の中で呟いた。勝田の薬指には、銀の指輪がはめられていた。その瞬間、駿太の脳裏に想像が広がって行く。
勝田の妻が夫の為に毎日作業着を洗い、アイロンをかけている。その想像だけで、勝田夫妻の仲の良さが伺えた。
勝田に子供はいるのだろうか。いるとすれば何人?今何歳なのか?親や親戚は健在なのか。近所にも親しくしている友人がいるのか
?
駿太の頭の中を次々と疑問が駆け巡って行った。そして残りの椅子に座る三人に対しても、駿太は同様の事を考えてしまった。
気付いた時、駿太は手にした刀を地面に落としていた。そして顔を俯け、両眼から涙を流していた。
屈辱を受けた過去の自分の仇を取れない不甲斐なさ。殺人行為を犯そうとしていた自分への嫌悪感。勝田達憎むべき者達にも家族がいるという事実。
様々な感情が入り混じり、駿太は自分自身が何をしたいのか分からなくなった。
駿太の過去の憎しみの中に存在した者達。その者達の表面上の外面だけを知っているのなら、駿太は殺意のままに殺人行為に及ぶ事は容易だった。
それは例えると、魂の無い人形を壊す行為に似ていた。だが、勝田達にも家族や友人が存在する。
そう考えてしまった瞬間、人形には魂が宿り温かい血が通って行く。それは正に、心がある生身の人間だった。
駿太の目の前には、生身の生きている人間が居た。そう実感した時、駿太にはもうその人間を殺す事は出来なかった。
駿太が顔を上げた時、目の前に居た勝田達の姿が消えていた。残されたのは、安価なパイプ椅子だけだった。
「残念だわ駿太君。貴方なら見所があったと思ったのに」
クッキーを咀嚼しながら散華はそう言った
。言葉とは裏腹に、散華の声色は全く残念そうに駿太には聞こえなかった。
「······あんたに見る目が無かったって事だよ
。中途半端な俺には、こんな大それた事なんて出来ない」
駿太は半ば乾いた涙を拭い、散華に向かい合った。
「また明日から嫌な仕事を続けるの?駿太君
」
散華は唇についた小麦粉の粉を舌で舐めながら質問する。
「······そうだな。人間には分相応って言葉がある。俺にはそれが合っているんだろう」
「······駿太さん。良くぞ踏み止まりましたね
」
駿太の言葉に返答したのは、散華では無かった。駿太は声の聞こえた方向に振り返った
。
そこには、白い和服を来た女が立っていた
。
「······あんたは?」
駿太は戸惑いの声を出しながら、白い和服の女を見た。女の肩より少し長い髪は乱れ白髪混じりだった。
小さい瞳に低い鼻。歯並びは悪く、頬には吹き出物が多くあった。身体は肥満しており
、その女は、美しい散華とは対照的な容姿をしていた。
「······私は醜いでしょう?仕方無いのです。これは、私の行いの罰なのです」
女は弱々しく笑い、自分の事を語りだした
。女は人間だった頃、周囲から絶世の美女と讃えられていた。
だがその傲慢な性格が災いし、痴情のもつれからナイフで刺され死亡した。そして散華と同様、上司から仕事を手伝う事を条件に再び命を与えられた。
だが、生き返るにはある条件があった。それは、醜い容姿に変わる事だった。女はそれでもその条件を受け入れた。
「······私はどうしてもまた生きたかった。例えこの醜い顔と身体でも。駿太さん。生きると言う事は、それ程にも尊いのです。貴方はそれに気づき、見事に引き返せない道から脱しました」
女の与えられた仕事とは、散華とは真逆の物だと言う。想像力を行使し完全犯罪を犯す物を諭し、正しい道へと誘う役目。
だが、女は途中で手出しする事は許されなかった。駿太の様に自力で踏み止まった者に対して、初めてその姿を見せる事が叶うと言う。
「駿太さん。貴方の前に並んでいた四人の人生を見せましょう」
白髪混じりの女がそう言うと、駿太の脳裏に走馬灯の様に様々な光景が流れて行った。それは勝田達四人のこれ迄の人生であり、喜びや挫折。苦しみや葛藤の歴史だった。
それを見た駿太は、自分の中にあった黒く淀んだ殺意が消えていた事に気づく。人間は大なり小なり似た様な物を抱えで生きている
。
駿太はそう感じた。そして白髪混じりの女を見る。
「······あんたも。散華の様に上司からノルマを課せられているのか?」
駿太の質問に、女は困った様に笑った。
「······はい。ですが時代でしょうか。駿太さんの様に思い留まってくれる人は貴重なんです。皆、心の中に殺伐とした感情を持て余している様です」
白髪混じりの女の言葉を、駿太は何となく理解出来た。他人なんてどうでもいい。自身を含めて、そんな人間ばかりかもしれないと駿太は思った。
「残念だけどお別れね。駿太君。元の世界へ戻りなさい」
指についた小麦粉の粉を払いながら、散華は話は終わったとばかりに駿太に通告した。
「······散華。君の本当の名前は何て言うんだ
?」
駿太の何気無いこの一言に、散華の表情は
一瞬凍りついた。
「······何故?駿太君。私の名前が他にあると何故思うの?」
散華は感情の欠落した口調で駿太に問いただす。
「確信がある訳じゃない。君は言った。自分の名を儚げだが気に入っていると。まるで誰かにつけられた名前の様に俺には聞こえたんだ」
何故こんな質問をしてしまったのか。駿太は自分自身でも分かりかねていた。
「······そうよ。この散華と言う名は上司につけられた名前なの。人間だった頃の名前はもう忘れたわ」
散華は俯きながら、白い地面を見つめていた。
「······散華。君の幸せが何か。何処に在るのかは俺には分からない。でも、君にも幸せが訪れるといいな」
殺意の沼に溺れそうになった駿太は、誰でもいいから人間らしい言葉を口にしたかった
。それがたまたま目の前の散華だった。
「ありがとう駿太君。嬉しいわ。貴方にも幸せな人生が待っているといいわね」
散華はいつもの妖艶な笑顔を見せ、右手を振って見せた。それが、駿太が見た散華の最後の姿だった。
曙駿太は元の世界に戻り、またいつもの日常に戻った。忙しなく過ぎる日々は、駿太の奇妙な体験の記憶を薄れさせて行った。
国道沿いを運転していた駿太は、白いセダン車に後ろから煽られていた。駿太は車を左に寄せ、後ろの車を先に行かせる。
自分を煽っていた車を見送りながら、駿太は万屋悟の事を思い出していた。そして坂間三輪。北場光の事も思い出す。
あの三人は世の為と大義名分を掲げ、今も殺生を続けているのか。煽っていた車が駿太の視界の先で小さくなって行く。
駿太は自分に生まれる黒い殺意を、遠ざかる車に乗せてどこかに消えて欲しいと願った。駿太は小さなため息をつき、次の配達先に向かう為に交差点を左に曲がって行った。
堕ちるか。昇るか。諦めるか @tosa
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