第12話 葛藤

「嬉しいわ駿太君。また貴方に会えて」


 その甘い声は、駿太の聴覚だけでは無く、嗅覚も刺激した。甘い焼き菓子の匂いが、この白い空間全体に漂っている様に駿太には思えた。


 白く細い手にビニール製の袋を持ち、そこからクッキーを取り出しながら、黒い和服の女は艶やかに笑った。


 駿太は黙って散華を見る。前回は強制的にこの世界に連れて来られたが、今回は駿太が望んでの事だった。


「さあ駿太君。好きなやり方で殺りなさい。

この世界は、貴方の思うがままよ」


 散華は両手を広げ、駿太の行動を促す。駿太は首を横に動かした。その視線の先に、椅子が四つ並んでいる。


 前回同様、椅子にはそれぞれ誰かが座っており、両手と両足を縄で縛られていた。


「······一つだけ確認しておきたい。現実世界で罪に問われない事は分かった。だが、俺が死んだ後はどうなるんだ?」


 駿太は椅子を眺めながら、後ろに立つ散華に質問をする。


「ふふふ。駿太君。死後の魂が殺人の罪で地獄にでも落とされる事を心配しているの?」


 立てた指を紅い唇につけながら、散華は駿太の質問の意図を諒解していた。駿太に明確な宗教観念は備わっていなかった。


 だが、駿太には漠然とした不安があった。死神の様な散華が存在する以上、死後罪人が落とされる地獄があっても不思議では無かったからだ。


 そしてこれから大量殺人を行う駿太は、地獄に落ちる資格が十二分にあった。


「心配しないで駿太君。人間は死んだら無よ

。身体も心も。全て消えて無くなる。天国も地獄も存在しないわ。そんな宗教地味だ話は、神と言う存在を創り上げ、それを信仰する者達を支配する者達の戯言よ。一度死んだ私が言うのだから間違いないわ」


 散華の言葉に、駿太は静かに頷いた。これで駿太には何も憂いが無くなった。駿太は四つ椅子に向かって歩き出した。


 駿太の右手には木刀が握られていた。駿太は無意識に四つある椅子の中で、一番左端のある椅子を選んだ。


 椅子には黒いスーツを来た五十代半ばの男が座っていた。小柄なその中年男は、怯えた表情で駿太を見上げる。


『······この中年は?妙だな。覚えが無いぞ』


 駿太は不審を覚えていた。この四つ椅子に拘束されている四人は、いずれも駿太が強い殺意を感じた相手の筈だった。


「覚えていなくても仕方無いわ駿太君。その男は、貴方が十年以上前に通った自動車教習所の教官よ」


 駿太は背後から聞こえた散華の説明で、一瞬にして記憶を取り戻した。駿太が免許証を得る為に通った教習所。


 そこには、山崎と言う横暴な教官がいた。

駿太が慣れない教習運転中、隣の席で罵詈雑言を浴びせてきた男だった。


「······お前。あの山崎か?」


 教官と言う立場を利用し、横柄極まりない態度を見せた山崎。駿太の胸の奥に、黒い怒りが沸いて来た。


 その怒りは、目の前の山崎を木刀でなぶり殺しにするには十分な怒りだった。だが、駿太は木刀を握る力を緩めた。


 椅子に座る残りの三人。全員を確認し、怒りが最高潮に達した時、手を下すと駿太は決めた。


 そして駿太は一つ隣の椅子に移動した。そこには、赤いシャツとジーンズ姿の男が座っていた。年齢は駿太より五、六歳程上に見えた。


 その男の顔も、駿太には覚えが無かった。


「その男は市民体育館のジムで貴方に因縁を着けて来た相手よ。駿太君」


 散華の補足により、再び駿太は一瞬で思い出した。それは、駿太がジムを利用しいる時だった。


 一つの器具を長時間独占している男がいた。その器具を待っていた駿太に、男は「何ガンつけてんだお前?」と詰め寄って来た。


 表に出ろと喧嘩腰の男に、駿太は不本意ながら謝罪した。その時は事なきを得たが、その男を目の前にして、理不尽な男に対する怒りが駿太の心の中を満たして行った。


『······まだだ。まだ堪えるんだ』


 駿太は更に隣の椅子に移動する。そこには

、自分と同じ会社のユニフォームを着た若い男が座っていた。


 その顔を見た瞬間、駿太は木刀を振り上げた。男は駿太のその行為に、蒼白な顔をしていた。駿太の身体全身を怒りが満たして行く。


『······コイツだけは殺しても後悔しない』


 駿太は心の中で独語した。椅子に据わる男は、駿太が住む社員寮の住人だった。男は深夜に部屋で同僚と騒ぎ散らす行為を繰り返していた。


 何故他の寮の住民は苦情を言わないのか駿太には不思議だった。睡眠を妨害され、堪りかねた駿太は男の部屋に苦情を言いに行った。


 男は口にタバコをくわえたまま偉そうな態度で部屋から出てきた。明らかに駿太より年下のその男は、先輩に対する一部の敬意も見せず騒音行為も改めなかった。



「······てめぇは苦しませて殺してやる」


 今自分は。人を殺そうとしている自分はどんな表情をしているのか。駿太のそんな僅かな自分を俯瞰する感覚が、図らずも冷静さを保つ要因になった。


『まだだ。最後の一人を確認して、俺の中にある殺意を満たしてからだ」


 駿太は同じ寮の男を睨みながら最後の椅子に歩いて行く。四つ目の椅子には前回同様、勝田が両手両足を縛られ座っていた。


『······人を不愉快にさせた馬鹿共が。ガン首並べて揃いやがって』


 過去に沸き起こった殺意と怒り。駿太はその黒い色で今の自分を染め上げた。駿太は勝田に手にした木刀を振り上げた。


 木刀は、いつの間にか鉄製に変わっていた

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