最終話 きみを見ていた
思わず、「は?」と大きく声を上げる。
高校生になって、二ヶ月ほど経った頃だった。
目の前には、幼なじみの里と奈央香がいる。二人揃って放課後、近所の公園に俺を呼び出してきたものだから、何か真剣な相談でもあるのかと思って来てみたら、二人は。
「だから、私となおちゃんね、付き合ってるの」
そんな、バカなことを言い出した。
里は笑顔で、奈央香は複雑そうな表情で。
俺は大げさに首を傾げ、彼女らの顔を見る。何言ってるんだ、こいつら。
「変な冗談はやめろよ。そんなことのために呼び出したのか?」
ため息をつきながら言うと、奈央香だけがびくりと身体を揺らす。里は相変わらず、にこやかに、
「冗談なんかじゃない、本当だよ。私となおちゃん、恋人同士なの」
嘘だ。嘘に決まっている。俺は、必死にそう思おうとする。
でも、二人がそんな嘘をついて、何になるって言うんだろう。俺を騙して、こいつらが得をするだろうか。
じゃあ、二人が本当に付き合っていたとして。
俺は? 俺の気持ちは? どう収拾つけろって言うんだ。俺はずっとずっと。
「いつから」
絞り出すような俺の質問に、里が「中三の終わり頃から」と嫌に冷静に答える。
「なんで、俺に今まで黙ってた?」
「ゆきくん、部の引き継ぎで忙しかったでしょう。高校入っても、なかなか機会がなくて。報告が遅れてごめんね」
すらすらと、里は言葉を並べる。奈央香は伺うように俺の顔を見たけれど、俺がそちらを見ると、すっと自分から視線を逸らした。
さっきから、奈央香の様子がおかしい。里は腹が立つくらいひょうひょうとしているのに、奈央香はひどく緊張しているようだ。
彼女らは、俺にそう打ち明けてどんなことを言われるかなんて、とっくに分かっていただろうから。だから、俺は予想どおりの言葉を、そのまま返した。
「……気持ちわりぃ」
奈央香が、今にも泣き出しそうに顔を歪める。里は俺でも分かるくらいに、余裕に満ちあふれていた。
「お前ら、そうだったんだ。全然知らなかったけど。ごめんな、俺は普通の感覚持ってるだけだから、そうとしか言えないけど」
俺が低い声でそう告げると、里は当然のように頷きながら、「そうだよね」
「私も、自分の気持ちをなおちゃんに言った時、絶対気持ち悪がられて拒絶されると思った。でも、なおちゃん、私のこと抱きしめてくれたの」
里が何を言いたいのか、よく分からない。そんな話をしてまで、俺に受け入れてもらいたいのだろうか。
「なおちゃんだけだった。私のこと分かってくれた人」
嬉しそうに言う里と、青白い顔をしている奈央香に背を向ける。
なんだそれ、なんだそれ。奈央香だけだって? お前のこと分かってくれた人が?
じゃあ、俺はなんなんだ。ずっと昔から、里のことが好きだった俺は、なんのためにいたんだ。
早足で歩きながら、乱れてきた呼吸を整える。昔から、俺は興奮すると過呼吸になりやすい体質だった。そういう時、里は俺の背中を一生懸命撫でてくれて、
「大丈夫だよ、ゆきくん。絶対によくなるから。それまで、一緒にいてあげる」
そう言って、いつだって隣にいてくれた。
彼女のことを分かっているつもりだったし、彼女も俺のことを理解してくれていると思っていた。でも、違ったのだ。
彼女のために今までしてきたことも、全く伝わってなかったのなら、俺はなんのためにここにいるんだろう。
里のことが好きだった。当分は仲のいい幼なじみのままでいて、高校を卒業したら告白するつもりでいた。
俺が彼女に気持ちを伝えるのが遅かったから、こんなことになってしまったのだろうか。いや、告白していたとしても、きっと断られていたに違いない。だって里は、奈央香のことが。
拳をきつく握りしめる。
優しげに見えるのに、意外と根性がすわっていて、話すと楽しくて。
俺は彼女に夢を見ていたのかもしれない。
どっちにしろ、俺は彼女のこと、なんにも分かっちゃいなかったんだ。
翌日、なんとなく嫌な気分で登校すると、奈央香が教室の前で待っていた。「ちょっと来て」と話しかけてきたので、ついていくと、人通りの少ない階段下に連れていかれた。
この緊張感あふれる雰囲気に、奈央香のこわばった表情。なんの話をしたいかは、すぐに分かる。
「幸宏、昨日はごめん。でも、私、どうしても分かってほしいの」
「何を。お前らのそういう関係を?」
頬を叩かれた子供のように弱々しい顔をして、奈央香は制服のスカートをぎゅっと掴んだ。
少し意地悪だったかな、と思い直して、もう一度口を開く。
「俺も悪かったよ。気持ち悪いとか言って。お前らのことなんだから、もっと言いようあったのにな」
「じゃあ、認めてくれるの?」
奈央香の表情は暗いままだった。俺は首を振りながら、
「認めるって、俺に認められてどうすんの」
「幸宏だからだよ。私も里ちゃんも、幸宏のこと大切な幼なじみだと思ってるから」
「無理だよ」
きっぱりと言い切ると、奈央香は追い詰められたような声で、「どうして?」
「女同士だから? それとも、それ以外の理由があるの?」
まるで真実を知って自分にとどめをさしたいとでも言いたげな口調だった。奈央香は、分かっているんじゃないだろうか。俺が、里を好きだったこと。
「ごめんね」
小さく呟く奈央香に、俺は何も言い返せなかった。
「でも、私、好きなの」
途切れ途切れに紡いだ言葉が、俺の中にすうっと入ってくるのを感じた。
「最初は、里ちゃんに対して同情みたいなものもあったかもしれない。でも、どうしようもなく、好きなの。里ちゃんのこと」
こんなに真剣に、俺に話をしている奈央香のこと、これ以上傷つけたくない。なのに、俺は。
「お前ら、普通じゃないよ」
どうしてずっとともに過ごしてきた幼なじみ相手に、こんなことしか言えないんだ。そう心の底から思うけれど。
「俺も、お前らのこと、ずっと大切な幼なじみで親友だと思ってた。でも」
「そうだよ!」
ひときわ大きな声を出す奈央香の顔、必死なのがよく分かる。分かってしまう。
「今だって、大切な幼なじみで親友だよ。里ちゃんだってそうに決まってる」
俺は、奈央香にまた泣きそうな顔をさせてしまうかもしれない。
でも、言うしかなかった。今言わなければ、俺自身がどうにかなりそうだった。
「俺が大切だって言うなら、奈央香、里と別れろよ」
低く告げた途端、奈央香が息をのんだ。
二人が別れてくれれば、俺はきっと許せるだろう。勝手にくっついて俺だけのけ者にした、こいつらのこと。
奈央香の顔色がもっと青白く変化していく。そういえば、こいつのこんな顔、見たことなかったな。などとのん気に思いながら、俺は続ける。
「今ならまだ許してやるよ。別れてくれるよな」
あ、やばい。呼吸が荒くなっていくのを感じる。でも、ここで動けなくなってしまってはなんにもならない。俺は喉元を手で押さえて、息を整えようとする。
奈央香は昔からなんだかんだ言って、俺のことを優先してくれる子だった。だから、こう言えば彼女は戸惑った末に、里に別れを告げてくれるかもしれない。と、無意識のうちに感じていたんだろう。
だから、次に奈央香が発した言葉に、眉をよせずにはいられなかった。
「……それは、できない」
奈央香を睨むように見て、「なんで」と呟く。
でも奈央香はここにいない誰かを思っているような目で、うつむいたままだった。
「里ちゃんと別れるなんて、無理。考えられない」
奈央香の目は、俺を見ていない。その事実に、胸が押しつぶされそうになる。
「なら、いい。勝手にしろ」
背を向けて早足で歩き出すと、奈央香が後ろから俺の名前を何度か呼ぶのが聞こえてきた。でも、振り向けなかった。あまりにも恐ろしくて。
里と奈央香がいなくなったら、俺はどうすればいいんだ。二人のことが大事だ。心から。それなのに。
俺は二人のことを、認めることさえしてやれない。
部活が終わって、昇降口を出たあたりで、校門の横に見慣れた人物が立っているのが分かった。「ゆきくん」笑顔で話しかけてきた彼女に、俺は無表情を返す。
「ちょっといい? またあの公園に行こうよ。話があるの」
ここで走って逃げたとしても、きっとこいつは追ってくる。体育会系の部活には入ったことがないくせに、サッカー部員と同じくらいの速さで走るやつだから、もしかしたら追いつかれてしまうかもしれない。
大人しく彼女についていく。ちょうどいい。俺も話がしたかったところだ。
あの公園は、小さい頃に三人でよく遊んだ場所だった。あんなに楽しい思い出ばかりだったのに、今となっては、二人の関係を初めて知ることになった場所になってしまった。
ベンチに座るでもなく、立ったままで、里は「なおちゃんから聞いた」と話し出す。
「ゆきくんが、すごく怒ってたって」
「怒ってるわけじゃない」
そう、怒りに身を任せているばかりなわけじゃない。「ただ」と重ねるように言う。
「お前らにとって、俺ってそんなもんだったのかなって、悲しいだけ」
里が真剣な表情のまま、「そんなもん?」
「そんなもん、なわけないじゃない。私もなおちゃんも、ゆきくんのことはすごく」
「じゃあ、なんでこんなことになったんだよ」
どうして、里と奈央香は恋人同士になったんだ。里には俺がいるのに。俺の気持ちが、彼女に少しも伝わっていなかった。奈央香にも。そう明らかにされたようで、たまらない。悲しくて、寂しくて。
「傍にいるって言ってくれただろ、里」
その一言でようやく俺の気持ちを理解したのか、里は驚いた顔をしてから、うなだれるようにうつむいて、
「いるよ、傍に」
言い切り、目尻をきゅっと上げて、里は俺のほうを向いた。
「ずっと傍にいるのに、どうして気づいてくれないの、ゆきくん」
彼女の目は潤んでいる。俺は、どんな時も笑顔でとおしてきた彼女を泣きそうにさせているのは自分だということが、信じられなかった。
一瞬で、呼吸が乱れる。
あとからあとから追いかけてくる息の嵐に、俺はその場に座りこんだ。「ゆきくん?」と、慌てた様子で里が近づいてくる。
「来るな!」
叫んだ時には、彼女はすぐ目の前まで来ていた。こんなに近くにいるのに、さわれないんだ。そう思うと、俺のほうが先に涙があふれてくる。
苦しい。怖い。俺、きっと死んじゃうんだ。子供の頃は、過呼吸になるたびに不安になった。いつも、奈央香は恐ろしかったのか、少し離れた場所で心配そうに俺を見ていた。でも、そんな時にも、里だけは隣にいてくれて。
だから、失いたくなかった。彼女だけは。
けれど、彼女だけじゃなく、大切なもの全部失ってしまった。
二人が俺を信用して話してくれた時、俺はなんて言った? 二人を、真っ向から否定したじゃないか。もう、以前のようには戻れない。
不安が増幅するごとに、呼吸は荒れていく。地面の上にうずくまっていると、俺の背中に、優しく何かが触れた。
「大丈夫だよ、ゆきくん、よくなるからね」
それは、ずっと前から知っている、里の手だった。
『傍にいるからね、ゆきくん。ずっと、ずっと』
里は約束を守ってくれた。ずっと傍にいてくれたんだと、その時ようやく分かった。
彼女の優しい手に撫でられた背中がじんわりとあたたかくて、俺は目を閉じる。
それから、数十分後、俺の呼吸は回復して、何もなかったかのように、じゃあねと帰ろうとする里に、
「話、あったんじゃないのか」
里は意外そうに目を丸くして、いつもどおり、にっこり笑った。
「ゆきくん、私、なおちゃんが好き。絶対に誰にも渡したくない」
「本気、なんだな」
彼女は、うん、と首を縦に振る。
「実は、なおちゃんは私のことかわいそうって思って付き合ってくれてるのかな、って不安だったから、ゆきくんに言うの先延ばしにしてたの。でも、最近ちょっと脈ありかなって感じ始めたから、もう話しちゃおうって、私から言ったんだ」
笑顔で言うと、里は今度は少し真面目な表情で、
「ゆきくんには、絶対に話さなきゃって思ってた。でもそれがゆきくんを傷つけた。本当に、ごめんね」
ああ、彼女はあの頃から変わっていないのだ、少しも。
包み隠さず話をしてくれる彼女は、俺が好きな里のままだった。
俺は二人が離れていけば、ずっと寂しい思いをして生きていくのだろう。そんなことには、耐えられない。里と奈央香がいなきゃ。
今までだって、二人がいなければこんなに順調にやってこれなかった。中三になる時、部長に立候補するのを迷っていた俺に、里と奈央香が「絶対できるよ」と言ってくれたことを、俺は一生忘れないだろう。
二人には、感謝してもしきれない。
そんな俺が認めてやらなくてどうするんだ。俺だから認めてほしいと言った二人が、あまりにもかわいそうだ。
「分かったよ」
俺の口から乱暴に出た言葉に、里が目を見開く。
「認めてやる」
やった! と手を振り上げて喜ぶ彼女に、俺は笑いかけて、
「ありがとう、里」
いつも、今まで傍にいてくれて。俺のこと、支えてくれて。
「こちらこそ、ありがとう、ゆきくん」
少しおどけて、里が言う。
そんなきみのことが、大好きだったよ。すっかり橙色に染まった空を見上げながら、そんなことを思った。
ほうき星のゆびきり 紫(ゆかり) @yukari1202
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます