皐月に見た夢と現と
最初で最後の人間ペットを飼ったのは、打ち明ける事なく終わった恋の後。
親友と想い人の結婚式の帰りだった。
ふらつく脚で歩く僕を、道行く人たちが自然な足取りで避けていく。何重にも見える信号や街頭はルミネーションのように綺麗で、先程まで居た豪勢な式の続きを見せられているようだった。
――綺麗だ。
そう上を見ると同時に、体が何かにぶつかる。よろけた拍子に道の端に座り込んだ僕は、揺れる視線で前を見た。
「ってぇな! 前見て歩け!!」
浴びせられた怒号に謝罪を言おうと口を開くと、言葉の代わりに吐しゃ物が噴き出した。びちゃびちゃと音を出して後から後から出てくる吐しゃ物の中に、披露宴で食べたローストビーフが混じっている。確かにそれは美味しかったのに、僕の体に入ったらこんなに汚らしくなってしまった。
「うわ、酔っ払いかよ」
そう言って去っていく靴と、遠巻きに自分を避けていく靴、靴、靴。情けなさと恥ずかしさで頭をあげられない。
俯きぐちゃぐちゃになったローストビーフやカルパッチョを見ていると、再び胃が持ち上がった。道端で吐き続ける酔っ払いの僕に、手を差し伸べる人はいない。
親友と想い人が出会い、恋に落ち、結婚した。良くある話だ。僕は結婚式でスピーチもしたし、その時には涙さえ零れた。その涙に嘘は一つもない。僕は心から親友の門出を祝えていただろう。
”僕の方が先に知り合ったのに””僕の方が先に好きになったのに”
そう思っても愛し合う二人に言葉を挟む余地などない。二人は終始幸せそうで、そこに僕の悲しみは不要だった。何より愛する二人に嫌われるような事は言えない。そうは見られないが、僕は元来臆病なのだ。
浴びる程酒を飲む僕を見て、周囲は「よっぽど嬉しかったのね」と口々に言った。嬉しかった、寂しかった、苦しかった。でも喜び以外の感情を出す事は許されなかった。嬉しさと悲しさはカフェラテのように混ざり合い、どこか別の感情になってしまったようだ。
ふらふらの状態でペットショップに入った事は覚えている。誰でも良い。この空虚を埋めてくれる何かが欲しい。
今では法も改正されペットの購入も飼育も規定が多くなったが、この頃はまだ人型ホムンクルスを飼うことはメジャーではなく、金さえあれば誰でも簡単に買う事が出来た。人肌恋しく夜道を歩いていた僕は、父について行ったパーティで一度見たホムンクルスの事を何となく思い出したんだろう。
止める店主の言葉を押し切って、その日そのまま連れて帰った。どうやって連れて帰ったのか、そもそもどうやって帰ったのかも覚えていない。
「おはようございます、ご主人様」
二日酔いで痛む頭を押さえながら身体を起こした僕に、少し離れた場所で正座していたペット。
最悪の始まりだった。
勢いで飼いだしたペットは存外悪くなく、すぐに僕の生活になじんでいった。人間が飼う事を目的として作られた人型ホムンクルスは、どこまでも人の都合の良いようにできている。寂しさも性欲も受け止めてくれるペットに、あろうことか僕は想い人の名前をつけた。
「さつき、さつきはどこか行きたいところはない?」
「私の行きたい場所はご主人様の腕の中一択ですわ」
決まり事のような台詞に、決まり事のように喜びを返す。
「さつきは本当に可愛いね! それに綺麗だ! ほら、もっとこっちへおいで」
そう言って上品に笑うペットに、想い人と似ている部分は一つもなかった。たださつきと呼べばご主人様と答える、それだけの児戯に過ぎない。さつきは僕の家の中から一歩も出ず、わがままも言わず、どこまでも都合の良い存在としてそこにあった。
「ご主人様を想って、さつきは今日もここをこんなにいやらしくしてしまいました」
僕が帰宅すると足を開き、出かけに挿れていった淫具を見せる。立ち上る雌の香りに、僕は夢中になっていた。会社でのストレス、次期社長という重圧、その全てを柔らかい温もりが癒してくれる。
「あっ、ごしゅじんさま、すご……んンっ、や、あン、もっと、もっとしてくださいまし」
「ほら、お前はここが、好きだろ?」
「あぁっ! 気持ち良いです、さつきに、あっ」
「さつきは、僕のことがすき?」
「すき、すきです、ご主人様、大好きです、あっ、あっ、もう、イ」
きっとこんな日が続けば良かったのだろう。さつきと僕しかいない家の中、二人きりで完結した甘い時間は、そう長くは続かなかった。
僕がさつきに飽きてしまったのだ。
昔から美人は三日で飽きるという。元々想い人の変わりでしか無かったさつきに、違和感を感じるようになるのは必然だった。
確かに最初は愛し、可愛がっていると思っていた。しかし所詮は肉欲に溺れていただけだ。美しく整った顔は見慣れれば面白みに欠け、巧みな性戯も白々しく思える。
そうなれば愛玩動物というより、もうただの道具でしか無い。
「ご主人様、さつきの事が嫌になったなら、どうか保健所にお渡しください」
さつきは冷たい態度に出る僕に悲しい目を向ける事はあっても、責める事はなかった。そんなしおらしい態度も、同情を引こうとしているようでイライラが募る。こんな風になってもまだ自分を慕うさつきが、その愛情が、薄情な自分を責めているように思えてならない。
なぜこんな風に扱われても、自分を慕うのだろう。そういうものだと言ってしまえばそれまでだが、余りに哀れな生き方を見て僕の中に疑問が生まれた。
どこまでしたらその信頼は崩れるのか、どこまでしたらその顔が歪むのか。さつきが僕を慕えば慕う程、傷付けたい気持ちが膨れ上がる。
自分を慕うものを意図的に傷つけるなんて、許されない事だろう。しかし道徳的に許されない感情も、行為も、人間ペットにならしても良いのではないか。
そんなふうに考え始めた僕の元に、ある一通の招待状が届いた。
「おでかけ、ですか?」
「あぁ、お披露目会って知っているか?」
「お披露目会!」
その言葉に、さつきはぱっと表情を明るくした。大方ペットショップで聞いたでもあるのだろう。僕の思惑も知らず、さつきはそれからの数日間、随分と機嫌が良かった。口に出さないだけで、外に出たかったのだろうか。そう考えると少し申し訳ない気持ちになる。
罪滅ぼしとして当日はペット用の美容室で髪をセットし、メイクも施した。緩くウェーブの巻かれた髪に桃色に染まった頬と唇、パーティ用の服に身を包んださつきはとても美しかった。
「ご主人様のペットになれて幸せです」
そう言って心底幸せそうにしているさつき。この時僕は申し訳なさと、これから起こるであろうさつきの悲劇に高揚感を感じていた。
出発は夕方過ぎ。暗くなり始めた頃に車を呼んだ。さつきは不思議そうな顔をしつつも、黙って僕の後から車に乗り込んだ。
公然の事実であり暗黙の了解であるが、お披露目会は昼の部と秘密裏に行われている夜の部の二部構成になっている。
オーナーとペットのお披露目と交流を意味する昼の部とは違い、夜の部はオーナーもペットも仮面をつけて参加する。そこでは名前も立場もなく、夢の一夜を過ごすのだ。
僕が参加するつもりだったのは夜の部の方だった。
会場は怪しげな香のようなものが焚かれており、部屋の奥に進むにつれ脳がとろけるような心地よさを感じさせた。異様な雰囲気に怖気づいたのか、さつきはずっと僕の腕にしがみつくようにしている。
普段であれば振りほどくであろうさつきの腕をそのままにしていたのは、僕も初めて来たお披露目会に萎縮していたからだろう。どう振る舞えばいいかも分からず立ちすくんでいると、口元に笑みを浮かべた男が近付いてきた。
「こんばんは」
仮面から覗く男の目は笑っていない。身なりは上等だが、どこか異様な雰囲気を感じる。
「こんばんは」
「見たところ、初めての参加のようですが。誰か知人でもいらっしゃるのですか?」
男の横には、黒い首輪をつけた男型のペットが寄り添っていた。仮面の奥の目は伏せられていて、表情は読み取れない。よく見ると半開きになった口元から涎を垂らしている。
「……特には。お恥ずかしながらここでのマナーやしきたりなんかもわからず、雰囲気にのまれていたところです」
僕がそういうと男はオーバーに手を広げ、仮面の奥の目を見開いた。
「それはいけない。夜の部は始まってすらいません。楽しいのはこれからですよ。さぁ、僕がご案内致しましょう」
誘われるがままに男の案内で会場内を見て回った。
はっきりと区分けされている訳ではないが、会場内はなんとなくエリア分けがされているらしい。ペットを乱交させるエリア、ペットと乱交するエリア、スワッピングエリア、というような形で細かく分かれている。違法ペットをサンドバッグに出来るエリアや改造性器のペットのエリアなんてものもあって、ペットの使い道の広さに僕は興奮を覚えた。
「初めてならば、ここはいかがですか? ペット同士がじゃれ合う様というのは、オーナー冥利につきますよ」
男が示したエリアを見る。僕らがいるフロアから一段程下にあるフロアで、数匹のペットがぐちゃぐちゃに交わっていた。そこがよく見える位置にあるカウンター席では、数名のオーナーがグラスを傾けている。
不協和音を続ける甘い声と、複数のペットがじゃれ合う異様な香り。自分が居るここが本当に現実の世界なのか疑わしい。
「いや、いやです、ご主人様」
さつきがぎゅっと僕の袖をつかみ、大きな目を潤ませ首を振った。どろりとした黒い感情が口から零れ落ちそうになるのをなんとか耐え、さつきの背を押す。
「最近ご無沙汰だったろう。僕に以前のような可愛い姿を見せてくれよ」
僕はその時、笑っていたのだろうか。振り返るさつきの目から、絶望の色と共に涙が零れ落ちる。
投げ込まれた新しい肉壷に、正気を失ったペット達の手が伸びた。
「たすけて、いや、ごしゅじんさま」
繰り返しそう言うさつきだが、育った身体は触れられれば快感を感じるようで「見ないで」と言いながらさつきは何度も達した。さつきの悲鳴も嬌声も、観賞する他のオーナーの野次にかき消される。
とても気分が良く、最高の夜だった。
それから何度か、さつきを連れてお披露目会に出かけた。最初はさつきが他のペットと交尾している姿を楽しく見ていたが、それにすら飽きてからは催淫剤を投与したペットのエリアに放り出すだけになった。
もちろんさつきに何かを与えたことはない。楽しませる気はないからだ。出かけにどれだけ美しく着飾っても、帰る時はいつもボロボロ。私はいつも頃合いを見てさつきを会場から連れ出し、とっておいたホテルで身なりを整えて一緒に帰った。こんな目に合せているのは僕だというのに、僕を見ると縋り付いて泣く。口も聞けない程憔悴したさつきには、不思議と優しくする事が出来た。
自分の中にあるどす黒い感情に気付かされたのは、さつきに出会ってからだった。何をしても何をされても自分のことを愛するさつき。人間の女にはできないような事も、さつきにならすることができた。それはさつきがどんなことをされてもオーナーを愛することをやめられないペットだったからだ。さつきは僕の性癖を満足させる事が出来る唯一のパートナーであり、道具だった。
そんなある日、さつきが家出した。
家に居ない事にはすぐ気付いた。しかし僕は捜索願を出さなかった。
自分がペットを飼っている事も、ペットに逃げられた事も公にはしたくなかった。次期社長の立場であるとは言え、所詮親の七光り。そんな周りからの視線には僕だって気付いていた。大事な時期に、たかがペットの存在で手を煩わせたくはない。
それに人間ペットは長く生きる。その命を、僕は持て余していた。勝手に居なくなってくれて清々したと言ってもいいだろう。悪者にもならず、お荷物が居なくなる。保健所が確認しに来たらすぐにバレてしまうだろうが、捜索願を出さなかった事については「監督不行き届きを責められると思って」とか言い訳すればいい。それにさつきが居なくなれば、新しいペットが飼える。次は酔った勢いなんかではなく、しっかり選んだ自分だけの可愛いペットを飼おう。
そう、思っていた。
さつきが居なくなり季節が二つ過ぎた頃、ポストに一本のビデオテープが入っていた。剥き出しで入っていたビデオテープにはラベルも貼っていない。気味悪く思いそのままにしていたが、なんとなく捨てる事も出来ずに自室のデスクの引出しにしまい込んだ。
良くないものであることはなんとなくわかった。第一、誰から送られてきたものなのかも分からない。会社の中の誰かが、僕を貶めようとしているのか。内容を見ていないせいで被害妄想は膨らんでいくばかりだ。
緊張と疑心暗鬼が膨れ上がった日。僕はしまいっぱなしにしていたビデオテープを取り出した。震える手でビデオテープをセットし、再生ボタンを押す。
中央に椅子に縛り付けられた女……ペットの姿があった。目には目隠しをされており、見慣れた首輪をつけている。
「ご主人様はさつきが酷い目に合うと、とても優しくしてくれましたね」
中央に座ったままのペットが、原稿を読むかのように言葉を紡ぐ。
「さつきはそれが嬉しくて、だからご主人様が何を望んでも受け入れてきました」
画面の端から、黒い頭巾をかぶった屈強な体付きをした男が二人出てきた。震える声、カチカチと鳴る歯を食いしばって、ペットが笑みを作る。
「でも、ご主人様は満足するご様子ではありませんでした。これはご主人様に何ができるか、さつきなりに考えた結果です」
「ご主人様、さようなら。さつきを飼って下さって、ありがとうございます」
そこから先のことは、あまりよく覚えていない。
数日経ってさつきの捜索願いを出したが、当然の如く見つかる事はなかった。
見つかるはずはない。あれを見た僕にはそれが分かっている。しかしもしかしたらあれは質の悪い冗談で、今まで酷い事をした僕に対するさつきの意地悪なのではないか、本当はどこかで誰かに拾われて暮らしているのではないか。そう思いたかった。
あの子は最後まで僕の為にと一切を受け入れ、姿を消した。
「ご主人様の為に」
その言葉の、なんと重たい事だろうか。ペットであるからこそオーナーを愛する事しかできないさつき。どれだけ心が傷ついたとしても、他を知らないさつきにとっては僕が与えるものが全てだ。
ペットは人ではない。金で買える存在で、盲目的に主人を愛し、敬う生き物。それがペットだ。さつきはペットとして、最後までオーナーの為に生きた。間違っていない。ならば間違っていたのは僕なんだろう。
僕でなければさつきは、幸せなペットとオーナーの結末を迎える事が出来たのだろうか。
それ以来、ペットは飼っていない。
愛玩人間飼育目録 星 伊香 @hoshiika
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