秘める思い

 ニーシャの部屋を訪れてからの一部始終をかいつまんで話せば、プナイネンは静かに頷きながら聞か遂げた。


「兄貴はそれで良いと思った?」


「そうする他ないだろ」


「へぇ」


 柔和な微笑みの中、鋭く向けられた眼光に言葉が詰まる。だが、その眼光は瞬きの間にすぐに取り払われていた。


「アップルパイってさ、可愛らしいお菓子だよね」


 突然何を言い出すのかと呆気にとられていると、プナイネンは意気揚々と話し始めた。


「くし切りのリンゴって、よく見ると不恰好なハート型に見えるだろう? ハートをたくさん敷き詰めて、パイ生地に包んで焼き上げる。まるで、自分の思いの丈を全て詰め込んだけど、相手に知られるのが恐いから閉じ込めて渡しました、どうか気づいてくださいな、って言っているように見える。初心うぶな乙女の告白だよね」


 いまいちピンと来ないと首を傾げていれば、プナイネンは再び鋭く睨みつけてきた。


「そんなニーシャちゃんの告白を、兄貴は台無しにしちゃったわけだ」


「俺は自分の仕事を全うしただけだ。好意を寄せられて迷惑していた」


「嘘だね」


 間髪入れずに、プナイネンは否定してくる。


「迷惑している男なら、彼女が作ったアップルパイなんて食べずにすぐに彼女から記憶を消して立ち去るだろうよ」


「それは……」


「兄貴も彼女に好意を抱いていたんだろ? ニーシャちゃんの記憶から自分を消したのは、兄貴自身が自分へ下した、罰」


 プナイネンは、俺の心の内など全て見透かしているのだろうか。言い返すこともできず、沈黙を貫くことしかできない俺に、プナイネンは畳み掛けてくる。


「いくらニーシャちゃんの記憶から兄貴の存在を消しても、一度生まれた恋心は魔法なんかで簡単に消えるもんじゃない。これからニーシャちゃんは、誰とも知れない相手に抱いた恋心を胸に抱えたまま過ごすことになるだろう。思いを渡すことも捨てることも叶わず、一生苛まれるかもしれない。その恋心のせいで、誰のことも愛することもできずにね。兄貴は最も残酷な罰を彼女に与えた。その自覚、持ってる?」




 ——俺はただ、彼女の幸せだけを願っていた。


 孤独の中、懸命に生きようとする彼女に惹かれていったのも、無垢な瞳の美しさに心を奪われていたのも、紛れもない事実。

 冷酷に罰を与える俺は常に皆から恐れられて、いつも孤独だった。俺がムスタ•ヨウルプッキだと知っても、好意を寄せてくれたニーシャを、愛おしく思ってしまった。


 しかし、俺は彼女を幸せにはできない。俺ができることは罰を与えること。

 彼女のことを普通に愛してあげられる男と、愛を育んで欲しかった。その為に、邪魔者である俺への恋慕を消し去ろうとした、ただそれだけなのに。


「俺は……どうすれば良かったんだ」


 情けないほど震えた声しか出せない。プナイネンに救いの目を向けても仕方ないのは分かっている。だが、そうせざるを得ないほど俺は絶望していた。


「俺では幸せにできない、という固定概念を捨てるべきだったんじゃないかな」


「だが、もう遅い」


 目線を足元に落とし、無念の言葉をこぼす。


「さて、それはどうかなぁ」


 プナイネンの軽やかな声音が、重苦しい空気をわずかに変えた。手立てがあるのかと懇願するようにプナイネンを見ると、したり顔で俺を見ていた。


「来年、ニーシャちゃんは十七歳。十八歳が成人とみなされるこの国では、クリスマスプレゼントをあげられる最後の歳になる。ニーシャちゃんが何をお願いするのか分からないけれど、お願いによっては何か彼女を救う方法があるかもしれないよ」


「そんな都合のいいこと起こるか?」


「何たってクリスマス、奇跡のひとつやふたつ起こっても不思議じゃないからねぇ」


 口調はふわふわとしていて説得力など皆無だ。だが、俺自身もそうであってほしいと願ってしまう。


「さぁて、まだプレゼントが配り終わっていないんだ。兄貴もまだまだ仕事残っているんだろう? さっさと終わらせて、オルットで乾杯しながら語り合おうよ」


 颯爽とソリに跨り手綱を引くと、ルドルフを先頭としたトナカイの軍団が蹄を鳴らして走り出した。プナイネンを乗せたソリはみるみるうちに空高く飛び上がると、流れ星のように飛び去っていった。


 プナイネンを見送った俺は、ひとり、深く息を吐き捨てる。白い溜め息は雪の舞う夜空をあてもなく彷徨っていく。俺の心を見ているようだ。


 ふと、鼻腔を独特のスパイスの匂いが巡る。どこから香ってくるのか、まさか彼女が追いかけてきたのではあるまいか。だが、辺りを見回しても人の影はない。


 黒い外套を翻し、次の標的の子供の所へ向かった。

 俺はムスタ•ヨウルプッキ。またの名を、罪を犯した子供に罰を与える、北国の黒い悪魔。

 ひとりの少女に抱いた厄介な恋心にかまっている暇など、ない。


 高鳴った胸を押さえこみ、奥の、奥の、奥深くへと追いやる。


 この思いは秘すべきだ。

 時が来るまでは。


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