柘榴石の瞳の少女

 十年前のことだ。


 十二月になると、俺達は一気に多忙になる。フィルデン王国中の子供達から、プレゼントの依頼がひっきりなしに舞い込むからだ。

 プレゼントを依頼できるのは、物心のつく六歳あたりから成人前の十七歳までの子供達。各々、欲しいものをひとつだけ、プナイネンに向けて心の中でお願いする。


 同時に、罪を犯した子供の情報もやって来る。

 一年間、子供が罪を犯さず真っ当に生きてきたかを調査する精霊達による審議員なるものがあり、俺はその情報をもとに罰を与える。懲罰の内容は、俺に一任されていた。


 プレゼントの依頼も懲罰対象の子供の情報も、サンタ•スプリングという泉から湧き出てくる。

 普段は柄杓で数回掬えば水がなくなるほどの小さな泉の奥底から、くるりと丸まった羊皮紙が湧いて来て泉とその周辺の草地を覆い尽くす。それらを拾い集めてプナイネンの書斎に送り届けるのが俺の日課だった。


「プナイネン、持って来たぞ」


 羊皮紙の山に埋もれるように、プナイネンは書斎の真ん中で胡座をかいていた。両手を忙しなく振り回している。それに合わせて、地面にあった羊皮紙が意思を持ったように動き出し、ふわりと宙に舞った。


 書斎の天井付近を見れば、プナイネンの魔法によって動かされた羊皮紙達が、右往左往と飛び回っている。壁には、おびただしい数の靴下型のポストが設置されていた。


 飛んでいる羊皮紙達は、各々導かれるように、別々のポストに入っていく。

 そのポストは地域別に分けられていて、今は羊皮紙の仕分け作業の真っ最中なのだ。仕分け作業を終えてから、プナイネンはプレゼントの作成に取り掛かる。


「ああ、兄貴。そこに置いておいて。仕分けるからさ」


 プナイネンの声音は普段はふわふわと落ち着かないが、繁忙期になると切羽詰まったように早口になる。苛立ちも募ってくるから、刺激しないように言われた通りにその場に羊皮紙を置いた。

 すると、どこからともなく木箱が宙を泳ぐように、俺のもとへやってきた。


「それ、兄貴用」


 木箱の中を見れば、黒色の羊皮紙が溢れんばかりに入っていた。金の字で、名前と犯した罪の内容が書かれている。


 その中のひとつに、目が止まった。黒でもなく、普通の羊皮紙でもない、灰色のくすんだものが混じっている。


「プナイネン、これは何だ」


 羊皮紙の山からひょっこり顔を出したプナイネンは「あ、それ?」とさほど興味もなさそうにため息を漏らす。


「灰色の羊皮紙なら僕のではないし、かといって兄貴のでもなさそうだから、とりあえず兄貴のにしておいた」


「とりあえずとは何だ」


「こういうのは兄貴に任せるのが一番だと思ってねぇ」


 弟気質なのだろうか、面倒なことは兄にまわす癖はいつまで経っても抜けない。それを黙認してしまう俺も俺なのだが。


 改めて灰色の羊皮紙を確認した。名前は、ニーシャとだけ書かれている。苗字はない。年齢は六歳、セリニッチ孤児院という住所のあとに、クリスマスプレゼントに欲しい物が綴られていた。が、それを見て愕然とした。


『今年一年、生きられますように』


 六歳の少女が望むものではない。望まなくとも根底にあるべきものなのだから。彼女の身に、何か起こっているのか。

 無性に気になって、その日のうちにセリニッチ孤児院へと足を向けることにした。


 広大な敷地にそびえるグレーの四角い建物は、牢獄かと思うほどにおどろおどろしい。凍てつく風が吹き、思わず身震いした。

 木の影から中を覗けば、目当ての人物がいた。


 他の子供達は、寒空の中外で遊んでいたり、中で友人達と話をしたりしていたが、ニーシャはひとりで黙々と窓を拭いていた。


 癖っ毛の栗色の髪は腰の辺りまで伸びている。伸ばしている、というより、手入れもせずに伸びきったという印象だ。

 あまり綺麗とは言えない汚らしい服の袖から伸びる腕は、少し握っただけでも折れそうなほどに細くて白い。


 彼女の瞳に、はっとする。


 柘榴石ガーネットを思わせる、威厳のある赤い瞳。その双眸は、どこを見るでもなくせっせと窓を拭く自らの手を人事のように眺めていた。


 孤独を纏っている。俺と同じだと思った。


 窓を拭いていた雑巾をバケツの水に浸し、か細い腕でぎゅうと絞る様は、見ていて心が痛い。十二月の寒さだ、バケツの中の水は氷のように冷たかろう。よく見れば、ニーシャの指は赤切れでぱっくり割れている。


 それでも、痛みなど顔に出さずに窓を拭き続けていた。


 ニーシャの横を通り過ぎる大柄の男の子が、ニーシャに向かってバケツを蹴り飛ばした。冷たい水を頭からかぶったニーシャは、一瞬驚いた顔を見せた。

 男の子はケラケラと嘲笑うと「やーい、赤目の忌子!」と言って走り去っていった。


 昔から、この国では赤い瞳を持って生まれた子は災いを起こすと信じられていた。

 恐らく、生まれて間もなく信心深い両親が捨てに捨てられずに孤児院に置き去りにしたのだろう。押し付けられた孤児院も、無下にすれば災いを招くのではと恐れて、仕方なく彼女を置いているに違いない。


 ニーシャはおもむろに立ち上がると、空っぽになったバケツを持って水道へと向かって水を汲み、何事もなかったように窓拭きを再開した。

 その後も、横を通り過ぎる子供達から瞳のことで揶揄され、孤児院の職員は無視して素通りしていく。それでもニーシャは表情ひとつ変えることなく、窓を拭き続けた。


 誰かに褒めてもらいたいのだろう。幼心に、誰かに必要とされ、自分の存在を認めてもらいたくて、必死に窓を拭き続けているように見える。


 俺の胸はきりきりと傷んだ。彼女を放って置けない。この苦境からどうにかして救ってあげたい。だが、俺にはどうすることもできなかった。


 俺が魔法を使えるのは、悪事を働いた子供達へ罰を与える時だけだ。それ以外では、使えない。


 プナイネンに相談するも、彼も力なく首を横に振った。


「兄貴も知ってるだろう? 僕の魔法は子供達の願いを叶える時にしか使えない。しかも、プレゼントという物体としてね。今のところ、ニーシャちゃんの願いは生きること。実態のないものをプレゼントするのは、僕にはできないんだ」


 ふたりで肩を落とし、この年のニーシャへのクリスマスプレゼントは見送られることになった。

 それから毎年のように、ニーシャからは今年も生きられるようにという願いが届けられた。その度に孤児院へ様子を見に足を運び、彼女の成長を見守るようになっていった。

 彼女の姿を見るだけで何もできない自分の無力さを、痛感しながら。

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