楼閣の骸

韮崎旭

楼閣の骸

 叔母は自傷行為がひどく、自分の意思で入院した。時々訳もなく泣きたくなったが、叔母とはおそらく無関係な動機がそこに潜んでいる。桜の木は死んだ。昨日今日の話でも経過でもないから、死んでも、ああ死んだか、それもやむなし、と言った感慨もない感慨だけが水路に破棄された。それは農業用水で、そして田植えの季節に桜が死んだことから、イネの神が疲れてしまった、と口々に述べたが村長はわれ関せずだった。村長は何に関しても関わりなく、明るく健やかな側面などみじんも持ち合わせない陰湿で殺伐としたエリア51のような人物だったけれど、私がここで村長の噂話を述べて何するものぞ、という印象は確かにある。よく庭で知らない人とキャッチボールしていた、気さくな村長像はもう影も形もない。知らぬ間に殺伐と荒涼とした人格が板について離れなくなりかぶった狐の面に食われた。そう噂したが狐は良い霊として扱われたから村長だって悪いことずくめというわけではないだろう、自転車の紛失、侵入盗の被害などの相談に関してはエリア51貸し会議室棟3階オープンスペース304にて受け付けております、と、広報にはあったけれど、何だよオープンスペースって、死体置き場じゃないんだからよく見ろってなどと考えては、遠くなる叔父の幻影にこんな人間実在したっけ、と疑問の舌がちらつく。


 掠奪に曝される市街地が報知されたせいで治安が最悪。恐怖心と暴力性の遠慮のない発露に当人たちも驚きを隠せない様子だった。健康的な叔父の在り方に疑問を投げかけるとすれば、そもそもそのような人物は書類上にすら存在しないということで、ガサゴソとうるさい人間のごみ箱と市街地の悪化した治安と荒廃を見ていると、画面の向こうの出来事なのだが、それでいて気が滅入ってきた。チョコレート菓子が大好きだった叔父も、テディベアの熱狂的なコレクターだった叔父も、すべては誰かに殴り書きされたいい加減な肖像画の見せる影でしかないと気がついたのはいつ頃だったか、そう其れは八月のこと、路上で干からびた叔父に水を吹きかけても叔父は戻らなかった、そして杏子ジャムをパンに載せながら、今年の叔父はよう干からびるねえとだれか、多分伯母が言っていたような気がするが気のせいだったかもしれないし、何より顔面の輪郭があいまいで、幽霊だってもっと明瞭な外形を持つに違いないと思わせるほど、覚えることをいや、覚えられることを徹底して拒絶するようなわかりにくい顔立ちだった。だから、いい加減に肖像画を描かれた叔父とは違い伯母は決まって、記念写真の技師や肖像画家を困らせた。描くべき印象や雰囲気がないのだ。クレーターで寝起きしているに違いないとあるひとは述べ、いやあれは死相だと保管人は述べたが、実際には伯母は死んでいたことも、これから死ぬ予定もなかったのでこれは的外れというほかない、そういうのは簡単だが、実際、いかなる文脈からも切り離された死相のイデアみたいなものが伯母だと言われれば案外うなずいてしまうかもしれない懸念があった。


 そして夜明けは新聞紙を汚し、私は私から這うようにして逃れ出る。脱皮というやつで、しかしまだ朝だった。座布団の下から叔父を見つけたという報告がある。それ、ではなく彼は卵焼きを好むとされるが、卵焼きの種類・形態が不明である上に卵焼きを好むこと自体の真偽は不明とされている、日本叔父学会によって。彼に関してははっきりしない点も多く、また全国に遍在していることがその状況に拍車をかけている。とはいえ日本語が不自由な二分でも叔父に関して述べる以上、その行動の奇矯さからは一歩離れた無気味さに関しては述べないわけにはいかないと思う。叔父は基本的に夕方に布団からはい出てくるとされ、その後ティースプーン三杯の赤砂糖を入れたダージリンティーを飲むとされている。アールグレイは独特の風味が苦手であるらしい。その経路に関して叔父は通例、通り一般の巷説を

 

 述べるか無関心であるかに終始する。叔父にとっては癖のない紅茶こそが一日の始まりであり適切なものだという考え方だ。叔父の説明文は、叔父の複雑で煩瑣な性質に由来してどう注意しても冗長になりがちである傾向がある。卵焼き一つとっても、生クリームの乳脂肪分の割合から、焼き加減(生・3分焼き・5分焼き・ウェルダン)に至るまでとにかく諸説ある。いかに諸説あるといってもきりがない諸説がある。とめどなくその辺が叔父だとされている。叔父は春のお彼岸によく来たのよ、と葦野辺満(あしのべみちる)は言うが、おはぎよりは団子を好むことが証言されている。または言明されている。気にならないくらいの砂糖に、塩を、これくらい、混ぜるんです、ええ、ボリビアのね。このあたりだとハシモトマート(注:葦野辺の在住する地域の中規模ローカルスーパー)でよく見ますね。あとトナミ百貨でもありますが、ええ、塩がね、いい風味の引き立て役になるんです、小豆の自然な香りが柔らかに口の中に広がって、のどかな風味が際立ちます。まろやか、とも人は言いますね。叔父はこのケースでも夕方から布団からはい出し、調理場にラップをかけておかれている(おそらくは無言の了解のうちに叔父のものとされている)団子をごそごそと食べるそうだ。「まるで返信したグレーゴル・ザムザみたいにね」葦野辺は述べる。でも城は見つからないんですけど。叔父の愛読する作家はオルハン・パムクだそうだ。メジャーなところでいうと篠沢紘一が好みらしく、警察小説よりは純文学を好むが、警察小説が何に分類されるかの議論は別の場所に放り投げる。というわけで叔父は一種縁起物や家霊のような、というかまあアオダイショウや座敷童のような存在として家のものに扱われることが多いことがここ30年の調査から判明している。アンコウ調理法記念館の竹川は述べる。


「アンコウはね、こう、吊るして、まだ底冷えする朝のことですよ、誰だかわからない壮年期の女性が捌いていてね、それが繰り返し見られる夢だったとはまさか思いませんよ、背景の記憶もあいまいですし、ただ、そうですね、灰色でした、家族でよくスロヴァキアに旅行しました、あのころだからまだチェコ・スロヴァキアだったかな、そう、サムコ・ターレ『墓地の書』の巻末での展開じゃあありませんけどね、彼はいいピオネールでした、素直で、快活で、明朗で、輪郭もはっきりしていたし、ひどい近眼でね、よく家族でスロヴァキアに旅行したんですよ、あのころだからまだ共産圏という言葉が流布していて、で、旅行するにもあれやこれやの面倒な手続きがあるんですが、必要最小限の目的と『墓参の手引き』を手にね、聖堂巡りなんか乙なものですよ、で骨で装飾された教会……あれ、どこだったかな、間違いなく中欧なんですがね、さてはてチェコではなかったか、だからプラハの観光とかもね、制限が、ああ、ミハル・アイヴァスが好きでねええ、読めもしない原書を買い集めたもんですよ、英語版にでもしておけば読めたかもしれないのに残念だったね、あんこを煮詰めるときの穏やかで懐かしい匂いが、共産圏の缶詰のデザインのように無味乾燥で、うん、いい旅行でした。」

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楼閣の骸 韮崎旭 @nakaimaizumi

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