星空の見える牢獄

ワルツ

こんにちは、「私」。さようなら、「あれ」。

ある時、気がついたら何も無くなっていた。

一軒の小屋と、そこそこの広さの庭だけがある世界に放り出されていた。

なぜここに居るのか全く理解できない。なぜ理解できないのかもわからない。


小屋は木造でさほど大きな小屋ではなく、壁は白、屋根は愛らしいバラ色に塗られている。女の子が絵に描いたような愛らしい「おうち」だった。

この小屋に私以外の人は住んでいないようだ。よって、この世界に私以外の人は存在しなかった。

生活には困らなかった。小屋にはふかふかのベッドがあるし、倉庫の中にはいつもそれなりの食糧がある。天候はいつも良好で、暑すぎることも寒すぎることもない。

倉庫の中には食糧だけではなく、楽器、スポーツ用具、テーブルゲームなど、娯楽の為の物も揃っていた。庭には色とりどりの花が植えられていて、花には虫が寄り、虫を求めて動物がやってくる。私はそういった生物が好きだったのでこの生活に飽きることもなかった。


だが疑問はあった。1つは「ここはどこだろう」、もう1つは「私は誰だろう」だった。

まず私は「ここはどこだろう」の方に触れてみようと思った。ある時私は庭の外に出てみた。

私は「何も無い」の意味を取り違えていたことを知った。「何も無い」とは、この庭の外の世界のことだった。

庭の外は白でも黒でもないが無でもあり有でもある不思議な世界だった。

目に見える物は存在しない、音も聞こえない。一歩庭の外に踏み出そうものならまっさかさまにどこまでも落ちて行けそうに見えた。

私はテントウムシを指に乗せて、この庭の外に指を向けてみた。

指のてっぺんまでのぼったてんとう虫は赤地に黒の斑点の翼を広げ、庭の外へと飛び出した。

だが内と外の境界に触れた途端、テントウムシは溶けて消え、二度と戻ってくることはなかった。

背筋が凍りついていくような心地がした。随分久しぶりに「怖い」と思った。

私は手を外に出してみた。境界に触れても私の手は消えなかった。だがテントウムシに指が触れることはなかった。

その時、ここは私の本来の居場所とは違うとわかった。「私は誰だろう」と思った。


ここに来る前のことはよくわからなかった。だが、記憶が無いのかと言ったらそれは不正解であるように思えた。

断片的な画、音は頭の中に入っている。記憶が無いというよりは整理がついていないようだった。

私が倉庫の中にあるキャンバスと画材に目を付けたのはこの頃からだ。思い出せる画と音をキャンバスにぶつけてみることにした。

出来上がった絵は多分他人には理解できないであろう抽象的な代物だったが、ここに他人は存在しないし、したとしてもどうせ見せはしないだろうから問題にはならない。

絵にしてみることで頭の中の整理は少しずつついてきた。真っ先に思い出したことは「私は一度死んだ」ということだった。

なぜ死んだのかは思い出せない。整理がつかないだけではなく、欠けている記憶もやはりあるのかもしれない。

思い出せる画はやはり人ではないものが多い。山、森、海、そこに住む生き物たちが中心だ。

音に関しては、こちらは画よりも人の割合が多い。憎しみと悲しみの叫びといえる声が多く、あまり綺麗なものではなかった。

だが画と音、両方をはっきりと思い出せる人「らしき」生物が一つだけ在った。

正確に言うとそれは人ではなく人の形をした異形の生物だ。外見は美しい少女のようだが、背中から巨大で無機質な羽が生えていた。

「あれ」はどんな生物も兵器も太刀打ちできない強大な力を持ち、永遠を生きることができる生き物だった。

だが、それゆえに人は「あれ」と理解し合おうとせず、「あれ」は人と触れる機会が極端に少なかった。

人を見下すような高圧的な態度をとるし、決して性格が良いとは言えなかった。だが様々なものに興味を示し、感情をはっきりと言葉で表した。今思えばある意味素直だったのかもしれない。

「あれ」は私の記憶の至るところで現れた。だが、まだ「あれ」が私にとって何なのか思い出せなかった。


この頃、初めてお客が来た。この庭に来てから、私以外の人と出会うのは初めてだった。

やってきたのは私よりも随分背の低い黒いロングヘアの少女だった。魔女のような恰好をしていて、箒を持っていて、使い魔のような目玉のような生き物を連れていた。

私は魔女を家に招き、お茶を淹れてお互いのことを話した。魔女は庭の外のあの無とも有ともいえない不思議な空間を渡って来たらしい。

魔女は私と同じようにある時突然「何も無い」状態で放り出され、目を覚ましたそうだ。

ただ私と違うところは目を覚ましたのはあの無とも有ともいえない謎の空間の中だったというところと、目を覚ます前の記憶が魔女には全く無いということだった。

私は断片的な画や音も無く、思い出せるのは自分ともう一人誰かの名前だけだそうだ。

そこで魔女はその名前を手掛かりにあの不思議な空間を彷徨って自分の記憶を探しているらしい。

私も自分に関して話せる限りのことを話した。その後話題は自分たちについて、それからあの不思議な空間についてと移り変わり、最後にはお茶が美味いだとか庭の花についてとかどうでもよい話題になっていた。

この頃から、その魔女のような少女は度々この家に遊びにくるようになった。


魔女は自分については何一つわからなかったが、あの空間とこの庭を含めた意味でのこの世界については私よりも詳しかった。

私は魔女から多くのことを教えてもらった。あの無とも有とも言い難い空間は一言で言うと「無限」らしい。そこにはっきりとした形を持ったモノは殆ど存在しないが、どんなモノでも突然生まれる可能性があるらしい。その突然生まれてくるものの一つに「世界」がある。

その無限の空間には「世界」がたくさん散らばっているらしい。この庭もその散らばっている「世界」の一つに一応あたる。夜空に星が散らばっているような感覚が近いかもしれない。

それぞれの世界には大抵何かの意志が関わっている。魔女によると何の意味も無い世界など存在しないのだそうだ。

どの世界にも必ず意味がある。誰かの作った物語であったり、人の見る夢であったり。

魔女はこの庭も何かの意志が関わって生まれたと言うのだ。


魔女は魔法が使えた。私は魔女から魔法についても教わった。

魔法とは強い意志の力で生まれるもの。強く願い望めばどんなものでも生み出し壊せるのがこの「無限」の世界における魔法なのだそうだ。

だが魔法にも限界があるらしく、どうしても捻じ曲げられない法則というものも存在するらしい。

私は魔法についての才能はさっぱりだったようだ。魔女が教えた大半のことを私はできなかった。

だが1つだけ、「描いた絵の世界に入る」という魔法だけは使うことができた。

この魔法は私の生活を大きく変えることになった。


私は倉庫から望遠鏡を取ってきた。庭の出入り口のところにそれを置き、庭の外に広がる無限の世界を観測するようになった。

私は様々な世界を見つけた。色鮮やかな世界、小さく今にも消えそうな世界、禍々しい形をした世界、数え切れず、説明しきれない。

時折やってくる魔女は、記憶を探す旅の途中で見つけた世界のことを私に語ってきた。

私はこの庭以外の様々な世界のことを知り、知った世界を絵に描いてみた。そして描いた絵の中を覗いてみるようになった。

ただし、覗くだけだった。その絵の世界に実際に入ってみる気分には何故かなれなかった。


私は外の世界を観測することに夢中になり、自分の記憶がまだ曖昧であったことをしばらく忘れていた。

「私は誰だろう。」この疑問を解きたいという望みも薄くなっていた。だがそれは流れ星が落ちるように、ある日突然解決した。望んでもいない答えが降ってきた。


ある日私が見つけた世界は白と黒、そして紅と蒼でできていた。

水晶のように透き通った光に包まれていて、歪だがそれはそれで美しい形の歯車が合わさってできた世界だった。

その世界を見つけた瞬間、突然頭を裂くような痛みが襲い、私は気を失った。

眠っている間に見たものは明らかに私の記憶とは違う景色だった。だが私の記憶ととても深い関わりがあった。「あれ」が出てきたのだ。少女の形をした美しくも恐ろしい化け物。

私が死んでから何百万年もの時間が経った後の「あれ」の姿が見えた。

高慢な性格と圧倒的な力はそのまま、だが瞳に以前のような攻撃的なまでの素直さが無くなっていた。

寂しいくらいに強く気高く、独りきりでそこに在った。声をかけようとしたら、目が覚めた。


目が覚めた直後、動悸が止まらず立ち上がれなかった。だが頭の中は目まぐるしく廻り出し、様々なものがあるべき形に噛み合っていくのがわかった。

動悸が少し落ち着いてくると、私は迷わず筆を執った。思いゆくままに絵具を溶いてキャンバスにぶつける。巨大なキャンバスを何枚も用意して記憶を現にしていった。

筆を振り回し、記憶のパズルを解いてゆき、終点が近づけば近づく程、私の心には黒い闇が溜まっていき遣る瀬無い気分になっていった。

その心に呼応するように使っていく色も黒く強く重いものばかりだった。心も絵も重くなってゆく一方なのに怒りも涙も出なかった。

寝るのも食べるのも忘れて描きつづけた。これ以上知りたくもない。見たくもないと思っていたのに手は止まらなかった。


遂に終わりは訪れた。蒼を重たく沈めたような闇の空に小さな紅の星を一つ描きいれた。

出来上がった絵を私は庭に並べた。無数のキャンバスを並べて出来上がった暗黒を塗りたくったような絵は、この庭の外の無限の世界とどこか似ていた。

私は筆で命ずるように魔女から教わった魔法を使った。私の記憶の結晶は融解して天井に広がっていった。


それは「極悪人」の記憶だった。残虐の限り尽くし、全世界に治しようのない傷を負わせた罪人の記録の物語だった。

過去の私は罪の無い家族を引き裂き、多くの人々を犠牲にして自分の野望を追い求め続ける怪物だった。その傍らにはいつも「あれ」が居た。

「あれ」は私を人として好いていた。だが私は一瞬も「あれ」の顔を見たことなど無かった。私はいつも「あれ」の羽を見つめていた。

私は「あれ」を利用していたのだ。「あれ」の強大な力を自分のもののように行使して世界中を屈服させ、「あれ」の力を借りて自分の命を伸ばし、他人の命を湯水のように使って自分の欲を満たした。

罪の意識など無かった。そもそも善悪など意識したことが無かった。他人の悲しみや怒りへの興味も無かった。

私は無理矢理に命を引き延ばしたことで心の底から狂っていった。

だが諸悪の根源は、ある日突然殺された。私は何の力も無い子供に刺されて死んだ。あっけない最期だった。


全てを見届けた私の心はもうこれまでのように穏やかではいられなかった。絵筆はいつの間にか地面に転がり落ちていた。

心臓に穴が開き、開いた穴に風が通り抜けるような虚しい心地だった。茫然と立ち尽くす私に声をかけてくれる人は居なかった。私は独りだった。

私の頬を冷たいものが滑り落ちた。それが美しいものか醜いものかはわからないが生まれてから初めて私は涙を流した。


私はこの庭と自分の存在の意味、そして自分の運命を知った。


今この庭に居る私は「あれ」の記憶なのだ。この庭は「あれ」がただの記憶の為に用意した牢獄なのだ。

この無限の世界の中に存在する世界は大抵誰かの意志が関わっていると魔女は言っていた。この庭を作り出した意志が「あれ」なのだろう。

「あれ」を利用して世界を揺り動かすほどの極悪人となった私は、きっと「あれ」にとって永遠に忘れることのできない人になったのだろう。

だから今の私とこの庭が生まれたのだ。「あれ」が永遠を生きる限り、私の為のこの庭は存在し続け、私は永遠に「あれ」に生かされ続けるのだろう。

良くも悪くも、「あれ」という存在の礎として。「あれ」が「あれ」であるために。


私の死後、「あれ」は何を思っただろうか。そんなことを初めて考えた。もし生前に一度でもその考えが浮かんできていたならば、私はあのような極悪人にはならなかったかもしれない。

きっと私への好意はどこかで一瞬で冷めたのではないだろうか。そして私を憎み恨んだのではないだろうか。望遠鏡を覗いた瞬間に視えたあの冷たい目を思い出してそう思った。

私を憎み、自分を恨み、後悔し、落ち込み、そして立ち上がってできたのがあの冷たくも凛とした孤高の存在だったのかもしれない。

今の私は庭の出入り口に置かれた望遠鏡の向こう側を見つめ、「ごめん」と一言呟いた。


その後も私はこの平穏で穏やかな牢獄に住み続けた。なんということはない、起きて、食事をとり、花に水をやり、望遠鏡を覗き、絵を描き、たまに魔女がやってくるだけの日々。

以前より自分に中身が詰まった……ような気がする。変化はその程度だ。


私はある時一枚の絵を描いた。顔の大きさくらいの小さなキャンバスに描いた。

優しく平和な草原を描き、その真ん中に「あれ」を描いた。そして庭から花を一輪摘んで彼女に捧げた。

絶対に赦されはしないだろうと思った。

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