ペットボトル・メモリー

あごだし

 1


 ある時、僕はあまりの寒さに目……いや厳密に言うと目なんてついてはいないけど、目を覚ましたんだ。


 それにしても寒すぎる。まあその元凶くらい分かってはいるんだけどね。

そう、冷却器。


 ――僕は自動販売機の中にいた――


 どうやら僕は、ジュースのペットボトルとしてこの世に生まれ落ちたらしい。

 何故かは分からないが、自分がどこにいるのか、自分が何者であるのか、そして自然の摂理から社会の闇まで、全て当然のことのように知っており、また理解もしていた。

 ふふっ、知識やアイデンティティのあるペットボトルなんて笑えるじゃないか。

 そして三日三晩、自動販売機の中で過ごした。正直、凍死するかと思った。まあペットボトルだから凍死なんてありえないんだけど……


 外に出るまでの間、いろんなことがあった。

 真っ暗な自動販売機の中では、ブーンと機械音だけが響き渡る。外からはたまに車やバイク、人間の声なんかが聞こえた。

 その時の自分にとっては、人間なんてどうでも良い存在だった。

 けれど、今思い返すと、老若男女、多種多様な人間の声が聞こえていたと思う。

 そして、たまに「チャリン」という音や「ピッ」という音がした。そうして、大きな音をたてて僕以外の他のペットボトルが落ちていった。


 そして、目が覚めてから四日目の昼。自動販売機の中から急に落とされて、暑い夏に飛び出した。

 僕の体の緩やかに凹んだ曲部を、誰かにギュッと鷲掴みにされた。


 ――それが君だった。


 そして心もギュッと掴まれた。

 青空が延々と拡がっていて、遠くには真っ白な入道雲が沸き立っている。しかし、そんな心地の良い映像とは裏腹に、むせかえるようなモワッとした熱気に頭をクラクラさせられた。

 しばしハンドタオルで汗を拭っていた君が体を反転させたから、逆光でよく見えなかった君の顔もハッキリと映し出された。

 サラサラとなびくセミロングの黒髪。真夏だと言うのに真っ白い肌。その表面に煌めく一雫の汗。そして、目元や口元は柔和で愛らしいのにも関わらず、全体的に見るとクールな顔。

 その瞬間、一陣の風が吹いた気がした。

 僕は、君のその美貌に惚れ惚れさせられた。

 そして、君の唇が僕の唇と重なる。その接吻キスはとても長かったにも関わらず、清々しささえ感じられた。その瞬間は僕にとって、人生……いや、ペットボトル生で初めての感覚だった。

 それが一目惚れであり、初恋だったことは後で知ることになるんだけどね。

 君は、僕をただのペットボトルとしてしか見ていなかった。でも僕は、それでいいと思った。


 君はゴクゴクとジュースを飲んでいく。この時僕は悟った。「ああ、このまま飲み干されたら捨てられるんだな」と。

 一分もすると、僕は空っぽのペットボトルになった。よほど喉が渇いていたんだろうね君は。

 そして君は驚くべき行動に出た。

 僕というただのペットボトルを持ち帰ったのだ。

 空っぽになったペットボトルは用済みとなり捨てられると、そう思っていた。

 けれども君は、僕の思考を他所に、捨てずに持ち帰ってくれた。流石にこれには歓喜せざるをえず、思わず頬が緩んでしまった。……まあ、ペットボトルに頬も表情筋も無いのだけれど。


 そして君は、僕というペットボトルを長い間、大切に使ってくれた。

 気づけば季節は夏から秋へ、秋から冬へと変わっていた。

 そして、窓の外ではしんしんと雪が降っている。

 朝のニュースで言っていたが、この地域で雪が降るのは珍しいことなのだとか。ちなみに、僕の体には保温カバーがつけられているので寒くない。むしろ熱々のお茶のお陰で体の芯から温かい――いやむしろ熱いかもしれない……


 君と過ごしていると、当初の考え方――つまり、人間に対しての「どうでもいい」という考え方は変わっていた。君のおかげで、一人一人が個性ある生き物なんだと思えた。


 まあ兎にも角にも、長く使ってもらえて僕は尋常でないほどに嬉しかった。

 しかし、君がいくら僕のことを大切に扱ってくれても、使用する度に小さなダメージが確実に蓄積されていた。

 そして遂に、、ペットボトルの劣化が進行し、小さいながらにも風穴が空いてしまった。

 穴が空いているようではもちろんペットボトルとしては使えない。僕の運命は尽きたのだ。

 そう、

 もちろん、長く使ってもらえて喜びは感じていた。

 けれどもその反面、疲労感もしばしば感じていたのだ。

「ペットボトルにしては頑張った。もういいだろう……」

 とね。

 悲しいはずなのに安堵している……全く、感情が複雑すぎるよ。


 君は――


「あちゃー、これはもうダメだね……まあ、良く頑張ってくれたね。ありがと」

 ――と言った。残念そうな表情を浮かべた君は、僕をペットボトル用のゴミ袋にそっと棄てた。

 もちろん、分別して……


 2


 そして今、僕は君の夢の中にいる。こういうのを「夢枕に立つ」って言うのだろう。

 まあなんでもいいけど、君にはどうしても伝えたいことがあった。その僕の強い思念があったからこそ、君の夢に出ることができたのだと思う。神様のお陰かな。

 もし本当に神様なんかが存在するのならば感謝しないといけないね。

 あ、でも、本当に神様がいるのだとしたら、僕の寿命を延ばしてくれても良かったんじゃないかな――なんてね。


 こうやって君に語りかけることが出来るのも今夜が最後だ。

 君は知らないのだろうけれど、僕はいつも君に語りかけていたんだ。君と会話したいという願いが、今夜、やっとの思いで叶ったことが至極嬉しい。

 君と過ごしたこの半年。いろんなことがあって楽しかった。

 君の通う高校では体育祭や文化祭なんかもあった。放課後は友達とカラオケに行ったりバイトをしたり――君がカラオケに何回も行くもんだから、君の好きな曲の歌詞を全部覚えてしまった。

 それに、君の下着とか裸を拝める機会も幾度かあった――これはもう、ガッツポーズをせざるを得ないだろう。


 だが辛いことも当然あった。バイトで失敗したり、テストの点数が低くてお母さんに怒られたり――

 ――でも僕は知っている。君が自分なりに精一杯頑張っていたことを。勉強もバイトも必死になって頑張っていた。

 定期試験まで一週間を過ぎると血眼になって机に張り付いていた。特に苦手な現代社会は鬼の形相だった。アレは正直、少し怖かったと思っ……な、なんてね。冗談だ。そう露骨に気を落とさないでくれ。


 だいぶ話が逸れてしまったが、話を戻すと、僕は何事にも一生懸命な君のことが大好きだった、本当に。

 けれど、今となっては僕はタダのペットボトル。いや、それ以前にタダのPET樹脂だったのだ。

 ああ、あの時、という疑問の正体はこれだったんだね。ただのペット樹脂だからと自分を卑下して、君に意識されないという事実を受け入れていた。

 こんな僕が君に恋する資格なんて無いのかもしれない。禁忌なのかもしれない。

 だけど、これだけは言わせて欲しい。言うだけだったらタダだから……


「僕は貴方のことが大好きでした。もし僕に少しでも好感を持ってくれているのならば……お願いします。僕のことを忘れないで欲しい」


 僕が捨てられることに対しての解釈は、「捨てられる=死ぬ」で合っているだろう。

 本音を言うと、だ――死にたくはない。もっと生きて、あわよくば人間になって君と一緒に生きたかった。

 そんな上手い話があるわけないのだけれど。

 僕は死ぬことが怖い。君たち人間と同じように死ぬことが怖い。

 だけど――もし、君が僕を忘れないでいてくれるなら、僕は安心して死ぬことができる。忘れないでいてくれるだけでもう幸福だ。


 もう時間みたいだ。

 今までありがとう。それじゃあ――


「いつか何度目かの夏にまた……!」


 あ、それと――


 ――君には赤色の下着が一番似合うよ。


 3


 あくる朝、目覚めた私の頬には液体の伝った跡がハッキリと残っていた。それと同じようにハッキリと覚えている。あの、変態キス覗き魔――もとい、ペットボトルくんのこと。

 不思議と悪い気は全くしなかった。むしろ胸が高鳴り、それとは反して落胆していた。

 ペットボトルくんが死んで悲しみに暮れている訳ではないが、少しの喪失感と虚無感だけが残っていた。

 だからこそ思った。


「ペットボトルくん。こっちこそありがとう。私は、君のことを一生忘れないよ!」


 だってそりゃあ……キスした上に下着や裸体まで見られたんだもんね……


 4


 その後、私がで悶々とした数日間を過ごしたのは言うまでもない。

 私は思う。


 ――どんな物にでも魂は宿る――


 とね。

 ほら、日本の神話でも言うじゃん、自然万物に神が宿るって……あ、そうそう、八百万の神ね。

 あとは――アニミズム?だっけ。高校の現代社会の授業でやった気がする。「どんな生物・無機物にも魂が宿る〜」みたいなやつ。


 これは私が体験した話。

 この物語を読んでくれた人が、一人でもゴミの分別をしてくれることを願っている。

 そしたらきっと、ペットボトルくんも少しは報われるのかもしれない。


「――ふーん。赤色かぁ……なかなかいい趣味してるよ」


 それじゃあいつか、何度目かの夏にまた......

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ペットボトル・メモリー あごだし @kusohikineet

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