第3話

 サラは王子の部屋を去った後直ぐに王城を立ち去り、馬車の中に閉じこもって一人涙を流していた。

 どうしても告げなければならなかったとはいえ、心にもない言葉を告げることはとても辛いことだとサラは初めて知った。


 それでもあれだけは言わなければならなかった。

 今の状態がどうあれ、ルシウスが必ずヒロインに心を奪われることを、サラは知っていたからだ。


「ヒロインのスキルには誰も逆らえないもの……」


 涙を拭いながらサラは消え入るようにつぶやく。

 ゲームの記憶を取り戻したサラは知っている。これからルシウスや他の攻略キャラ達が、ヒロインに恋する未来は確定されたものだと言うことを。


 一週間後にアランディアス学園に共に入学することになるミツゾノの主人公、庶子から伯爵令嬢として引き取られ、学園に足を踏み入れるであろうリリカ・フローリアンはヒロイン補正の強力な『スキル』を持っている。

 それに逆らえる者など、誰一人としているはずがないのだから。


 ――『スキル』

 これがリリカをミツゾノのヒロインたらしめる最たる特徴。


 乙女ゲーム『秘密の花園』にはいわゆる魔法というものは存在せず、前世と同じ空想上のモノとして扱われている。

 しかし代わりにこの世界の人間には『スキル』という特殊な能力が女神の祝福によって与えられ一人ひとり個別の特殊能力が備わっているのだ。


 そしてその物語、ミツゾノの主人公であるリリカにはまさにヒロインに相応しいスキルが与えられていた。


魅了チャーム

 それがリリカの持つスキルである。

 その名の通り全てを魅了し、惹き付け、愛させずにはいられない強力なスキル。


 ミツゾノのゲームにおいて、ヒロインは攻略対象の『好感度』をパラメータとして具現化してみることができ、その好感度をあげることでストーリーを進めることができた。


 この世界においては『魅了』というスキルがどのような形で現れるかは分からないが、ゲームの仕様その通りならヒロインは相手の好感度をいつでも知ることができるはずだ。それだけでも十分有利に恋愛を進めることができる。


 また、ヒロインはその役目に相応しい可憐な容貌をしている。

 今はでサラに向いているルシウスの目も、ヒロインに会えばきっとそちらに向いてしまう。


 そうなればサラは国外追放まっしぐらだ。それは避けられない運命。

 なれば、せめて自分には二人の恋路を邪魔する気は無いという意思表明を先にしておけば、多少はマシになるかもしれない。

 それが今のサラに思いつく限りのできることだった。


「せめて、入学式の日までに上手く笑えるようにならなきゃ……」


 長年恋していた初恋の王子に『豚』と嘲笑され、すっかり自分に自信を無くしていたサラは、一年かけて痩せて以降も自分の外見に自信を持てないでいた。


 トラウマとは簡単に克服できるものではない。サラが心に負った傷はそれほど深く、それゆえサラは万が一にもルシウスが本気で自分を愛しているとは微塵も思っていなかった。





 ――一方その頃、ルシウス王子はというと。


「何故だ、どこが行けなかったんだ……。俺はサラに愛していると伝えたはずなのに……。俺の愛が足りなかったのか? そういうことなのか? ああ、俺はどうしたらいい。このままだと俺はサラに嫌われてしまう。サラに嫌われるなんて耐えられない! ああ、サラ。俺のこの深い愛の気持ちはどうしたらサラに伝わるんだ!?」

「……あの、ルシウス様。落ち着いてくださいませ」

「これが落ち着いていられるかクラウ! いいか、これは危機だ! サラは俺に好きな人ができたら身を引くといった。俺はサラ以外の婚約者など考えられない! 俺が結婚したいのはサラだけだというのに! 何故なんだ、何故俺の気持ちはサラに伝わらない? ああ、サラ、サラ、サラ!!」


 大いに取り乱していた。

「サラ」しか連呼しなくなったルシウスを見て、横に控えていた従者クラウはまたかと、溜息を着いた。


 ルシウスがまたこの状態になってしまった。

 頭を打って以降、主人はことある事に「サラ」と婚約者であるマルグリット公爵令嬢の名前を連呼するようになった。


 ――と聞いて、嫌な予感がしていたけれどまさかこうなってしまうとは……。


 クラウは婚約者サラ連呼機と化したルシウスを見据え、本日何度目かの溜息をつく。

 多種多様な『スキル』を持つ人間がいる中で、この王子ほど厄介なスキルを持つ者は居ないだろう。


 王子であるルシウスは『反射リフレクト』というスキルを保持している。

 自身を害するスキルを文字通り反射して相手に返すという非常に強力なものだが、これだけならば実に便利なスキルに見えても、この『反射』にはとんでもないデメリットがあった。


 ルシウス本人がスキルを行使した際に意識を失った場合のみ、『反射リフレクト』の性質は『反転ターンオーバー』というスキルに変質してしまう。


 スキルを反射するのに対し、反転ターンオーバーはルシウスの嗜好をランダムに文字通り『反転』させてしまうのだ。

 しかも一度反転した嗜好は二度と元には戻らない。まさにとんでもないスキルだった。


 過去に一度このスキルが発動した際、王子は毛嫌いしていたピーマンを好きになり、その時は実に便利なスキルだと思ったものだがそれは飛んだ大間違いだった。


 ルシウスは反転によってピーマンを深く愛するようになってしまったのだ。

 ピーマンを片手に愛を囁き、ピーマンとかた時も離れようとせず、自室にはピーマンに手足を生やした『ピーコ人形』なる謎の人形を配置するようになり、オマケにピーマンと結婚する! と宣言した時には国の未来を真剣に案じた。


 さすがに野菜とは結婚できないと後で思い至ったのかそれは口にしなくなったが、名残なのか手乗りサイズのピーコ人形は未だに王子のベッドの縁に飾られている。


 そして今回また発動してしまったらしい『反転ターンオーバー』の対象は婚約者のサラというわけである。スキルでの変異とはいえ、今の王子は間違いなくサラのことを心から愛している。

 それ自体はクラウとしても寧ろ好ましい。


 二人は将来この国を背負っていく立場にあり、このまま睦まじく過ごしてくれれば、というのが従者クラウの個人的見解だ。

 しかし、このルシウスの慌てぶりは何とかしなければなるまい。

 クラウは懐からとある物を取り出すと、『とっておき情報』を出すことにした。


「殿下、どうやらサラ様は予知夢なるものを見られたようです」

「唐突になんだ、クラウ」


 訝しげにこちらを見るルシウスにクラウはまあまあ、と主人を諌めると傍らのメモ帳に視線を落とす。

 そのメモ帳には、『マル秘サラ様情報』と書かれてあった。

 いつの間にこんなものを準備していたのかこの従者、用意周到である。


「ここ近年サラ様は頻繁にこの『予知夢』という単語を使われておられます。なんでもその予知夢ではアランディアス学園の学期末のパーティで側近候補の皆様と、他の令嬢を伴ったルシウス様に囲まれ婚約破棄を告げられるものであった、と」

「なんだそれは。どこ情報だ」

「サラ様の侍女、ラウラからです」

「ラウラか、成程。なら確かな情報筋だな」

「しかし奇妙な予知夢ですね」

「そうだな」


 反転によってサラ嫌いからサラ大好き野郎と化したルシウスがサラを愛することを辞めるのはありえない。

 未だにピーマン抱き枕を抱いて寝るこの王子だ。


 そのうちサラ人形を作って抱いて寝る未来しか想像できない。実際ルシウスは精巧な復元が可能な人形師を探し始めている。これは死んでもサラ様にはバレないようにしておこうと密かに決心するクラウを他所に、ルシウスは至極冷静な表情になると、眉根を寄せる。


「俺がサラに婚約破棄を仕向けるなどありえない。……待てよ、側近候補と言ったな。ということは身内が裏切り謀ったということか? よし、すぐに突き止めて処す。慈悲はない」

「まだ未来での話です。それに誰か分からないでしょう」

「これから探せばいい。見つけてお前が処分しろ」

「だから落ち着け早まるなバカ王子」


 思わずポロッと素を出してしまい、クラウはごほんと咳払いする。


「そしてもうひとつ。その予知夢で殿下の隣にいた令嬢というのが、今年伯爵令嬢として迎えられたリリカ・フローリアン嬢なる方だったと」

「フローリアン? ああ……フローリアン伯爵か」

「はい。その令嬢は確かに今年アランディアス学園に入学が決まっております」

「ふむ。単なる偶然にしてはできすぎか? でもサラのスキルは予知ではなかったよな」

「はい」


 ふむ、と頷き考え込むルシウス。

 先程の腑抜けた表情ではなく、一国の王子として振る舞う時の表情に戻った彼は非常に聡明で美しい。


 その姿でサラ様に接すれば少しは誠意も伝わるのではないか、とクラウが喉まで出かかった言葉を飲み下したところでルシウスが顔を上げた。


「よし、わかった。サラは予知夢が現実になるか不安で堪らないんだな。そんな事はありえないがサラが不安がっているのは事実だ。ならばその不安を取り除けばいいんだ! 私は今年一年間、サラにまとわりついてひたすら口説くことにしよう!」

「はぁ……」


 ――ダメだ、馬鹿だ、こいつ。

 クラウは喉まで出かかった言葉を再び嚥下するのに苦労していた。

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逃げる令嬢、逃さない王子。 蓮実 アラタ @Hazmi

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