第2話

 サラはその後、ルシウスに捕まり王子の部屋へと連行されていた。

 疲れ果てて廊下の物陰で息を着いていた隙に後ろから忍び寄ったルシウスに捕まったのである。


 執念による王子の勝利である。うら若い令嬢に後ろから忍び寄る戦法が果たして紳士としてどうであったかはともかくとして。


「お見舞いに来てくれたんだねサラ、俺はとても嬉しいぞ」

「は、はぁ……」


 ニコニコと笑うルシウスに対し、曖昧に相槌を打つサラ。

 それもそのはず、サラはこの状況に困惑しきっていた。

 サラはとうとうこの状況に耐えきれず、ルシウスに訴えでることにした。


「あの、殿下……そろそろ離してくださいませんか」


 サラは今現在、ルシウスの膝の間にいた。

 両手でがっちりと固定され逃げる隙すらなく、ともすれば互いの心臓の鼓動が聞こえてきそうな距離にサラの頬は真っ赤になっていた。


 金髪に涼やかな青い目元。

 頭に包帯が巻かれてはいるのが少々痛々しいが、間違いなくルシウス王子は美形に入る部類の顔立ちをしている。

 そのルシウスにこんな至近距離で見つめられるなんてどんな仕打ちなのだとサラは羞恥に耐えかねていた。


 しかも、


「ああ、頬が林檎のように真っ赤に色づいているね。可愛いよ、食べてしまいたいくらいだ。マイスイートハニーはいじらしく慎ましく可愛らしい、愛おしくて堪らないよ」


「もっと顔を見せておくれ……本当に可愛くて可愛くて仕方ないな。サラはなんでこんなに可愛いんだろう。もうこのまま返したくない。ずっと永遠にこの手だけに閉じ込めてしまいくらいだ」


「愛してるよマイスイートハニー。永遠に」


 などと三分に一回のペースで、甘い台詞を吐かれるのである。

 美貌の王子が至近距離で自分を見つめて愛の言葉をささやく。


 初対面でサラを『豚』と呼び、嘲笑っていたあのルシウスからは考えられない変貌ぶりにサラはこれがルシウスの新手の虐めなのではないかと思い始めてきたくらいだ。


 それでも、サラはルシウスの言葉に胸をときめかせずにはいられなかった。


 どのような奇跡が起きたのかは分からないが、王子が自分に愛の言葉を囁いてくれている。

 自分を好きだと言ってくれることが、サラには嬉しくて堪らなかった。


 元々ルシウスのことは好きだったサラだ。当然想い人からこのような言葉をかけられたら嬉しいに決まっている。

 けれど、サラは忘れてもいなかった。これから始まるあの一年間を。


 かの乙女ゲーム、『秘密の花園』はこれから入学するアランディアス学園で始まるのだ。

 ミツゾノのヒロインに会えばきっとルシウスは再び自分のことを見てくれなくなる。

 それは決まっているからだ。なぜならミツゾノのヒロインは――。


「……サラ?」


 ルシウスの声にハッとする。

 気づけば、ルシウスが気遣うようにこちらを覗き込んでいた。


「どうした?」


 こちらを覗き込んで、心配そうに様子を伺ってくるルシウス。

 その青の瞳に自分が写っているのを見て、サラは余計に胸が苦しくなった。


 ――もうすぐ、この人の青い目を写すのは自分ではなくなる。

 ルシウスの隣はヒロインに奪われてしまうだろう。

 その時、自分はどんな表情をしているのだろうか。それこそ、ゲームの中のサラのようになってしまうのだろうか。


 これまで必死に抑えてきた恐怖や不安が堰を切ったように溢れ出し、止まらなくなった。

 そのままボロボロと涙を流し始めたサラを見てルシウスが慌て出す。


「サラ、どうしたんだ!?」

「ごめんなさい。……ごめんなさい」

「何かあったのか? それとも私がなにかしてしまったのか? サラ、大丈夫か?」


 いつだって冷酷な笑みしか浮かべてこなかったルシウスが自分のために慌ててぎこちないながらも頭をぽんぽんと撫でてくれる。

 それがサラには堪らなく嬉しかった。


 ルシウスはもうすぐ『運命の出会い』を果たす。

 アランディアス学園の入学式の日、この世界にも存在するサクラの木の下で、ルシウスは転んで膝を擦りむいたヒロインと出会うのだ。

 それがミツゾノのゲームのプロローグである。


 だからアランディアス学園の入学式の日、サラは失恋することになるだろう。

 何せサラのこの世界での役割は悪役令嬢だ。入学式まであと一週間。


 だからせめて、これだけは伝えておこう。


「殿下、お伝えしたいことがあります」

「なんだい、なんでも言ってごらん」

「もしアランディアス学園で心惹かれる方ができたら遠慮せず私に申し上げてください。私はいつでも身を引く準備をしております。決して殿下の邪魔になるようなことは致しません。それだけは覚えておいてくださいませ」


 サラは悪役令嬢だ。しかし、悪役令嬢にはならない。

 ヒロインの邪魔はしない。ゲームのような醜いサラにはなりたくない。


 その一心で、サラは告げた。

 それが、ルシウスからすればどのような言葉に取れるかは考えもせず。

 その台詞を言うだけで精一杯だったサラは、目を見張り硬直したルシウスには気づかず、硬直した隙に緩んだ手の間から逃げていった。


 *


 サラが出ていった室内で、ルシウスは固まっていた。

 いきなり泣き出したサラに戸惑いつつも、何か悩みがあるのか、もしくは自分に至らない点があったのか、それなら直ぐに改善しようとそんなつもりでサラの言葉を待っていた。


 それなのに、サラから出てきた言葉はあまりにも衝撃的なものだった。

 ルシウスはサラのことを愛している。

 それなのになぜサラはあのようなことを言ったのか。

 ルシウスには不思議でならなかった。


 事故以降、頭を打って絶対安静を言いつけられたルシウスが思い続けたのは「サラに会いたい」ということだけだった。

 だから今日逢いに来てくれた時、ルシウスは本当に心から嬉しかったのだ。

 多少強引に追いかけ回したり、膝の間に閉じ込めたりはしたが、アレはルシウスにとっては愛情表現のつもりだった。


 まさかそこまでサラに嫌われることになってしまうとは……とルシウスは心底ショックを受け、傍らに立っていた従者が気の毒そうにルシウスを見つめるほど哀れな姿であった。


 ――事故に遭ったあの日、橋から落ち川に着地した時ルシウスは強く頭を打った。

 それ以降、嫌っていたはずの婚約者を愛し始めたルシウス。


 しかしこれは至極理にかなったことであった。

 橋崩落後の発見時ルシウスは頭を打ち白目を剥いて倒れていたというが、今回の件と白目を剥いていたのにはきちんとした理由があった。

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