逃げる令嬢、逃さない王子。

蓮実 アラタ

第1話

 オークランド王国に一際大きくそびえる居城、ゴシック様式建築を模しながらも、独自の進化を遂げたオーク様式で彩られた王城の廊下を一組の男女が走り抜けていた。


 埋め込まれている大理石も「解せぬ」と声をあげるであろう豪華な廊下をドレスの裾を持ち上げて豪快に走り抜けるのは一人の令嬢。


 ハーフアップにしただけの艶やかな銀の髪が乱れるのも構わずに全速力で廊下を走り抜け、令嬢ながらなかなかの惚れ惚れする走りっぷりを披露している。


 それもそのはず彼女――サラ・マルグリットは今、人生最大級のピンチを迎えていた。人生最大級のピンチだ。いくら深窓の令嬢でも逃げるためには全速力で走るに決まっている。


 もたつきそうになる足を止めないまま、息を切らしながら走るサラは、首だけ動かして困惑を宿した菫色の瞳を後方に向ける。


 そして次の瞬間、「ひぃ!」と声をあげると更なるスピードでダッシュを再開した。

 彼女が悲鳴をあげた後方――、


「なんで逃げるんだサラ! 我が愛しの婚約者よ! ……そうか。恥ずかしがっているのかな。ハハッ、追いかけっこか。お転婆だな。なら負けないよ! マイスイートハニー、待っておくれ!!」


 きっと廊下ですれ違った人物がいたならば三度見ぐらいしそうな勢いで振り返るであろう寒すぎるキザな台詞を吐きながらサラを追いかけるのは金の髪をした男。

 整った端正な顔立ちを紅潮させながらこちらも全速力で走る男は息ひとつ切らさずに逃げる婚約者を追いかけていた。


 一見婚約者同士の色恋沙汰の青春真っ最中かと思いきや、それにしてはサラの逃げるスピードが尋常ではない。

 その理由は、サラの婚約者……後方からサラを追いかけてくる王子の態度にあった。


 それでは、分かりやすく現場の走り回る令嬢、サラに状況を説明してもらうとしよう。




 *



 ――御機嫌よう。私、走り回る令嬢ことサラ・マルグリットと申します。廊下から全力疾走でお目汚しとは思いますがこれには事情がありますの。


 私はこのオークランド王国宰相でありマルグリット公爵であるサイラス・マルグリットの娘でございます。肩書きは公爵令嬢ですわ。


 私は13歳の時、この国の王子殿下であらせられるルシウス・フォン・オークランド様の婚約者となりました。

 ええ、政略的なものではありましたが私は王子殿下をお慕いしておりましたので、とても嬉しかったですわ。


 けれど、ルシウス様はそれが不服だったようです。

 初めて会う私を見るなり開口一番ルシウス様はこう仰いました。


「これが俺の婚約者か? 何かの冗談だろう。俺の婚約者は豚じゃないのか?」


 と。


 私はショックを受けました。ええ、三日三晩高熱を出して寝込むほどにショックを受けましたとも。

 けれど、倒れて三日目――私は不思議な夢を見ました。


 私が王子に婚約破棄を告げられ国外追放される夢です。夢の中で私は『悪役令嬢』と呼ばれる存在で、『ヒロイン』なる美少女を虐め、断罪される運命にありました。

 ――それは私の前世の記憶と呼ぶべきものでした。


 前世の私は乙女ゲーム『秘密の花園』、略してミツゾノという乙女ゲームをプレイしておりまして、これがまさに今の私が住む世界そのものだったのでございます。


 15歳になると貴族が通う学園、『アランディアス学園』が舞台となり、庶子だったヒロインが伯爵令嬢であることが発覚し、その学園に入学して王子以下『攻略対象』なるキャラたちと恋愛を繰り広げていく、というものでした。


 私、サラ・マルグリットはそのライバルとなる悪役令嬢で、あの手この手を使ってはヒロインと攻略対象の仲を引き裂こうと行動を続け、最後はその行動を逆手に取られて断罪されるというまさに当て馬な配役を与えられておりました。


 ゲームの中のサラ・マルグリットは高慢ちき、自信過剰、オマケに傍若無人という三拍子の悪さが揃った最悪の令嬢でした。

 さらにヒロインは美少女と呼ぶべき美貌を誇るのに対し、ゲームでのサラはたっぷりとしたフリル満載のピンクのドレスをまとい、丸々とした肢体を惜しげも無く晒したデブだったのです。


 私は絶望しました。王子殿下に『豚』呼ばわりされたようにその姿はまさに、豚がピンクのドレスを着て銀髪の鬘を被って歩いていると言われた方が納得できる姿でした。


 夢から覚めた私はまず自分の体を見下ろしました。

 たぷたぷと揺れ動く二の腕、パンパンの太もも、そして自分を見下ろす顔の下には立派な三重あご。


 これはダメだと思いました。

 客観的に自分を見たことで、私は自分が如何に醜い令嬢なのかを知ることができたのです。


 それからの私はダイエットに励みました。

 倒れるまで走り、腹筋や背筋等のメニューをこなし、食事制限も行った結果、一年でスラリとした体型を獲得することに成功致しました。


 けれど、私の心が晴れることはありませんでした。

 私は今年で15歳。

 そう、これからかの乙女ゲームの舞台であるアランディアス学園に通うことになります。


 まだ見ぬヒロインも当然この学園に入学することは分かっています。そうすれば私に待っているのは断罪される未来。

 愛した人に断罪され、祖国を追い出されてしまうのです。

 そんな未来が待っている学園に果たして誰が通いたいと思えるでしょうか。


 しかし私は考え直しました。

 私が最終的に断罪されるのは少なくとも一年後、学期末に毎年行われるパーティでのことです。断罪までにまだ一年の猶予が残されています。

 その一年の間に何とかして追放されても暮らしていけるだけのお金とツテを確保しておこう、と私は決心しました。


 ――そんな折でした。

 ルシウス王子が怪我をなされた、という話を聞いたのは。

 なんでも王子を乗せた馬車が橋を走行中に突如崩れ、王子はその崩落に巻き込まれ、怪我をしてしまったというのです。


 王子は一命は取り留めましたが、発見された時、頭を強く打ち白目を剥いていたとお聞きしました。

 今は王城の自室にて絶対安静で養生なされているご様子とか。

 私はルシウス様のことが心配で、婚約者としてはお見舞いに行くべきなのでしょうが、どうしても王城に行く気になれませんでした。


 また王子に会って嘲笑されるのが怖かったのです。

 私はあの日以降王子に全く会っていませんでした。何回か会う機会は設けられたのですが、何かと理由を作っては面会に行くことを拒んでおりました。


 しかしとうとう業を煮やしたお母様に馬車に放り込まれてしまい、無理矢理会いに行くことになったのです。

 閉じ込められた馬車の中で私は憂鬱になりました。

 またルシウス様に笑われるのではないかと、怖くて堪りませんでした。


 そしてとうとう王城に着き王子と面会した時、私は二年ぶりにルシウス様と再会いたしました。

 また嘲笑われるんだわ――と若干涙目になりながら身構えた時、ベッドから起き上がったルシウス様はこう仰ったのです。


「――ああ、我が愛しのサラ。お見舞いに来てくれたのかい? ありがとう。会えて嬉しいよマイスイートハニー」


 いつもニヒルな笑みを浮かべて、クールな表情を崩さず常に無口な『氷の王子』と言われるルシウス様のあまりの変わりように、私はルシウス様が頭を打たれておかしくなったのではないかと思いました。


 それほどまでに衝撃だったのです。


 そして更に驚くことにルシウス様はそのまま立ち上がると、私を抱きしめるではありませんか。

 私は半狂乱に陥って王子を突き放すとその場から逃げ出しました。


「なぜ逃げるんだいサラ!? 待ってくれ私の愛おしい姫!」


 王子は直ぐに私を追いかけてきます。

 逃げる私、追ってくる王子。


 何が何だか分からずただ恐怖でした。

 ルシウス様がなぜ急に私にこんな態度を取ったのかも理解できません。

 頭の中は混乱で埋まっていました。


 訳が分からず私はただ逃げ――話は冒頭に戻るのです。

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