第8話 最終回・死者は語らず

「もう、やめて」藍子が震える声で言った。

「藍子ちゃん」美登利が言うと、藍子は首を何度も横に振った。「なにもなかった。何もなかったのよ、この家では。もういい加減に帰って」

「そうもいきませんので、勝手に探させてもらいます」

 宇藤木は突如として身を翻し、右手のキッチンの方に走った。


「あっ」茜が追ったが、すぐに宇藤木は戻ってきて、「間違った」と言って、左手のバスルームに駆け去った。

「えい、あの男っ」茜がまた追いかけたが、また宇藤木は駆け戻ってきて、

「いない。二階かな」と、藍子に向かって言った。茜が懸命に止めようとするが、さすがに巨漢の宇藤木とは体格差がありすぎて、どうしようもない。茜はきりきり舞いするだけだった。


「いいかげんにして、誰もいない」藍子が悲鳴のような声を上げると、

「この期に及んで、まだそのような言い草。ならば、協力してもらえるよう、証拠を示します。ではまず」と、言いながらロビーの中央に立った宇藤木は、上着のポケットから懐中電灯のようなものを取り出して見せた。

「こういうものがあります。照射すれば、動物の血痕を浮かび上がらせる。それをここの床にあてれば、えいっ」

 宇藤木がライトを照らしたが、

「うーん、期待したようにいかん。明るいのがだめなのかな?」


 外は雨空のために暗く、日中だが部屋の照明には明かりが点っている。

「そうだ」彼は大またに壁際へと近づき、照明のスイッチに手を伸ばした。

「まず部屋の明かりを消してみましょう。そうすれば、もう少し……」

 

 しゃべり続ける彼の背後に、音もなく美登利が立った。ミトンをはめた手には、みずるに向けたのとは違う別のナイフが握られている。宇藤木を挟んで反対側に、手に金槌を持った茜が立った。藍子は昨晩の瓶を持って後ろに控えている。

 三人は互いに目配せして、静かに前に出た。

 しかし、宇藤木がスイッチを操作して照明を消したとたん、中庭に面した応接室の窓が大きな音をたてて割れ、桟とガラス片と一緒に鉄製の椅子が飛び込んできた。

「まてっ、お前らっ」窓の外から大声がかかった。


 宇藤木が振り向いた。「きゃあ、和気さん。お久しぶり、そんなところに」

 ようやく雨の上がった中庭に、みずるが立っていた。その後ろからこわごわユイが顔を出している。

 三人の老女たちが、一斉にその姿を見た。


「あー、苦労した」みずるは部屋の中に、温室にかけてあったダイヤル式チェーンを投げ込んだ。

「おや、こんなもの、よく開きましたね」

「ユイちゃんとふたり、いちいち試したのっ」そう言いながら、みずるは別の椅子を両手で抱え、窓に残ったガラスをガシャガシャと取り払ったが、

「宇藤木さん、やっぱり足が痛くて限界っ」と叫んだ。


 そうでしょう、そうでしょうと言いながら、いそいそとみずるが壊したのとは別の窓を開けようとした宇藤木だったが、やっと老女たちの武装に気がついた。

「あら」彼はあわてて、みずるの投げ込んだ椅子を両手で抱えた。そして彼女たち牽制しつつ、窓を開けて自分から外に出た。

「なんだ、それであいつらをやっつけるんじゃないの?」みずるが尋ねた。

 ユイも宇藤木のへっぴり腰に笑みを浮かべている。

「荒事は不適任のため、お任せします」


「それで、援軍は呼ぶの?」

「もう、すでに」そう言うなり宇藤木が大きな手をあげて、左右に振った。

「おおい、難波くん、こっちこっち。君を見て嬉しく思うなんて、年に何回もない」

 ちょこちょこと駆けてくるのは、難波刑事だった。玄関からではなく、中庭からいきなりの登場だったのは、ワイシャツの汚れ具合からすると、塀を超えてきたらしい。


「裏に車をとめたら、いきなりものすごい音がしたもんで、こりゃいかんと入ってきちゃいました。強盗でも入りました?」

 「ほんとだわ。はじめて難波くんが頼もしく見える」みずるも同意した。「刑事ドラマみたい。それに、けっこう身が軽いのね」

 「ええ、忍術同好会にいましたから。おっ、なんですかあの窓」彼はみずるの壊した窓を指さした。

「え、まさか。」彼は宇藤木の手前にある脚の曲がった椅子を目に止めると、「ああっ、知ーらないっと。でも、僕が壊したのじゃなけりゃ、いいや」

「おまえなあ」みずるは顔をしかめた。感激して損をした。


 しかし難波は、しがみつくようにみずるのそばにいるユイを見つけると、なぜか「はじめまして」と丁寧に礼をして、襷掛けにしたショルダーバッグから、バナナとヨーグルト飲料を取り出し、袋と一緒に彼女に捧げ渡した。

「どうぞ」やっぱり変なやつである。


「どことなくキミに似た、なんでもポケットから出すロボットがいたね」

 そう述べたみずるの感想は無視し、難波は、

「この子が、安堂さんの言ってた女の子ですよね。あ、捜索願いはまだ出ていませんでしたが、身元はいま調べてもらってます。それより」

 彼は三姉妹をそっちのけで宇藤木とみずるに訴えかけた。

「ねえ、白骨死体がざっくざく、ってどこです?ぼく、わざわざ『日曜日の放火魔』の捜査を中断して、やってきたんですよ。放火魔の捜査、手伝ってくれるつもりないでしょ、二人とも。なのにぼくのこの、心の広さときたら」

「白骨したいって、なんのこと?」

「安堂さんから、心配だからすぐ見に行けって連絡があったんです」難波は説明した。「職務を盾に抵抗しようとしたら、『お屋敷はきみの現在位置のすぐ近くだし、おまけに宇藤木氏によると白骨死体がざっくざく埋めてあって、ボーンズみたいな経験ができるかも』って」

「それを信じたの」

「鵜呑みにしたわけじゃないけど、興味は惹かれるじゃないですか」

「どうせ喫茶店で遅いモーニング食べながらぐだぐだしてるだろうから、急いで行かせるって安堂さんは言ってたなあ」と、宇藤木が言った。


「でも、なにかあるのは間違いないですよね?三つぐらいの連続殺人事件が一度に解決できるかもって期待してきたんですよ、今日は。それに美女も」

「美女って、だれ?」

 難波は真剣な顔で説明した。「この頃ぼく、和風ドラマに興味が急旋回してまして、連続殺人の捜査中に伝統芸能とか工芸の伝承者の美女と恋に落ちるってのに憧れてるんです。残念ながら刑事局長の兄はいませんが。あ、安堂さんにこれ伝えたら、お屋敷に隠れ住む薄幸そうな美女には会えるかもって言われて」

 みずるは、部屋の中で呆然としている三姉妹を指さした。

「白骨よりもっとフレッシュな死体について、あの人たちがなにか知ってるかもよ。発酵してそうな美女たちでしょ」

 「えっ、あれかあ」難波は苦い薬を飲んだような顔になった。「半世紀前の美女じゃないですか。なにを隠そうぼく、自分より年上の女が固まってる状況は苦手なんです。姉妹ってのもさらに嫌。応援を呼ぼうっと」

「そりゃ、強烈なお姉さんたちに虐げられて育ったものね」

「あ、そうだ。向こうに温室みたいなのがありましたよ。あれ、なんです?」

「ほんものの温室よ。見に行ってみたら。一番のおすすめは銀色の容器の中」

 すると難波が、変な裏声を出した。

「わたし、怖いわ。深町くん、守ってくれる?」

「なに言っとるんじゃ、キミ」


「そうだ、強く念じるんだ、難波くん」二人に宇藤木が割り込んできた。

「土曜日の実験室じゃなくて、あの噴水の下あたりで、白骨出てこいこいって念じるんだ。そして調べる。きっと出てくるよ、犯罪の証拠が。噴水の裏側なんて実に怪しいだろう」

「ちぇっ、また僕をからかう気なんでしょ。まあいいや。応援を呼ぶ前に、ちょろっと見てみます。法の範囲内で」

 難波は、花壇に突き刺してあったスコップを抜いて噴水に向かった。

 それを見ていたのか、窓から藍子が顔を出した。「誤解よ、すべて誤解」

 すると宇藤木は、携帯電話を取り出し、声をかけた。「忘れてた。みなさんの会話はずっと聞こえてましたよ。それにこの電話、古いけど録音もできるし。ただし、電池がぎりぎり。あー、危なかった」


「ユイちゃん」みずるはユイの頭を撫でた。「どうやら、終わったみたい。遅くなってごめんね。それと、助けてくれてありがとう。これから服を着替えて、ご飯を食べて、お母さんのところに戻ろう」

 ユイは黙ってうなずいてから、みずるの袖をギュっとつかんで顔を寄せた。脚の痛みを我慢しながら、みずるは彼女を抱きしめた。


「げっ、なにこの冗談。ねえ、宇藤木さああん、和気さああん」難波が悲鳴のような声をあげて二人を呼んだ。「これ、猫とか犬じゃないですよね、おえっ。これじゃ時かけより、ハウスじゃないですか」

 宇藤木がみずるとユイを見た。「言ってみるものですね」

 みずるは肩をすくめて、ユイの頭をなでた。「気にしないでいいからね」

 部屋の中の三老女は、さっきと同じ手を取り合った姿勢のまま、茫然と立ち尽くしていた。



 広々と明るい病院のロビーに、会計窓口から本田睦美が笑顔で戻ってきた。

 そして、ユイと手をつないで待っていたみずるの前に立つと丁寧に頭を下げた。

「なにからなにまで、ほんとうにありがとうございました」

「いえいえ、わたしは別に」

 睦美は小柄な、まだ少女のような雰囲気を残した女性だった。だが、退院直後にもかかわらず、物腰はきびきびしている。

 ユイを保護して以来、繰り返し会って会話も交わしたが、そのたびに年齢や外見から想像されるのより、ずっとしっかりした人物との印象を抱いていた。噂に聞く、前の夫の橋倉拓郎とはかなりキャラクターが違って思えるが、男女の仲とは一筋縄ではいかないのだろう。

 

 睦美とみずるは、椅子に腰をかけた。ユイは壁際に置かれてある大型テレビの前に歩いて行った。

「私の車で、ご自宅まで送ります」みずるがいうと、睦美は微笑みながら。

「いえ、大丈夫です」と断った。「田舎から両親が出てくるのを、事務所の人間が迎えに行ってくれているんです。渋滞で少し遅れると連絡がありましたが、一緒に家まで連れて行ってくれることになりました。お気遣いいただいてありがとうございます」

「事務所の皆さんは、親切ですね」

 みずるの後ろの高みから宇藤木が言った。彼と対面すると、睦美はほとんど垂直を見上げるようになる。

「小さい事務所ですし、所長は気のいい人なんです。入院中も何かと手伝ってくれましたし、子供を抱えて働きやすいのは、世辞抜きでとてもありがたいと思っています」


 本田は資格を持って建築設計事務所に勤めていた。公共施設とか公園、遊具を得意とする設計事務所で、ユイが旧比留間邸の温室や噴水を見て喜んでいたのも、母親の仕事の影響があるそうだ。

「その、所長の人の良さに元の夫はつけこんだんです。彼の嘘に、きれいに騙されてしまってあの日、ユイを渡してしまった。所長だけじゃなくて事務所のみんなもいたのですが、見事に彼を信じてしまった。なにせ女性にはすばらしく調子が良かったですから、死んだ橋倉という人は」

「なるほど」

「かくいう私だって、何度も引っかかりましたし」本田はみずるの顔を見て、苦笑いの表情を浮かべて言った。

「ただ、幸か不幸か、娘はそれほど彼に懐いてはいませんでした」

「そうなんですか」

「ええ、一緒に暮らしたのは娘がもっと小さい時の二年足らずですから。私が少し忙しくなったとたん、浮気をされて。別居期間の方が長かったですね」

「それは、それは……大変でしたね」


 ユイが、大型テレビの前からこちらを探るように見ている。それに気づいた宇藤木が軽く手をあげて、大股で近いていった。


「あの、変なことを聞きますが」

 真面目な顔をして本田睦美は聞いた。

「この間から、ずっと気になっているんです。橋倉は、娘にどんな気持ちを抱いていたのかなってことが。女と見ればとりあえず親切な人でしたから、表向きは優しかった。あ、ロリコンとかでもなかったと思います」

 黙って相槌を打ったみずるに、睦美は続けた。

「でも、自分の娘じゃありませんから、別れて以降、自然に疎遠となるだろうと思ってました。なのに最近、しきりと娘を気にかけるようになり、ついにはユイを引っ張り回したあげく、あんな死に方をしてしまった。娘を利用しようとしたのか、それとも庇おうとしたのか。娘が事情を理解できる歳になったら、どんな説明をしようかといろいろ考えてしまって。和気さんならどう思われますか」

「それは、私にはわかりかねます」みずるは慎重に答えた。「ただあの夜、一緒にお酒を飲んでいた相手によると、あなたとお嬢さんとでやり直したい気持ちがあることは何度も口にしていたようです。残念ながら、飲んでいる間は大事なはずのユイちゃんを店員に任せていたようですし、肝心の義母の心にはその気持ちは届かなかったようですが」

 

 光の差し込むエントランスに移動したユイが宇藤木に、しきりになにか話かけている。

 

「そうですか」睦美は穏やかな口ぶりで言った。「あれからつい、考えてしまうんです。わたしが、もう少し真剣に橋倉の相手をしていたら、殺されずにすんだかもしれないって」

「いや、そういうことは……」

「彼、私の入院を知って、どうしてだかすごく張り切っちゃったんです。それまでは月一の電話ぐらいだったのが、入院したら頻繁に病院にやってきはじめた。私や上司、そして娘に近づいては調子の良いことを言ったりして。もちろん、三人とも聞かされた内容とか主張は見事にちがうんですよ。そこが彼らしい」

「そうだったんですか」

「私には、困っている知友を見過ごせない、それだけだと言いました。手伝うのは退院までだって。なのに所長には、娘のために復縁の計画があるが、わたしが不安定なのでなにも触れないでほしいって言ってた。それで娘には、また家族になって、イギリスにビッグベンを見に行こうとか、フランスのルーブル美術館に行こうとか。娘は海外にあこがれる歳でもないですし、彼と旅行したいわけでもない。あの娘のことですから、はっきり不要だと言ったと思うのですが、めげなかったようです」

「娘さんより、本田さんに対して未練があったのではないですか?」

「どうでしょう。娘には、私が乗り気でないならいっそ二人で暮らそうみたいなことも言っていたようです。父親ごっこがしたくなったのかな」

「かもしれませんね。寂しくなったのかも。義母に会いに行ったりしたのもそうなのかな。結果は、藪蛇だったわけですが」

「あっ、そうだ。比留間邸に娘を連れて行った理由は、例のI.Mペイが設計したルーブルのピラミッドみたいな建物のある家があるから、そこを見せたいということだったそうです。それで、ここで三人で住もうって。そんなに、似てましたか」

「いやー、ガラスはガラスでも、ただの四角い温室だし、洗濯干し場になってましたからね」


 それを聞くと、睦美は天井を向いて笑った。

「わたしは最初、彼がお金に困ってて、ユイをだしに実家に頼ろうとしたんだと思ってた。そうじゃなかったんですよね、なんであんな深夜の訪問なんかしたんだろう。近くのホテルにだって泊まれたのに」

「ユイちゃんにも、子供には多すぎるお金を持たせてましたね。橋倉さんは駅ビルの賃料をはじめ楽に生活できる収入をお持ちで、めぼしい借金もない。むしろ一人暮らしなら十分に裕福だった」

「ええ。会えば口癖のようにお金がないないって言ってましたが、あれは同情を買う手段で、本当に食べるのに困った経験はなかったように思います。それなのに、金遣いに関してはせこせこして、締まり屋でした。お酒は飲んでも強くなかったし、ギャンブルもほんのわずか。車にも本気では凝らないし、女につぎ込むのだって、たかが知れていました」

 睦美は目を閉じて首をかしげた。「彼がなにをしたくて、なにを考えていたのか、ついにわからないままだった気がします」

 

 ユイが入り口そばのコーヒーショップから手を振っていた。宇藤木と腰をかけてクリームソーダらしき飲料を飲んでいる。

「おっ、やっぱりそっちに行ったのね」

「あの大きな方は、甘いもの大丈夫なんですか」

「ええ、お酒よりコーヒーとお菓子。それに子供と食べるのも好きみたいです」

 みずるたちも店に向かうことにした。みずるのゆっくりした歩行に合わせていた睦美が、また尋ねた。

「あの、元の義母たちは、本当にたくさん人を殺していたんですか?」


 一瞬とまどってから、みずるは返事した。

「まだ詳しくはお話できませんが、あの家から発見された白骨は、三人の年齢より古いほどのものばかりなんだそうです。疑惑を指摘する声はあっても、今のところなんともいえません」

 三姉妹のうち、長女である美登利の息子の職場に、しつこく苦情を寄せていた人物が行方不明となった話があった。残された家族が再捜査を言い立てているが、二十年以上前の話であり、関連を裏付けるものは何も残っていない。

 また、三姉妹はずっと完全黙秘を続けていて、そのタフさに対し取り調べ側がすでに根を上げていると伝わってきていた。

「そうなんですか。私、元の義母には悪い印象は持っていなかったんです。ただ、娘に包丁を振り回したと聞いたら、さすがに会いにもいけなくて」

 

 みずるが席につくと、待ちかねたようにユイは、背中にかついだリュックサックから紙袋を取り出した。そこから紙と布で作った優勝メダルと首かけリボンのようなものを取り出し、みずるに贈呈した。「ありがとうございました」

「まあ、これをいただけるの、ありがとう」すかさず宇藤木が拍手した。

「和気さんにどうしても感謝を表したいと、この子が言うものですから」

 みずるはじっくりそのメダルとリボンを見てから、首にかけた。

「どうかしら」

「オリンピックより偉大な気がする」と宇藤木が言った。

 ユイが幼稚園で作ったものに、母親が手伝って補強したのだという。

「うれしいわ。これでまた、頑張れます」

 

 無事ユイたちが祖父母と合流できたのを見届けてから、みずるたちは駐車場へと向かった。彼女の胸にはまだユイのつくったリボンが揺れている。

「宇藤木さんだったらもっと上手に嘘をついてあげたのだろうな。私はダメだった。あたま固いからなあ」

 みずるは先ほどの睦美との会話について宇藤木に伝えた。

「ユイちゃんを庇って死んだようだとか、故人に都合よく装ってやれなかったということですか」

「そう。嘘とわかってても、言ってもらいたかったんじゃないかなあと思って」

「私みたいに、まずホラが出るというのも、いろいろと問題が多いですぞ」

「そりゃ、そうだけど」

「下手に美談を提供して、記憶におかしなトゲができてしまうより、時間とともに消えていくほうがいいかな。とくに彼と彼女たちの場合は」

「そうかな。そうよね」みずるはうなずいた。「いまは一時感傷的になってるだけだろうし、また再婚とか、するかもしれないし」

「なにより罪悪感がなくてすむ。ああしてやればよかったかも、って思いながら暮らすのはとても辛いですよ」

 みずるは、宇藤木の冗談のように整った横顔をちらりと見上げた。肝の太そうなこの男だって、人には言えない記憶や後悔に悩まされつつ生きているのかもしれない。おそらく、そうなのだろう。


「相手が弱ってると、俄然親切にしたがるって人はいます」宇藤木は言った。「殺された橋倉氏はそんな性格だったのかな。しかし本田さんもユイちゃんも、人に寄りかかるタイプじゃなさそうだし」

「ああ、そうか。弱った相手を保護するのは好きで、元気になると興味を失うのね。あのまま生きていたら結局また揉めて、面倒なことになってたのかなあ」

 空は目にしみるように青く、そこに白い雲が流れていた。「むしろ、このまま忘れられた方がいいのかな」

「去るもの日々に疎し。いいじゃないですか、金メダルをもらえるほど感謝されてるんだから。今日はこれぐらいにしといてやりましょう。親子のアフターケアはまた別の機会に。それより自分のケアをしなくちゃ」

「うん。でも、これを頼りになんとか生きて行けそうな気がする」

 みずるは胸のメダルを摘んで微笑むと、運転席に乗り込んだ。

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三人の魔女 探偵宇藤木海彦のケースブック 布留 洋一朗 @furu123

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