第3話

▼両国橋橋詰の湯屋「白山湯」


【第2話の近所のお通夜から一夜明けました。夜を徹して葬儀に付き合っていた熊五郎と和尚さんは、朝方には一度家へ帰りましてひと休み。その後、カラスも鳴きやんで、お日様が天高くのぼりきった頃合にまたトボトボと外へと出て参ります。いつも集まる飯処で落ち合ったのち、昨日話していた両国の湯屋へと向かいます】


熊五郎  「あれから帰って、ゆっくり休めたかい?」

坊主   「うぅん、そんなには。お前さんはどうだった?」

熊五郎  「俺ぁぐっすりだ」

坊主   「それはうらやましいのう」

熊五郎  「眠れなかったのかい?」

坊主   「少し」


【はつらつとした熊五郎と比べて、元気がない和尚さん。昨夜の徹夜の疲れも取れず、目の下には薄いくまが残っております】


熊五郎  「何があったい?」

坊主   「いや、何もないんだが。どうも気が立って、なかなか眠りに就けなかった」

熊五郎  「なんだろうなぁ?」

坊主   「幼い子の葬儀だったこともあるのだろうなぁ」

熊五郎  「俺が薄情みてぇに言いやがって」

坊主   「いやいや、そういうわけでは。露の命のはかなさに感じ入るものがあったのかもしれぬ、ということかのう」

熊五郎  「難しいことを」

坊主   「こう見えても沙門の身」

熊五郎  「そうだ、そうだ。忘れてた」

坊主   「忘れられては困る」


【元気のないところに魔が忍び込むことのなきよう、気を付けたいという】


熊五郎  「まぁ、垢と一緒に疲れも流そう。昨夜も言ってたが、気を滅入らせちゃ、疫病神につけ込まれるだけだぜ」

坊主   「おっしゃる通り。今日は陰気を散らせれば」

熊五郎  「家を出る前に近所の爺さんにも教えてやったよ。両国の湯屋がやってるよ、って」

坊主   「ほう。そりゃあいい」

熊五郎  「そうしたら、湯は、はしかに悪いだの何だのと」

坊主   「はて、同じ湯にあたるのがいけないのかね?」

熊五郎  「汚れを落とす湯が、悪いわけあるめぇ」

坊主   「湯を飲んでたらいけないだろうね?」

熊五郎  「与太郎でもそんなこた、しないだろ」

坊主   「ふぅむ。ただ、小用も一緒に済ますような者もいるらしいからのう」

熊五郎  「俺じゃねぇか」

坊主   「馬鹿者」

熊五郎  「冗談、冗談」

坊主   「小さい子らはしかねない」

熊五郎  「見つけてとっちめてやら」

坊主   「わかりゃぁしないよ」

熊五郎  「湯が黄色けりゃ」

坊主   「目を配って見つけるのかい?」

熊五郎  「さて、着いた。助かった、本当にやってら。入ろう、入ろう」

坊主   「あぁ、久しぶりの湯だ」

帰りの客 「あぁ、久しぶりの湯だった。はっくしょん」

熊五郎  「行きと帰りで同じこと言ってらぁ」


【花冷えの気候に、湯の客も湯冷めが怖い。あちらこちらでクシャミの音が聞こえます。そこに、熊五郎と和尚さんを見つけて与太郎が駆けてきます】


与太郎  「おーい、熊さん、和尚さーん」

熊五郎  「おう、与太。お前も湯か?」

与太郎  「うん」

坊主   「ここがやってるって、どこで知ったのだ?」

与太郎  「なんか歩いてたら、やってた」

熊五郎  「与太らしい」


【三人はそろって白山湯の暖簾をくぐります。素っ裸になってざくろ口を屈んで入ったあとも、三人のおしゃべりはやみません】


熊五郎  「いやはや、混んでるな」

坊主   「しかたない、しかたない」

与太郎  「あ~、すっきりする」

坊主   「与太郎は何がすっきりするのだい?」

与太郎  「え?」

熊五郎  「俺らは、ゆうべ夜を徹して通夜の手伝いだ。ここのところ湯浴みも久しくしていない体に徹夜で、もうヘトヘト」

与太郎  「それならおいらも、ゆうべは仲のほうで夜通しだった」

熊五郎  「なに?」

与太郎  「いや、悪いよう。近所の若旦那が上がるっていうから、付いていったんだ」

坊主   「わたしたちが弔いをしているところに」

与太郎  「いやね、和尚さんにも声かければよかったのだけど」

坊主   「与太郎、ここではちょっとやめてくれるか?」

与太郎  「そうか、そうだったね。和尚さんが吉原通いは、人目がはばかられる」

坊主   「口に出すでない」

熊五郎  「ははは。で、与太、どこの店に行ったんだ?」

与太郎  「ん?守田屋だよ」

熊五郎  「おっ、守田屋。あの、大門くぐって三つ目の角の?通りの右にある」

与太郎  「そうそう」

熊五郎  「奇遇だな、俺と和尚さんもつい数日前に行ってきたばかりだ」

坊主   「熊さんも、口にお気を付けくださいな」

与太郎  「へー。おいら、そこのお香ちゃんと仲良くってね」

坊主   「えっ、わたしのあいかただった」

与太郎  「えー。って和尚さん、自分で言っちゃって」

坊主   「いやいや、いかんいかん」

与太郎  「一緒だったのは嫌だなー。あ、じゃあじゃあ、和尚さんも聞いた?」

坊主   「なにを?」

与太郎  「お香ちゃん、今はやりの、はしかに罹らないんだってー」

熊五郎  「まじないかい?」

与太郎  「いんや、赤ちゃんのとき罹ったから大丈夫なんだってさー。うらやましー、と思って」

坊主   「だって、お香は十八、九」

熊五郎  「おいおい、先のはやりは干支二回りだぜ」

与太郎  「そんな昔なの?」

熊五郎  「あ~あ、和尚さん、元気出しねぇ」

坊主   「まさかこんな形で知るとは」


【これを湯の隣で聞いていた風流人が、思いついて一句ひねりだすことには】


里桜散人 「はしかで知られる傾城の年」


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【落語台本】はしか絵 紀瀬川 沙 @Kisegawa

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