第2話

▼檀那寺 通夜振る舞い


【熊五郎と坊主が吉原で浮かれた夜を過ごしてから数日後のこと。熊五郎の長屋で弔事が生じてしまい、周囲の人々も通夜へと参列します。亡くなったのは長屋の女の子で、江戸で猛威を振るうはしかの犠牲者がここにも一人。周囲ではまだまだ病に臥せる人が後を絶ちません。檀那寺での葬儀には親族から近所の人まで多くの人が集まってきて、しめやかに執り行われます。その後、檀那寺の小さな会所を借りての通夜振る舞いでのできごと】


男の子  「悪霊退散ー。神田大明神」

女の子  「怨霊退散ー。稲荷大明神」

熊五郎  「おうおう、ちびたち、やかましく飛び回って、元気のいいこった」

男の子  「わー、わー」

子の親  「こらっ、静かにしてなさい」

熊五郎  「怒られた、怒られた」

男の子  「ねーねー、水あめちょうだい。水あめちょうだい」

坊主   「ん?通夜振る舞いに水あめはないな。わたしの持ってきた菜っ葉のおひたしならあげる」


【和尚さんは自分の小鉢からおひたしを箸でひとつまみ。男の子の口に運びます。ところが男の子はこれはご所望でなかったと見え、口を開きません。何度か閉じる口に当てますが入らず、とうとう自分で食べてしまいました】


子の親  「失礼しました。このところ、水あめばかりあげて甘やかしていたものですから。味をしめて」

坊主   「いやいや、いいですよ。でもなんで水あめ?」

子の親  「はしかに効くとか効かないとか」

坊主   「へぇ、そうなんですか。子供たちは大喜びでしょうな」

熊五郎  「坊さん、ほら、お茶を一杯」

坊主   「うむ、頂戴しましょう。ありがとう」

熊五郎  「それにしても、まだあんな小さかった子がこんなことになるたぁ」

坊主   「悔やまれるのう」

子の親  「うちの子ともよく一緒に遊んでもらっていたんです。ついこないだまでは元気に走り回っていたのに」

熊五郎  「体が悪くなってからは肌が赤くなって。やっぱり、はしかだったそうだよ」

坊主   「なんとも恐ろしいこと。こんな幼い子まで連れてゆくとは、疫病神を恨んでも恨んでも」

子の親  「恨みきれません。うちの子も気をつけなきゃ」

熊五郎  「はしかに良いというものを色々試したそうで」

坊主   「昨今、絵にも瓦版にも書かれていますな」

熊五郎  「ひいらぎやら麦やら」

子の親  「それで水あめもあげました」

坊主   「はしかを退けられるなら、わたしたちも覚えておかないと」

熊五郎  「そうだな。おっと、亡くなった子の母さんとお祖父さんだよ」


【この席では、通夜振る舞いのお酒が大人たちにも徐々に回り始め、故人の思い出話や流行り病のことを話すのもだんだんと大声になってゆきます。春先の肌寒い夜のこと、狭い寺の会所は外の冷気を入れまいと密に閉ざされています。これから一晩かけて、入れかわり立ちかわりで通夜を執り行ってゆきます】


老人   「今日はお越こし頂き、誠にありがとうございます。和尚さんには読経まであげてもらって」

坊主   「いやいや、本当にお悔やみ申し上げます。このたびは、ご愁傷様でございます」

熊五郎  「誠に残念なことで。親御さんも、滅入っちゃいけませんぜ」

小母さん 「はい、今はただただ冥福を祈るだけですが」

熊五郎  「滅入っちゃいけねぇと、あの子もそう思ってるだろうよ」

小母さん 「そう言ってもらって、なんと申し上げてよいか」

老人   「通夜にもご協力頂き、ありがとうございます。皆さんから頂いたもの、こちらに置いてありますのでお召し上がりください」

坊主   「ありがとうございます」

熊五郎  「ありがとうございます」


【喪主の一家と挨拶を済ませた後、熊五郎と坊主の二人は、もとの会話に戻ります。祖父と母親は隣席の参列者への挨拶に移ってゆきました。熊五郎と坊主の背後では、先ほど騒いでいた男の子と女の子が会所の座布団を持ってふざけ合っています】


熊五郎  「このところの寒さで汗もかかねぇのは助かるが、塵やら埃やらは積もって。あぁ早く風呂に入りたい」

坊主   「いつもの湯屋はまだ閉まってるからのう」

熊五郎  「和尚さんは大丈夫かい?」

坊主   「わたしも困ってる。朝必ず乾布摩擦をするから、取れることもあるだろうけれど」

熊五郎  「俺も手拭いを水に浸して体中拭いてるよ。それでも全然だめだ」

坊主   「どこか開いているって噂も聞くかい?」

熊五郎  「全然聞かねぇ。今晩夜通しの通夜のあと、どっかねぇ」


【会話と並行して、背後で男の子と女の子が座布団でたたき合いを始めます】


男の子  「退散ー」

女の子  「痛い。うぅ、退散ー」

子の親  「こらっ、やめなさいと、何度言ったらわかるの」

男の子  「痛い。逃げろー」

女の子  「逃げろー」


【叱る親から逃げて、二人の子供は座敷に座る熊五郎の背中に抱きつきます】


熊五郎  「うわ、なんだ、なんだ。静かにしてろい」

坊主   「静かに」

子の親  「ごめんなさい。この子たち、もう」

坊主   「ははは」

子の親  「そういえば、湯屋のことが聞こえましたが、両国橋の白山湯はやってるそうですよ」

熊五郎  「そうかい?それはありがたいことを聞いた」

坊主   「明日少し休んだら、行きましょうか」

熊五郎  「おうよ」

坊主   「それにしても、前のはしかのはびこりは、いつでしたか?」

熊五郎  「えっ、いつだったか。今年と同じ干支だったと思うんだよなぁ」

坊主   「わたしが修行していた頃だから、では、かれこれ二十四年前ですか」

熊五郎  「この子らも、これで安心なら良いのだけんど」

男の子  「はは、おじさん、くさーい、くさーい」

坊主   「こりゃ参った」


【子供の正直な感想にはかないません。明日こそ両国の湯屋へ行って、積もった垢を落とそうと決めた熊五郎と和尚さん。はしかの流行る江戸の町ですが、過去の流行で罹った者は一安心、その時にはまだ生まれていない者、あるいはその時罹らなかった者には戦々恐々。誰がそうであるとは、誰にもわからない。つまるところ、疫病神にはひとりひとりが気を付けること以外、有効な手立てはないようで。明日湯屋にゆく二人は果たして大丈夫でしょうか。次のお話にて】

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