第44話 地下都市に潜る

 バスは大型のゲート手前で停車する。ここで係員がバスに乗り込み、身分証などをチェックするのだ。


「こんにちは。身分証の提示をお願いします」


 でっぷりと肥えている中年の女性係員が声をかけてきた。張り付いた笑顔がわざとらしい。そのすぐ後ろに小柄な男性職員が付いて来ているが、こっちは顔面に透視装置をくっつけていた。これで大まかな荷物検査をしているのだろう。


 私は自身の身分証を提示した。これはマリネリスの市民カードなのだが、私はいつも首からぶら下げている。ジュリーさんもポケットからPRA(環太平洋同盟)の身分証を出して提示する。係員はそれを手に取ってから端末にかざす。


「地球からおいでですのね」

「ええそうです」

「アケローンのお魚は美味しいんですよ。もうお宿は手配されましたか?」

「まだです」

「内緒ですけど……」


 その女性はポケットからカードを取り出してジュリーさんに渡した。


「そこで私の姪が仲居をしているの」


 それは『温泉旅館・雪灯り』の予約カードだった。このカードを使って予約すれば二割引の特典があると記載されていた。


「ありがとうございます。今夜どうするかはまだ流動的なので」

「あらそうなの。気が向いたらでいいからよろしくね」

「はい」


 笑顔で手を振りながら女性の係員が去っていく。透視装置を付けた男も、私たちを一通り確認してから速足で去って行った。そしてバスは市内のターミナルへ向けて発車した。


 私はジュリーさんを見つめる。


「ノエルちゃん。それ、ちょっと恥ずかしいんだけど」

「うーん。またもや突破しましたね。身分証で引っかかるんじゃないかとひやひやしてました」

「大丈夫って言ったじゃん。これ、本物だから」


 またもや私はジュリーさんを見つめる。


「ノエルちゃん。今度は怖いんですけど」

「本物って、本当に本物なのですか?」

「ウソついても仕方がないでしょ。PRAのハワイ支局で発行された本物ですよ」

「なるほど……」


 本物とはいえ、不正に取得したものだ。間違いない。

 ただ、ここでそれを指摘することはあまり意味がない。ここは、いわゆる諜報活動的なシチュエーションを想定し、それを楽しむ方が建設的な思考だと思った。

 

「ノエルちゃん?」

「ごめんなさい。少し考え事をしてました。でもこれ、なんだかスパイ大作戦みたいな感じになって来ましたね」

「うん、そうだね」

「ちょっとドキドキします」

「はは。そりゃいいね。もっと楽しんだらいいよ。ノエルちゃんは少し生真面目すぎる感じだからね」


 確かにそうだ。真面目過ぎるところが私の欠点。ジュリーさんの言葉で心が穏やかになる。

 バスは市内へと入り、そして市役所前にあるバスターミナルへと向かう。ターゲットの雪上車は水産加工業者が点在する地底湖のほとりへと向かっていた。


「ジュリーさん?」

「何でしょう」

「ターゲットは地底湖方面へと向かっています。私たちも当然、行きますよね」

「そうだね」

「なら、先ほど紹介していただいた温泉旅館に泊まったりできますか?」

「その位なら大丈夫だよ」


 良かった。

 私たちだけで秋人さんを奪還するのは難しいと思う。だから、応援が来るまであの旅館を拠点に監視を続ける。

 今はできる事を精一杯やろう。

 そう思った。


 バスは地下都市の中心部、市庁舎の脇にあるバスターミナルで停車した。ここが終点だ。


 灰色のコンクリートで建てられた市庁舎はこれでもかって位に巨大だった。天然の火山灰を主成分としたローマンコンクリートで作られたこの建物は、既に数百年経過しているにもかかわらず未だ健在だ。

 ローマンコンクリート自体が酸化に強いし、地球のように鉄筋を使用しない為、建物の耐久性はかなり高い。地球のビルと比較すれば十数倍になったはずだ。また、火星には地震がないし重力も弱い為、地球と比較して建物の強度は低くても問題はない。鉄筋は必要が無かったのだ。


「へえ。高層ビルが立ち並んでいるね。大都会って感じだね」

「ええそうです。高層と言っても20階までですけど。天井との距離を保つために制限されています」

「なるほど。あの天井の上が地上なのか。じゃあ、あんまり高くできないんだね」

「そうですね。そして天井は所々に建っている柱で支えています。柱の数は120本ですね」

「そんなにあるんだ」

「ええ。市庁舎の屋上からなら市街が見渡せますよ。ほぼ全て」

「見てみたい気がするけど……宿の方へ移動しようか」

「ですね。ネットで予約は済ませてあります」


 私たちは、市内循環の路面電車へと乗った。アケローンの北東側にある地底湖へ向かう交通手段はいくつかあったのだけど、車窓から街並みを眺めながら旅行気分を味わうのもいいと思ったからだ。

 電車は一旦、地下都市東側の田園地帯へと向かう。いくつもの投光器が並ぶかなり明るい地域になる。水田や小麦畑、果樹園などがひしめいている。寒冷化前は人工光源に頼るしかない地下の農業はコスト高で採算が合わないと言われていた。初期の段階では酸素を供給するための密林として計画された地域だ。しかし、火星表面が寒冷化した今、ここは規模の大きい農産地として重宝されている。


「アレは夏みかんだね。黄色い実がたくさん生っている。その向こうは田んぼ。稲作してるんだけど、品種まではわからないな。え? 山田錦だって? あの一角は酒米作ってるよ」

「ノエルちゃん。詳しいんだね」

「うん。一応、都市開発の責任者だったから。農業の事も勉強したんだ。ビルの中で生産するのは管理が楽で効率がいいんだけど、やっぱり大地に植える方がね。美味しい作物ができるの」

「それは知ってる。僕達の国でもそういう風に言われてるんだ。理由は知らないんだけど」

「それは多分ね。大地の女神さまの慈悲なんだよ」

「女神さまの慈悲?」

「そう。教主様が言われてたんだ。作物は大地の恵み。それは大地の女神、豊穣の女神さまから与えられるものだって」

「それは一理あるな。うんうん」


 ジュリーさんはしきりに頷いていた。彼らの国でも宗教的な考え方が根付いているんだ。


 路面電車は田園地帯を抜けて地底湖湖畔を走る。

 このあたりからは漁業従事者が多く住む地域になり、小船や網などの漁具が多くみられるようになる。また、観光名所でもあるため、レストランや宿泊施設がいくつもあった。


 路面電車を降りた私たちは、予約をしていた宿へと向かう。それは、二十世紀の日本をイメージした和風の旅館だった。

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