第45話 温泉旅館・雪灯り

「いらっしゃいませ!」


 数名の、和装の仲居さんが元気よく出迎えてくれた。その中の一人、体格の良い若い女性が一歩前に出てきた。


「お疲れ様でございます。私は桧垣ひがき小夜さやと申します。叔母がおせっかいしたようで申し訳ありません」

「いえいえ、私たちも宿を探していた所なので、ちょうど良かったのです」


 仲居さんに返事をしたのはジュリーさんだ。あの、バスの中で出会った女性の姪御さんだった。ずいぶん若いけど、恰幅の良い所なんかはよく似ている。


「あの、低CO₂の部屋で予約していたと思うのですが?」

「はい。承っております。ただし、そちらは密閉型のユニットルームになりますので、少々情緒に欠けるお部屋となりますがよろしいでしょうか。ご希望でしたら通常タイプのお部屋も御用意できますが」

「大丈夫です。彼には呼吸器無しで寛いで欲しいので」

「かしこまりました。ではチェックインの手続きをお願いします」


 私たちはカウンターに案内され、必要書類に署名をした。私はマリネリスの住所をそのまま書いたのだが、ジュリーさんの書いた住所はPRAのハワイ島だった。コナ市。コナ・コーヒーで有名なところだ。


「僕は大学で航空力学の研究をしているんです」

「あら。飛行機の専門家?」

「そんな所です」

「火星には観光で来られたのですか?」

「観光もですけどね、マリネリスに住んでいる従妹を迎えに来たんです」

「まあ、そうだったの。マリネリスはもうすぐ市政放棄することが決まってますから。もしかして、ノエルちゃん?」


 小夜さんが私を見つめる。私は照れながら頷いた。しかし、ジュリーさんは大した役者さんだ。こんな出まかせをすらすら言っちゃうなんて、私には無理だ。


 私たちは小夜さんの案内で部屋へと案内された。木造建築の本館の裏手に、コンクリート製の別館が続いていた。入り口はエアロック構造になっていて、外側とは完全に隔てられていた。コンクリートに中に、金属製のユニットルームが設置してある構造だ。案内された部屋の名は芍薬しゃくやくだった。向いの部屋は牡丹ボタン、その向こうは百合ゆり。ジュリーさんは漢字が読めないようで、ローマ字で書いてあるフリガナを一生懸命読んでいた。


「本日ご案内したお部屋は芍薬しゃくやくでございます。二酸化炭素濃度を調整する関係上、この別館は従業員の出入りを制限させていただいております。お部屋のAIと専属のアンドロイドがお世話を致します。カリーナ!」


 小夜さんに呼ばれ、一体のアンドロイドが近寄ってきた。


「カリーナと申します。本日、私がお客様のお世話を致します。よろしくお願いいたします」

「よろしく。カリーナ」

「よろしくお願いします」


 ジュリーさんは金属製の彼女の手を握る。金属製のアンドロイド、カリーナは目を点滅させながらお辞儀をした。


「どうぞ、ごゆっくり」


 ゆさゆさと体を揺らしながら小夜さんが別館から出て行った。


 カリーナに案内され、私たちはそのユニットルームの中へと入った。中は畳敷きだったけど、壁は金属製で窓も小さく、見えるのは水産加工場が並ぶお世辞にも綺麗とは言えない地域だった。


「ノエルちゃん。ごめんね。せっかくいい宿に泊まれたのにこんな部屋だとがっかりでしょ?」

「大丈夫ですよ、ジュリーさん。現状、別館は私たちだけのようですし、ここはエアロックで隔離されている棟ですから、私たちの活動にはうってつけです」

「なるほど。秘密基地って感じなのかな?」

「はい。すぐに監視活動を始めます。カリーナさんと、この部屋のAIにも手伝ってもらいましょう。えーっと、名前は?」

「コロナと申します。私はこの別館の八室を担当しています。よろしくお願いいたします」


 壁のモニターが点灯し、その中にいる和装の女性がお辞儀をした。丸顔で可愛らしい容姿だ。


「では早速始めましょう。コロナさんとカリーナさんは、私の支配下に入っていただきます」


 私は手に持っていたペン型の携帯端末から信号を送る。すると、アンドロイドのカリーナとAIのコロナは一瞬、引きつったように体を硬直させた後に笑顔で挨拶をした。


「我が主、ノエル様」


 モニター内のコロナ、そしてアンドロイドのカリーナがお辞儀をしている。


「ノエルちゃん。これ、どうしちゃったの? ハッキング?」

「そんな大層なものではありません。私とこの都市機能はマスタースレーブ関係なのですよ。今、彼女達はこの関係性を認識したと、そういう訳です」

「あ……そうだったね。ある意味、神様なんだ」

「そうなりますね。やりますよ」

「うん。僕は何をすれば?」

「カメラ映像から不審者を探してください。AIと人では認識が異なりますから、それを複合して判断します。コロナさん。あなたのサブ領域をお借りします。ホログラムのキーボードを出してください」

「了解しました」


 私は壁のモニターに向かって座り込み、キーボードをたたく。TVには八分割した監視カメラ映像を転送した。ジュリーさんに確認してもらうためだ。この別館は閉鎖空間であるが故、小型宇宙船と同等のAIが設置されていたのは幸いだった。宇宙船を制御するよりも負担が少ない為、空き領域がかなり多かった。その領域を使って、あの二人組を自動で追跡する監視システムを構築していく。あの雪上車が隠れた座標は取得済みだったのだが、その施設を確認できた。それはこの旅館の裏手にある倉庫で、現在は使われていない。海産物を保管していたところで、全体が大きな冷蔵庫になっている。隠れてしまうにはうってつけの施設だ。その中に、あの悪辣な二人組と秋人さんを確認した。


「あー。これ怪しいんじゃないかな。男女ペアで呼吸器付けてる」


 ジュリーさんの報告だ。


「それだけじゃ怪しい人だと断定できないと思うのですが」


 私の言葉に対し、ジュリーさんは首を横に振っている。


「いやね、この二人組、この旅館に入って来たんだ。このタイミングで地球からの来訪者。怪しさ抜群でしょ」


 ジュリーさんの言うとおりだ。そして、この旅館に泊まるなら、この、低CO₂仕様の別館に入ってくるに違いない。


 情けないんだけど、私はべったりと冷や汗をかいていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る