あき

 秋人の家は、となりの家だった。となりといっても、おひなさまみたいに並んでいるわけではなく、わたしの家から坂をひとつのぼって、段々になっている畑のところにあった。


 いつも、秋人はその坂をかけおりて、とおりすぎていった。

 せみがしんしんと鳴くある日、わたしがすこし開いた雨戸からそれを見ていると、秋人のすがたがいつものようにとおりすぎて消えて、それから、わたしの目のまえににゅっと出てきてびっくりした。


「おい、高井の林のとこ、カブトがいっぱい出てるってよ。取りに行こうぜ」

 せみのこえによく似合う日焼けのしたかおに、まっしろな歯が見えて、ゆきみたいだと思った。


 あつい、あついときだから、ゆきを口にちょっと含んだら、すごくつめたくて楽しいかなとおもって、わらった。


「よし、じゃあ行こうぜ」

 行く、なんて言っていないのに、わたしがわらったものだから、秋人はすっかりわたしがカブトが好きなんだとおもってしまったらしく、魚みたいにうれしそうにひとつ跳ねた。


 それを見て、なんとなく、わたしもうれしくなった。

 それが、秋人とはじめていっしょにあそんだとき。

 わたしは結局カブトがこわくて、どうしても触れなくて、えんえん泣いてしまった。ほかのおとこのこ達がわたしをわらったけど、秋人だけは、誘ったりしてごめんな、と心配そうにしてくれた。

 やさしい子だとおもった。つかまえたカブトを戦わせたりしていたけど、ほかのおとこのこ達と違って持って帰ったりせず、林に返してあげていた。


 この木のところまで戻ってきて、せみみたいにずっと泣いているわたしが泣きやむまで、一緒にいてくれた。


 それは、なつのこと。


 それから、ほとんど毎日のように、秋人は坂をかけおりて来て、わたしを迎えにきた。もう、足の音がするだけで、秋人だと分かるようになっていた。

 遊びにいくときは、ふたりだった。ほかの子がいるとわたしが厭がるかもしれないとおもったのかもしれない。

 あまり遠くには行かず、この木のところか近くの田んぼや畑で遊ぶようになった。それでも、とても楽しくて、うれしかった。


 いろんな草の名前や、いきもの。わたしはやっぱりちょっと怖いまんまだったけれど、虫の名前も。


 陽がくれてゆくのを、なんにも言わないで、この木にもたれかかって見ていたこともあった。


 ふしぎと、そういうことの方が、きのうのことのようにおもえる。


 来る日も、来る日も、秋人はわたしのところに来た。来ない日は、わたしはずっと外を見て過ごしていた。


 あき。

 やっとせみが鳴きやんで、葉っぱの緑がにぶくなっていった頃、秋人は来なくなった。

 わたしのおかあさんが、秋人にそう言ったということを、なんとなく知っている。

 だから、わたしは、秋人の足音がして去ってゆくのを、泥棒みたいにして見るしかなかった。


 葉っぱが、嫁入りの人のくちびるみたいな赤になって、それを見てため息をひとつしたとき、いつものとおりすこし開いた雨戸から吹き込む、なんでもない風と一緒に、秋人の声がした。


「一回だけ。出て来いよ。あの木のとこまで」

 その日はおかあさんもおとうさんも親戚の家のお葬式に出ていていないということを知っていて、誘いに来たのかもしれない。

 わたしは、部屋から出て、わたしたちの木のところに向かった。


 秋人と会ってことばを交わしたのは、それがさいごだった。わたしが何を話したかはよくおぼえていないけれど、秋人は、ことばが途切れるたび、寒くないか、大丈夫か、とさかんにわたしを気にかけた。

 けっきょく、やっぱり、わたしたちの木にもたれかかって、ずっと景色を見ていた。

 陽が落ちかけて、秋人が、帰ろう、と言ったから、わたしは乾いてきている草からお尻をあげた。そのときの秋人の、さみしそうな顔が、いつまでも、いつまでも頭のなかでちいさくわらっていた。


 そのあと、おとうさんとおかあさんが帰ってきて、わたしの着物に落ち葉がついているのを見つけて、外に出たのか、と問い詰められた。

 わたしは、がまんできなくなって、秋人が誘いに来てくれたことを話した。

 秋人は、おとうさんとおかあさんに、たいそう怒られてしまって、そのことをずっとあやまりたいとおもっていたけれど、ほんとうに秋人とは会えなくなってしまって、できないまんまだった。


 それが、あきのこと。

 秋人のあのときのさみしそうな笑い顔のような、さみしい季節だった。

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