第88話 振り返る結。そして肩から落ちる髪。

 後に【聖女様、公開告白を一刀両断】と言われる事件で少しザワついた後、体育館の片付けの段取りを指示する俺に、「これはどこですか?」「これはどうしますか?」と、結が何度も聞いてくるのを和華ちゃんがなんとか引き止める姿と、肩を落として友人に慰められながら椅子を運ぶ久我。

 それを見て少し優越感を抱く俺は、別に性格が悪いわけじゃないはず。うん。悪くない。


 そうこうしているうちにチャイムが鳴り、生徒達は自分の教室へと戻っていく。片付けも残りは細かい物だけ。「おつかれさん」と声をかけながら見送っていると、結が「私には?」って言いたそうな目で見てくる。いや、別に全員に言ってる訳じゃないからな? 作業しながら近くを通った子に言ってるだけだから。お前、友達に囲まれてるじゃん。わざわざ言いに行けないって。そんな意志を込めて視線を送ると、「はい、わかりました。しょうがないですねぇ」みたいな仕草をして歩いていく。え? 伝わったの!?


 そしてその少し後ろを、項垂れている久我とその友人達が歩いていたのだが、突然顔を上げた久我と目が合った。瞬間、「あっ」って小さく声を上げて驚いたような顔になる。なんだ?


「あれ? 天音先生の彼氏さん?」


 …………ナンダッテ?


「えっ!? うそっ! この人が!?」

「そういえば一緒にいて話してるの見た事あるかも!」

「まじかよ! おれ、卒業したら告白しようと思ってたのに!」

「違っ……! ちょっ! 待っ……!」

「もしかして柚ちゃんセンセーの結婚ありえちゃう!?」


 おい待て久我! そんな事言った覚えは無いぞ! 勝手に話を盛り上げるな! 俺がそう思って否定の言葉を上げようとしても、久我のその一言を聞いて反応した生徒達がザワザワ騒ぎ出してすぐにかき消される。

 ヤバい。何がやばいって、変な噂がたつことじゃない。柚とは今はただの幼馴染だからそんなのはどうでもいい。そっちじゃないんだ。

 俺はゆっくりと視線を前の方に向ける。

 すると、ゆっくり。ほんとうにゆっくりと結が振り返った。肩にかかっていた髪はその動作に合わせて滑り落ち、俺と目が合ったかと思うと、ニコッと微笑んですぐに前を向いて「ほら行こ? 授業始まっちゃうよ? 気になるなら後でちゃんとお姉ちゃんに聞いてみるね? ちゃ〜んとね……」って俺に聞こえるように言うと、微妙に青ざめた和華ちゃんや、他の友人達と一緒に歩き出した。


 こ、こわぁぁぁぁ……。


 ◇◇◇


 仕事も終わって帰り道。俺の手には卵が入ったスーパーの袋。あの後、結からきたメッセージは一通。『卵買って来てくださいな? 買うの忘れちゃったんです』だけ。怒ってんのかな? 怒ってないよな? どうなんだろ。モヤモヤしながらアパートに帰ると、いつも通りエプロン姿の結が出迎えてくれた。


「晃太さん、おかえりなさい♪」

「おう、ただいま」


 うん、どうやら怒ってないみたいだ。良かった。


「あ、卵ありがとうございます。すぐに晩御飯にするので、着替えて来てくださいな」


 結はそう言うと、パタパタと台所に向かって行った。……あれ? いつもならここでキスしてたような? あれ?


 そして晩御飯。俺の目の前にはご飯と生卵。


「えっと……結さん?」

「なんですか?」


 結はニコニコ顔。いや違う。ニコニコすぎる顔。


「俺の飯なんだけど……」

「目の前にありますよ?」

「いや、確かにあるけども。あ〜、そのなんだ……怒ってる?」

「…………」


 無言になる結。しばらくその無言が続き、俺が卵を割ろうとしたところで何かが聞こえた。何かっていうか結の唸り声なんだけど。


「うぅ……うぅ〜!」

「お、おぉ!?」

「怒ってません! 全然怒ってませんよぅ! 私がヤキモチ焼いただけです……。ゴメンなさい」


 謝りながらテーブルの下から唐揚げやパスタサラダ等のおかずが出てきた。どうやら最初から準備していたみたいで、卵だけ置いたのはちょっとした不満の表れだったんだろう。


「ヤキモチ?」

「だって……。私は晃太さんと恋人同士なのをみんなに言えないのに、晃太さんとお姉ちゃんにそういう噂が立っても、誰にも「それはダメな事!」 って言われる事がないじゃないですか。ズルいです」

「ズルいって言われても……。それはしょうがないって話はしただろ? それにそんな心配しなくても俺は結だけだって。な?」

「そ、そんなこと言う晃太さんなんてっ……」


 あれ? 言い方間違えた?


「大好きですぅ〜! あ、今日はまだおかえりなさいのちゅうしてませんね。今すぐしますね。はい、ちゅっ」


 いや、合ってたっぽい。結は膝の上にぴょんと乗ってきた。そして俺が何か言葉を発する前にキスされた。相変わらず柔らかい。うむ。


「ですよね。しょうがないって話は最初にしたんでした。それなのに私の気持ちを受け入れてくれたんですもんね。へへへ〜♪ へんなヤキモチ焼いてごめんなさい」

「いや、謝ることじゃ……。それに俺もその辺もっと結の事考えやるべきだったしな。ただ、今日の事は本当に予想もつかなかったな。あの日柚が変に照れなけりゃこんな事には……。いや、久我の勘違いが悪いのか」

「……え?」

「ん?」

「お姉ちゃんが? どういうことですか?」


 あれ? 言って無かったっけ?

 そこから俺は地元から帰ってきた日の事をこと細かく話した。いや、言わされた。


 そして──


「あ、もしもしお姉ちゃん? ご飯食べた? ……まだ? 良かったらこっち来ない? うん……うん。じゃあ待ってるね」



 すまん、柚。

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