幼馴染みを間違ってお姉ちゃんと呼んでしまった

@akashikatu

第1話

 人生最大のミスを犯した。

 昨日の夕方、隣の家に住む幼馴染みを間違えてお姉ちゃんと呼んでしまった。


 幼馴染みの霞とは、幼小中高と全部同じ学校の全部同じクラスで、昔から何をするにも一緒だった。

 中学生頃から人の目を気にして学校で話す機会は減ったけれど、家族ぐるみの付き合いもあり、疎遠になることなく今の関係がずっと続いている。

 霞はいつもおっとりしていて、なんともマイペースなやつだ。

 小柄な見た目と、誰にでも分け隔てない優しい性格は老若男女問わず人に好かれている。

 そんな霞には、歳の離れた妹がいる。名前は霜ちゃんと言って、小学二年生の霞にべったりな甘えん坊妹だ。

 霞がおっとりしながらも意外としっかりしてるのは、霜ちゃんのおかげだと思っている。

 妹の霜ちゃんは俺にも懐いてくれていて、昨日の夕方ばったり出くわし一緒に家に帰っていた。

 学校でのことやご飯のこと、霞と遊んだことを楽しそうに話す姿は見てて癒される。


『お姉ちゃんが──』


『お姉ちゃんは──』


『お姉ちゃんと──』


 俺はこの時、無意識のうちに刷り込まれていたのだ。お姉ちゃんという単語を。

 だから、家の前で俺の母さんと話してた霞にこう言ってしまったのだ、


『ただいまお姉ちゃん』


 と────。


「うおぉぉぉぉぉっー!!!!」


 休日の昼前に目覚めた俺は、昨日のことを思い出し布団の中で悶えていた。

 枕に顔を埋め、足をバタバタとベッドに叩きつけ、ゴロンゴロンと転がって、


「痛っ」


 ベッドから落ちる。

「あんた何言ってんの」と笑った母さんの顔が、「霜のお姉ちゃんだもん」と怒った霜ちゃんの顔が、「……へ?」と恥ずかしがった霞の顔が、夢にまで出てきやがった。

 あー消えたい消えたい消えたい消えたい! 神様どうか俺を消してくれ!

 行き場のない羞恥心をベッドに頭を打ちつけながら解消していると、誰かが階段を上がってくる音が聞こえてきた。

 やばい、母さんに怒られる。うるさくしすぎた。先手で謝るしかない。母さんは怒ると怖いからな。


「いやーごめんちょっと悪い夢見ちゃって、あはは……」

「そうなの? 大丈夫?」

「……なんだ霞か」

「なんだとは失礼な。心配して来てあげたのに」


 ドアの外には、エプロンを身につけた幼馴染みがいた。


「母さんは? なんでいんの?」

「聞いてないの? 今日はうちのお母さんと映画見に行くって朝から出かけたよ。だから、お昼と晩ご飯頼まれたんだ」


 そんなこと言ってた……? 昨日の夕方からほとんど記憶ないんだよなぁ。

 もしかして昨日家の前で話してたのってそのことだったのかもしれない。

 怒られず済んだことに安堵していると、霞が不意に俺の前髪をさっと上にあげる。


「つー、おでこ赤くなってるよ。痛くない?」

「っ! や、やめろ、なってない。それとつーって呼ぶな」


 俺の名前が椿だから、霞は俺のことをつーと呼ぶ。

 こんな呼び方するのは霞だけだ。


「なってるんだって。ほんとだよ?」


 そりゃ頭から落ちれば赤くはなる。そんでもって痛いのは俺の失態だ。昨日からずっと心臓が痛い。

 階段を下りきってもしつこくまとわりついてくる霞にトイレと告げると、顔を赤くして「先に言ってよ、もう」とリビングに戻っていく。


 霞が家にいるのはよくあることだ。

 霞と霜ちゃんの両親は共働きで、家にいないことが多かった。

 だからこっちの家でご飯を食べたり、遊んだり、泊まったりすることは昔からあって、今は母さんの話し相手をしてくれてたりする。

 逆もまた然りで、俺も霞たちの家に泊まりにいったりしていた。

 高校生になってから俺があっちの家に行くことはめっきりなくなったけど、霞や霜ちゃんは変わらず家に遊びに来る。

 今日みたいに、母さんが霞にご飯の準備をお願いすることもあるからだ。


「霜ちゃんは?」


 トイレついでに歯を磨いてリビングに行くと、いつも霞と一緒に来るはずの霜ちゃんの姿が見当たらない。


「友達と遊びに行ったよ。ゲームの通信するんだって」

「ほー」


 霜ちゃんがいないってことは……霞と二人。

 二人になるのは久しぶりな気もするが……鼻歌を歌いながらパスタを茹でる霞は見たところいつも通りだ。

 昨日のあれと今の状況を気にしてるのは俺だけか。人によって事の大きさなんて違うしな。霞が気にしてないならそれでいい。


 ここだけの話し、俺は中学三年の時に霞に告白したことがある。

 俺なりに覚悟を決めて、勇気を出して告白したつもりだったのだが……霞は告白に気づかなかった。


『私も好きだよ、つーのこと。なんで?』


 霞の好きは『love』ではなく、『like』だった。

 どうせなら思いっきり振られてきっぱり諦めたかったと思う自分と、幼馴染みという生温い関係が無くならなかったことに安堵している自分がいて、俺はどうすればいいのかわからなくなってしまった。

 ただ一つ言えることは、霞が俺を恋愛対象として意識していないこと。

 今まで霞の浮いた話なんて聞いたことはないが、霞は……なんだかんだモテる。

 高校生にもなったし、早く彼氏でも作ってもらってこの関係を終わらせたい。

 そうでもしないと、俺はきっと霞を諦めきれないから。


「出来たよつー」

「おーうまそう。つーって呼ぶな」


 だからその日が来るまで、俺は霞の幼馴染みでいようと思う。


 霞特製パスタをありがたくいただき一息ついていると、食器を片していた霞が突然こう切り出してきた。


「つーさ……お姉ちゃん欲しいの?」

「っ⁉︎ な、なんで?」

「だって昨日私のことお姉ちゃんって呼んでたから、そうなのかなって」

「あ、あれは間違えて呼んだだけだ!」


 くそ、やっぱり覚えてたか。

 このタイミングで触れてくるあたりが、霞らしいっちゃらしいが。


「……まぁでも、欲しいか欲しくないかで言われたら欲しいかもな」


 それは姉に限った話じゃない。

 俺は一人っ子だ。だから、姉でも兄でも弟でも妹でもいいから、いたらいいなと思う時もある。

 兄弟姉妹がいるやつらみんな、口を揃えて良いもんじゃないと言っているが、いない俺からしてみればそれすら自慢に聞こえてしまう。

 身近には仲良し姉妹もいるし、憧れは……少なからずある。

 ま、今更どうしようもない話だ。

 父さんと母さんに直接言おうものなら絶対殴られる。

 それに、妹的存在はいるからな。


「……その、私がなってあげようか?」

「……はい?」

「お姉ちゃんが欲しいなら、私がなってあげる。ほら私って、お姉ちゃん歴長いから……つーのお姉ちゃんにくらいなれると思う」


 あれ、俺の幼馴染みってこんな頭悪いこと言う子だっけ。

 テスト前一緒に勉強しないと赤点取るくらいには頭悪いけど、常識はある子だと思ってたよ、俺。


「あー、今、私にできるわけないって思ったでしょ?」

「思ってない」

「嘘だー。私にはつーが思ってること手に取るようにわかるんだから」


 鼻高々に腕を組んでいるが、何一つわかってないぞ。

 こんなに鈍感なら告白に気づかないのもうなずける。


「で、今日はいつ帰るんだ?」

「話そらさないで! こうなったら私のお姉ちゃん力いっぱい見せてあげる!」

「お姉ちゃん力ってなんだよ……」


 俺のツッコミは、お姉ちゃんと呼ばれたことにまんざらでもない様子の霞には届いていなかった。



 それから数分して、なぜか俺は霞の太ももの上に頭を乗せていた。


「痛かったら言ってね?」

「あ、ああ……」


 決して膝枕の誘惑に負けたわけじゃない。

 お姉ちゃん力ってどう見せるんだよと発破をかけたら、「霜にいつもやってることつーにもしてあげる」となって、霞が一番自信あるのが耳かきらしいのでやってもらうことになった。


 ……いやなったじゃねーよ!


 どう考えてもおかしいだろこれ。

 なんで幼馴染みに耳かきしてもらうことになってんだよ。しかも一応好きな人なんですけど。

 太ももとかめっちゃ柔らかいし、息とか耳にかかってむず痒いし、手とか頭の上に置かれるとそっち意識しちゃうんですけど!


「な、なぁ霞、やっぱりやめないか?」

「ダーメ。つーに凄いって言わせるの。私の耳かき気持ち良すぎて霜なんていっつも寝ちゃうんだから」


 話しかけるんじゃなかった。息が、いい匂いがする。


「つーの耳大きいから、お掃除しやすいなー」

「わ、わかったから、静かにお願いします……!」

「う、動かないで……こしょばいから」

「す、すまん」


 なんで謝ってんだ……俺。

 こうなったら満足するまでやらせて、終わったら凄くないって言えばいいや。そうすれば霞もこんなこと二度としなくなるだろう。


「次反対ね」


 俺は、霞を諦めたい。でも、こんなことされたら余計意識してしまう。

 霞は好きでもないやつにこんなことするのか? 俺が幼馴染みだからか?

 幼馴染みって……辛いな。



 ※※※


「つー終わったよ。つー?」


 私の膝の上で、幼馴染みの男の子が可愛い寝息を立てている。

 ほっぺたを突いてみても起きる気配はない。

 ふふふ、やっぱり私の耳かきは百戦錬磨ですなー。


「ほら、私ちゃんとお姉ちゃんでしょ?」


 つー覚えてる?

 霜が生まれてすぐの時、つーが私に言ったこと。


『今日からお姉ちゃんだからしっかりしないとな』

『つーは……しっかりした子と、しっかりしてない子、どっちが好き?』

『そりゃ、しっかりした子じゃないか?』

『……そっかぁ』


 だからね、私しっかりしたお姉ちゃんになるって決めて頑張ってるよ。

 つーに助けてもらうこともまだあるけど、つーに負けないくらいしっかりしたお姉ちゃんになってみせるから。


「っ……! やべ、寝てた」

「おはよーつー。ほら、私の耳かき気持ちいでしょ?」

「……言うだけはあるな」


 恥ずかしそうに目をそらして起き上がるつー。

 つーはいつも、照れながら私を褒めてくれる。


「霜ちゃんが羨ましいよ、ほんと」

「……つーが言ってくれたら、いつでもやってあげる」

「あのな……そう言うこと軽々しく言うな」

「今日から私は霜のお姉ちゃんでもあり、つーのお姉ちゃんだからね。お姉ちゃんはみんなに平等なのです」

「俺は時々霞が心配になる。じゃあ眠いから寝るわ。ご飯ありがとさん」

「ま、まって、つー」

「ん?」

「私って、しっかりしてるかな?」

「まだまだだな」


 そっかぁ……まだまだか。


「でも、お姉ちゃんとしてはしっかりしてるんじゃないか?」

「へへへ、そうだと思った! あ、私も一緒に寝ていい?」

「ダメに決まってんだろ!」

「えー、お姉ちゃんなのにー?」


 つーは、私がしっかりするまで待っててくれるかな?

 そうだと……いいな。

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