第179話有り得もしないこと

 例えるのならば、洗濯物の中に放り込まれたようなものだろう。

 北條が体感したのはそんな感覚だった。

 ミズキの言葉でシートベルトをし、しっかりと座席や取っ手に捕まっていたにも関わらず、気が付けば手足を放り出して目を回していた。

 これでシートベルトもしていなかったらどうなっていたか。恐らくは改造車の中でどったんばったんと体中をぶつけて跳ね回っていたに違いない。

 そして、それはミズキも同じことだった。というよりも体が北條よりも頑丈ではない分、こちらの方がダメージが大きい。

 突っ込んだのは自分なのに車のハンドルに凭れ掛かり、目を回している。


「ミズキ……大丈夫か?」

「ふぇ……ふぇぇ……」


 ミズキの意識が完全に飛び立っていて返事も出来ないと分かると北條は狭くなった改造車の中を移動し、フロントガラスから外の様子を確認する。

 北條達がいたのは先程走っていた高速道路よりも、ビルなどが立ち並ぶ地上よりも下、巨大な地下水路の中だ。

 上には北條達が落ちて来た——というよりも突き破ってきたと言うのが正しい——入口があり、街の明かりが漏れている。

 前方には男達が乗っていた装甲車がひしゃげた姿で転がっている。


「アリマの奴、生きてるよな?」


 結城が助けると言っていたものの、実際に助けたかどうかを見た訳でもなく、乗っていた車がひしゃげているのを見てしまったら不安になるものだ。

 無線機を入れ、結城に連絡を取る。

 だが、通じない。聞こえるのは雑音だけだ。

 壊れたか、そう思った時——。

 改造車のフロントガラスに結城とアリマが叩きつけられる。

 ひしゃげた装甲車の中にもしかしたらアリマもいるかもしれない。そう考えていた北條はアリマを無事に助け出していることに安堵を覚えるが、それは一瞬で消え失せる。

 2人の視線の先に吸血鬼がいるのを見たからだ。


「全く、自分から体当たりしてくるなんて正気か? おかげで弟達が阿鼻叫喚してたよ」

「何が弟達だ。気持ち悪い」


 吸血鬼がひしゃげた装甲車に視線を向ける。

 硝子の割れた窓や歪んだドアから泡を吐いて白目を向いている男達が3人いた。

 血の塊を地面に吐き出し、結城は吸血鬼を睨みつける。


「お前等に家族何て概念はないだろ」

「はぁ、人間はそうやって何でもかんでも決めつける。あいつらが某を慕っていたのは分かっただろう」

「あんな単細胞共騙すの訳ないでしょう」


 結城が改造車の屋根を念力サイキックで引き剥がす。しかし、視線は吸血鬼を捉えたままだ。

 朝霧が地獄壺の壁を捩り切ったように耐衝撃ジェルも結城の異能には敵わなかった。

 外に出ることが出来た北條は共に戦うという決意を示すように結城の横に並ぶ。


「北條、そいつら連れて逃げて」

「お前を置いてか?」

「この状況で甘いこと言わないで」


 心配の声を上げる北條に結城はぴしゃりと言い放つ。

 元々アリマだけ助けるつもりだったのだ。吸血鬼と戦うことが目的ではない。選択肢は逃げ一択だ。尤も、そう簡単には出来ない。それが分かっての言葉である。

 北條が自分自身よりも強いということは分かっている。それと同時に北條が異能を持ち、それを秘密にしておきたいということも。

 突き放すような言い方でも、その言葉は北條を思ってのことだった。

 しかし、そう簡単に首を縦に振らないのが北條である。


「おいあんた、俺達はもう目的を達したから退く。だからあんたも退いてくれないか。弟達のことが心配だろ?」

「はぁ⁉ お前何を言ってるんだ。こんなとこまで来て逃げるだとッ。ふざけるな、アイツ等を捕まえるチャンスだろ⁉」

「お前は黙ってろッ‼ 北條も何変なこと言ってんのよ」


 北條の言葉にその場にいた者全てが反応を示す。

 吸血鬼は考え込むような様子を見せ、アリマは反対を示し、結城はあり得ないと目を見開く。


「北條、吸血鬼がどういう存在か分かってるでしょ。こいつ等は私たちを餌だとしか思ってない‼ 弟だなんて言葉に騙されないでッ」


 吸血鬼に人間に歩み寄るなど有り得ない。それはレジスタンスでも散々言われてきたことだ。

 無論、結城もそう考えている。

 レジスタンスの教えだけでなく、これまで吸血鬼が人間をどのように扱って来たのかを見ているから……。

 目の前の吸血鬼は家族ごっこをしているだけ。

 こちらを嘲笑っているだけ。

 だから、そんな言葉は無駄だ。


 それに対し、北條は結城に向けて掌を向けるだけだった。まるで黙っていてくれと言うように。

 北條も吸血鬼がこれまで何をしてきたのかは知っている。

 吸血鬼に敵意を抱くのは勿論、殺傷を躊躇うことはない。

 それでもこの吸血鬼ならばと少しの望みを持っていた。

 弟と吸血鬼は口にした。

 それがどんな想いから来るものなのかは分からない。しかし、もしルスヴンのような吸血鬼ならばと思ってしまった。


「…………」

「ん~~……」


 吸血鬼の言葉を待つ。

 ルスヴンを知っているからこそ全員で逃げるために——弟には手を出さない。代わりに俺達も追いかけてくるなと交渉に出た。

 その結果は——。


「うん、某はお前等を許すべきではないだろう。だからそれは受け入れられんな」


 決裂だった。


「ごめん。結城」

「はぁ……まぁ良いわ。逃げられる確証なんてなかったし、1人は怖かったもの」


 吸血鬼から殺気が膨れ上がり、北條と結城は戦闘態勢へと入る。

 地面が捲れ上がる程の脚力で距離を詰めてくる吸血鬼。

 結城の念力の拘束、盾もものともせずに一直線。一瞬で距離を詰めて来た吸血鬼に北條は指先に冷気を込めて突きを放つ。


 交差は一瞬。

 吹き飛んだのは吸血鬼だ。

 まるで殴られたかのように体を仰け反らせ、血を巻き散らしながら吹き飛んでいく。しかし、それを行ったのは北條ではなかった。

 吸血鬼の顔が間近に迫った瞬間に突き立てようとした指に当たることなく吹き飛んだ吸血鬼に目を丸くし、誰がやったのかと周囲を見渡す。


 結城は違う。

 彼女もまた北條と同じように目を丸くしていた。

 アリマも違う。

 そもそも彼は吸血鬼の接近にすら気付いていなかった。

 ミズキもまた同様だ。

 彼女は今も気を失っている。

 では、誰なのか。その答えは後ろからやって来た。


「いや~良かった良かった。間に合いましたよ」

「あか、ばね……さん?」

「はい、赤羽ですよ。他の誰かに見えますか?」


 そこには対吸血鬼用装備で完全武装した赤羽緋勇あかばねひゆうがいた。

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