第175話口が軽くなった男
アリマがグラスに注がれた酒を一気に飲み干す。
本部で振舞われた上等な酒でもない、いかにも貧困層が飲む薄い酒。上等な酒に慣れてしまった体では酔うことが出来なかった。
「くそったれめ」
ガツンとテーブルにグラスを叩きつける。
しかし、胸の中にある鬱憤が晴れることはない。
「くそったれめ……」
同じ言葉を再びを口にして、うなだれる。
苛立ちが大きくなり、酒を煽ろうとするが既にグラスの中身が無くなっていたことに気付き、舌打ちを零す。
「(こんなはずではなかった——)」
そう、こんなはずではなかった。
問題だらけの支部。意識の低い隊員。彼等を変えるために、使えない者達を導いてやるために送られたはず。
それなのに、一歩目で躓いた。
華々しく活躍するはずだったのに、出来たことは何もない。間抜けにも偽物を掴まされただけだ。
街を破壊した責任も問われることになる。
レジスタンスも街を破壊することはあるが、それは結果が伴った時のみ。何も得られず、いたずらに街を火の海にした責任を取らされるだろう。
嫌だ。ありえない。考えたくない。こんなはずじゃなかった。現実を否定する言葉がアリマの頭の中を反復する。
「酒、もっと強いのはないのか⁉」
八つ当たり気味に吐いた言葉にビクリと男の店員が体を震わせる。
この店の従業員は全てミズキの顔見知りであり、関係者。
酒を飲んでいるアリマの正体もミズキから知らされていたため、不味いことをすればどうなるのかを恐れていた。
店員が他の客も放り出してアリマへと酒を用意し、持ってくる。
アリマが声を張り上げてから10秒も立たない出来事だった。
「チッのろまが」
苛立ちを隠さず、舌打ちをする。
10秒足らずで酒を用意したのだ。のろま、ということはない。しかし、アリマにとってそんなことは関係なかった。
誰でもいい。怯えている相手を見て溜飲を下げたかったのである。
アリマのことを迷惑に思っていた酒場を利用していた客達もアリマに睨みつけられて視線を逸らす。面倒事はごめんだと言うように。
相手の怯えている様子を見て幾らか溜飲を下げたアリマは再び店員を強気な言葉で呼び出して、つまみを持ってこさせる。
アリマを止められるはずの北條と結城は店の裏手で間違えて連れて来てしまった男に処置を施しているせいでいない。
このままアリマの独壇場が続くかに見えた。——が、
「ここ、少しいい?」
1人の女性がアリマの座っている席へと近づき、アリマに語り掛けたことで状況が変わっていく。
「誰だお前は——?」
「ここの店員の1人よ。少し気が立っているようだから、アタシとお喋りしようよぉ」
胸元をはだけさせ、オレンジ色の髪が特徴的な女性は優しい笑みをアリマに向ける。
アリマの視線が女性の胸元へと一瞬行き、すぐに逸らされる。
「失せろ。俺は今機嫌が悪いんだ」
「なら、猶更アタシが必要じゃない? ほら、無関係な人間にこそ愚痴とかを吐いて楽になるって聞いたことない?」
「ふん、そんな下らん噂聞いたことがないな。そんなものを信じるなんてお里が知れるぞ」
「え、アタシの出身がスラムだって何で知ってんのぉ? お兄さんすっごいねぇ‼」
「はぁ? 何を言ってるんだお前は」
自分の嫌味を受けても笑顔を崩さない女性にアリマは思わず気を抜けてしまう。
「ねぇねぇ他には何が分かるの? 教えてよ~」
まるで無邪気な子供のように、キラキラとした瞳。
初対面の相手に纏わりつかれれば鬱陶しさを感じるものだが、女性からそれは感じない。
いつの間にかアリマは女性に対して嫌悪感を持つことはなくなっていた。
「へぇ~お兄さんレジスタンスの人なんだぁ」
「何だ。頭の可笑しい奴とでも思ってんのか?」
「え、何で? 強い装備とかで吸血鬼と戦ってるんでしょ。むしろ、英雄じゃん」
「アタシと同じスラム出身なんだ。あれ、そういえばスラムとか孤児院出ってレジスタンスに入るのに難しいんじゃなかったっけ?」
「よく知ってるなそんなこと」
「
「ふん、話の流れで分からなかったのか。実力だよ実力。射撃に格闘技、暗殺術。どれも俺は自力で学んで突破してやったのさ」
「おぉ~☆」
「任務は一度も失敗したことないか~すごいね。アタシなんていっつも失敗ばっか。この間もお皿全部割っちゃって店長に怒られてさぁ~」
「お前みたいなどんくさい奴が失敗せずに生きられるはずがないだろう。俺みたいな天才なら別だがな」
「わぁ、すっごい自信~。少しは分けてよぉ」
どんな些細なことにも目を輝かせ、驚き、羨ましがる女性を見てアリマも上機嫌になり、酒を飲むペースが速くなる。
無関係な人間にレジスタンスに関わる情報を口にするのは許されてはいない。
いくらアリマが他人を見下すタイプだとしても、その辺りは教育されている。しかし、酷い失態をしたばかり。
自身の失敗を認めたくないアリマからすれば、自分を優秀だと理解してくれる存在の言葉に酔ってしまうのは仕方がないことだった。
「良いなぁ。そんなに能力があるなんて。その、ほんぶ?って人からも毎日頼りにされてるんでしょ? そんな頼りにされたことないなぁ」
「ふん、お前程度の能力なら言われて当然だな。俺はそんなことはないがな。それと言っておくが、本部というのは人ではない。施設のことだ」
「へぇ、そうなんだ」
「興味なさそうだなお前……」
「そう? それよりさぁ、お兄さんが天井からぶら下がって秘密のデータを盗み取ったり、水中でビルに潜入している仲間のために警備データを入れ替えたりする話はないの?」
「何処のインポッシブルだ。そんなことはせん」
「えぇ~」
女性が唇を尖らせ、机の上に顎を乗せる。
子供が物事に興味を失ったかのような態度に思わずアリマは口を開いていた。
「まぁ……情けない奴等を更生するための任務と称して内部調査をする任務は受けているがな」
「え、本当⁉ 聞かせて聞かせて~☆」
「ふん、さっきまで興味を失せかけていた癖に……全く、困った奴だなお前は。誰にも言うんじゃないぞ?」
「うん‼」
目を輝かせ、上半身を起こした女性にアリマはやれやれと肩を竦め、話始める。
自分が何故第21支部へと配属されるようになったのかを……。
アリマは気付かない。
いつの間にか落ちていた自尊心が、より大きく、強くなっていたのを——。
第21支部に配属されるようになった経緯を話し始めてから、女性の口の端がほんの僅かに上がったことを——。
アリマは見逃してしまっていた。
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