第154話対峙
血濡れの男が当時のことを思い出す。
実験によって唯一適合した男にはそれほど高くはないが再生能力が備わっていた。
酸で焼け、溶けていく人体。それと拮抗するように再生能力が働き、男を死から遠ざけた。だが、死なないだけだ。痛覚が無くなった訳ではない。
密室の部屋を使った酸のプールだ。口を開けば酸が入り込み、内部から男を溶かしていく。息も出来ず、激痛に苦しむ中、隣では愛する者が形を無くしていく。
そんなこと——耐えられるはずが無かった。
苦しんで、苦しんで、苦しみ抜いて——酸が部屋からなくなった頃には男は既に壊れていた。心は絶望で満ち、
その影響は肉体にも影響を及ぼした。死を願う思いが再生能力を失わせ、男は今の姿へと変えたのだ。
それでも男が命を絶たなかったのは、メルキオールが病院に残した装置から出現した仲間たちの成れの果てを見たからである。
男にとってそれがどんなものなのかは知らなかった。当時、何が起こったのかも理解していない。だが、それが生きる理由になったのは確かだ。
酸で満たされていた部屋にあった巨大な筒状の装置。そこから泥の様に出現し、男に寄り添うように1つの生命体になった仲間達。
かつて持っていたものは全て無くなった。手の中にあった僅かにあったもの、それら全て奪われた。変わり果てた姿となった。
最早残ったのは怒りだけ。ならば、怒りのままに暴れよう。
だってそれしかないのだから。
あの時、そう互いに決意したのだ。
「————来た」
暗い一室で男は自分の領域に入り込んだ侵入者を感知し、目を覚ます。
消えることのない憎悪の炎を瞳に宿し、男は腰を上げた。
誰もいない不気味な鮮血病院に3人の人間が足を踏み入れる。
足を踏み入れたのは石上恭也、大宮宗次、藤堂道之の3人だ。鴨田達が脱出した扉を使い、彼等はこの鮮血病院に侵入した。
端末で無事侵入出来たことの連絡を入れた後、3人は目の前にある階段を降り始める。
「それにしても本当にあるとはね。おじちゃん疑ってました」
そう口にするのは3人の中で
鮮血病院に侵入する扉の発見。この情報は石上が、正確に言うなら石上に接触して来た上級吸血鬼——磯姫が持って来たものだ。
上級吸血鬼が持って来た情報をレジスタンスは疑った。当然だ。残虐な敵から送られてきたプレゼントを喜んで開ける人間はいない。
本当ならば無視したい所だが、出来る訳がない。わざわざ情報を持って来たのにはどんな思惑があるのか。
ただの悪戯か。それとも罠か。どちらにしろ確認をする必要があったのだ。
「俺もだよ」
大宮の言葉に石上が同意する。
情報を受け取ったのは石上だが、石上自身も信じてはいなかった。だが、確認しに来てみればこれである。
目で確かめても幻影の類ではないと分かり、もう疑う余地はなかった。
「…………」
「あれ、藤堂ちゃんは何も感じることはないの?」
「黙れ」
鮮血病院に入ってから一言も喋らない藤堂に大宮が軽い調子で語り掛ける。だが、藤堂は大宮に目もくれずに足を速める。
大宮も肩を竦めて後に続いた。
暫くすると3人の前に下級の吸血鬼が姿を見せる。
「ありゃ、やっぱり罠かな?」
「ただの雑魚よ。罠なんてものじゃない」
「そっかそっか。それじゃあ藤堂ちゃんそっちよろしくこ~」
「チッ。ニートが」
全て任せるとばかりに大宮は手を頭の後ろに置く。
藤堂が吸血鬼を全て片付けるまで大宮も石上も手を貸すことはなかった。
「下から面倒なものが近づいているな」
石上が異能を用いて下から接近してくるものを感知する。
言葉通り、地面が盛り上がり何かが上昇してくる。赤黒く、ドロドロとしたスライムのような何かが。
「石上、これは何だ?」
「これは——酷いな。半死人の魂の複合体だ。癒着しすぎて何人の魂が詰め込まれているか分からないな。これじゃあ満足に成仏も出来ないだろう」
「魂の集合体ですか……えぇ~何それ。何で魂が成仏せずに現世に留まってんのよ。お経でも唱えれば成仏する?」
「……意味ないだろう。言葉自体にに力を宿す言霊使いなら別だろうがな」
「なら石上、これはどうやったら殺せるんだ?」
会話の最中、赤黒いスライムが空だから大量の触手を3人に向ける。
3人はそれぞれ別の方向に飛び退き、その触手を回避する。
「やれやれ、何か面倒だねぇ」
大宮の言葉に同意の言葉はなかった。その代わり、藤堂が軽く鼻を鳴らし、石上は爪先で床を軽く叩いた。
囚われてから何度この感覚を味わったか。
微睡の中から再び北條は目が覚める。
「イテェ……」
ぐったりとした体を動かし、上半身を動かす。
鉄でも岩でもアスファルトでもないない床はしっとりとしていて冷たい。その感触を不気味に思いながら北條は視線を唯一光がある方向へと向けた。
「北條、目が覚めたのね‼」
電球を巨大にしたような丸い光。その下にいたミズキが北條の元に真っ先に駆け寄ってくる。
「ミズキ、ここは何処だ?」
「最下層みたいよ。それで、あの光る球体がメルキオールみたい」
「はい?」
起きたばかりだからか、間抜けな声が北條の口から出る。
メルキオールは吸血鬼だ。
吸血鬼とは対峙すれば恐怖しか感じない存在。子供のように無邪気に、自分の欲望のままに暴れる怪物。
それが一般的な吸血鬼の印象だ。北條もそれは同じだ。
しかし、今北條の目の前にいる吸血鬼——と言われた存在——は、周囲が闇に覆われているせいかまるで神々しく見えてしまう程の眩かった。
「え、何アレ神様?」
「違うわ。メルキオールよ。言ったでしょ。聞いてなかったの?」
「いや、聞いてたけど……」
光る球体にゆっくりと近づいていく。
そこで気付く。かなり近くにあると言うのに眩しいと感じることはなく、照らされているのに後ろに影が見当たらないということに。
あり得ない現象を目にし、ようやく北條の意識も切り替わる。目の前の存在は、姿かたちは違えど吸血鬼なのだと。
「管理者、北條一馬。土塊の一族、ミズキ」
機械的な声が聞こえ、北條達は歩みを止める。
「あんたが、メルキオールか」
「肯定する。お前が起きるのを待っていたぞ」
静かに、それでいて聞くものに重圧を与えるような声色でメルキオールは話始める。
上級吸血鬼との語り合い。何を言われても恐れることが無いように、北條はぐったりとする体に喝を入れ、弱音を抑え付けてメルキオールを正面から対峙した。
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