第155話例外

 重圧を感じて息を吐く。

 一度は本当に吸血鬼かと疑ったが、近づけば分かった。

 体に掛かる重圧は本物。今まで意識すら向けていなかったのだろう。腹を貫かれるような圧が常に北條に襲い掛かる。

 北條の横にいるミズキも同じ圧を感じて息を呑む。

 そんな2人を余所にメルキオールは口を開く。


「我は無駄な時間を浪費したくはない。さっさと話を進めよう。北條一馬」

「お、おうッ」

「お前に渡すものがある。受け取るが良い」


 突然名前を呼ばれた北條が戸惑うが、無駄なことをさっさと済ませたいメルキオールが構うことはなかった。

 球体がほんの少し強く光ったと思うと奥から音が響き、筒状の巨大な機械が姿を現す。


「これは——」

「これで取引は終了だな。さっさとここから去るが良い」

「は? 取引ってどういうこと」


 メルキオールの取引という言葉の意味が分からず、問いかける北條。しかし、メルキオールは答えない。

 代りとばかりに突然謎の美女を北條の目の前に出現させて黙り込む。

 そんなメルキオールに対して北條は苛立ちを感じるが、吠えた所で何かを出来る訳ではない。不満を飲み込み、視線を美女へと向けた。

 碧く、長い髪。何処か幼さを感じさせながらも蠱惑的な雰囲気を持ち、黒いドレスに身を包んだ紅い目をした女性がふっと笑みを浮かべる。

 それだけで、北條だけではなくミズキの心臓も跳ね上がった。


『また、会えることが出来たな』

「誰ぇ⁉」

『あ? 誰だと? 余を忘れたと申すか。殺すぞ』

「滅茶苦茶物騒じゃん」


 背筋が凍る程の殺気を叩きつけられ、北條が硬直する。

 少しの間固まるが、女性の声がよく覚えている相棒の声と一致するのが分かると恐る恐ると言った様子で口を開いた。


「もしかして——ルスヴン?」

『ふふッ。あぁ、その通りだ。余の姿を見ること出来るまで成長するとはな。誇らしいぞ』

「え、あ……それは、どうも」


 名前を呼ばれたことで、殺気が混じっていた怒りの表情から一転して優しい笑顔をルスヴンは浮かべる。

 絶世の美女の笑みに北條は気恥ずかしくなり、視線を逸らした。


『どうしたのだ。宿主マスター?』

「な、なんでもないよ」


 視線を逸らした先にルスヴンが幽霊のように地面に足を付けず、ふわりと回り込む。

 どうした、と問いかけてはいるもののニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべている所を見ると北條が視線を逸らした理由も察しているのは明らかだった。


「それよりも、一体何処にいたんだ。急に体から消えて心配したんだぞ⁉」


 からかわれるばかりの北條だったが、突然ルスヴンが体の中から消えたことを思い出し、問い詰める。


『ククッ。そう声を荒げるな。そこにある筒状の、名前は何と言ったか——まぁ良い忘れた。その機械に囚われていてな。メルキオール曰く、魂が現世に留まるのに最も適した調整がされている機械らしくてな。それで宿主の体から余の魂が抜けだしたらしい』

「抜け出したらしいって……」

『詳しいことを聞かれても困るぞ。それぐらいしか聞いていないのだからな』

「いや、でもそれはメルキオールの言っていたことなんだろ? もし、お前を騙そうとして嘘を言っていたらどうするんだ。気付いてないだけで何かされてる可能性だってあるんじゃないのか?」

『安心しろ。メルキオールの性格は把握している。彼奴は科学とやらにしか興味のない吸血鬼だ。争いごとに自分から首を突っ込もうとはせんし、起こす気もない。そんな奴が余を嵌めて何になる。面倒事を増やすだけだろう?』


 メルキオールを敵として捉えている北條はメルキオールの管理している機械に囚われたルスヴンを心配するが、当の本人がそれを鼻で嗤う。

 北條もルスヴンがそういうのならばと納得する。

 丁度、話が途切れたタイミングを見計らってか。ミズキが北條に尋ねる。


「北條、一体誰と話しているの?」

「え、あー……」


 そこで北條は思わず言葉に詰まった。

 これまでの行動——ルスヴンが目で見えていたため、平然と会話していたが自分の視界にしか映っていないと気づいたのである。

 ミズキから見れば、先程の北條は虚空に向かって話しかけてるヤバい奴だ。ミズキの北條を見る目もちょっと心配している子を見る目になっていて地味に北條は傷ついた。


「俺のいなくなった相棒が戻ってきたんだ」

「あぁ、ルスヴンって奴ね。急に1人で喋り始めたから何かされたのかと思ったわ」

『あ? 何だこの無礼な小娘は?』

「手を出すなよルスヴン。俺を何度も助けてくれた恩人なんだ」

「ついでに将来を誓い合った仲よ。よろしくね」

『——————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————』

「嘘をつくなっての⁉ おいルスヴン本気になるなよ‼」


 突然とんでもないことを口走るミズキ。ルスヴンの異様に長い沈黙が恐ろしくなり、北條は慌てて訂正する。

 最も、そんなことをしてもルスヴンの脳内危険人物表にミズキの名が記されることは回避出来なかったのだが。


「喧しいな」


 ぼそりとメルキオールが小さく呟く。

 殺意を向けられてはいない。煩わしい。そう思われただけ。しかし、それだけで十分。幾つもの刃に貫かれる感覚を2人は覚え、緩んでいた意識が引き締まった。


「ッ——」

『安心しろ宿主。余がいる限り、手を出してはこない。固まってないでさっさと戻るぞ。帰るための取引なら余がしておいた。後は帰るだけだ』


 ルスヴンが固まる北條に声をかけ、気分良さげに笑う。


「そう、なのか」


 てっきりメルキオールと一戦交えるか。舌戦を覚悟していた北條はそれを聞いて目を丸くする。

 これまでのあっさりとしたやり取りの謎が取れた瞬間だった。


「ねぇ、1人で納得してないでアタシにも説明してよ」

「あぁ、ごめん。どうやらルスヴンがメルキオールと取引をしていたらしいんだ。俺達はこのまま帰って良いってさ」

「本当なの⁉」

「あぁ」


 最も困難だと思われていたメルキオールとの取引。それが既にクリアされていたとしり、ミズキが驚くと同時にほっとした様子も見せる。

 メルキオールとの取引はミズキが行うことになっていた。商人として取引を行うことは幾度もあったが、今回の相手は上級吸血鬼。この場に来るまでに集めた取引材料で駆け引き出来るかハッキリ言って不安だったのだ。


「それじゃあ行こう。ルスヴンが戻ってきてくれたおかげで異能も使えるようになった。俺が連れていくよ」

「お願いするわ」


 一度、メルキオールに視線を送ってから北條はミズキに手を伸ばす。ミズキも笑みを浮かべ、北條の手を取ろうとした。

 だが、2人の手が重なることはなかった。


「え——?」


 北條の手を握ろうとした瞬間、ミズキの視界から北條が消える。

 何が起こったのか理解出来ず、辺りを見渡すが北條の姿はない。


「北條? どこにいるの?」

「もういない。我が領域外に弾いた」

「————」


 後ろから響くメルキオールの言葉にミズキが絶望する。


「何で」

「何故も何も、


 淡々と紡がれる言葉が恐ろしい。

 暗闇に取り残された時に1つだけ光体があれば人はそこに寄っていこうとするものだが、ミズキは目の前にある唯一の光りから全力で逃げたくなった。

 刃がゆっくりと心臓に突き刺さる。そんな感覚を味わう。

 メルキオールが視線をこちらに向けた。光を放つ球体にしか見えないが、ミズキは何となくそう感じとる。


「お前は取引で安全を保障はされてはいない。故に——お前には我の領域を荒らした罪を償って貰う。あの男の分もな」


 思いもよらなかった出来事にミズキは固まるしかなかった。

 小刻みに体を震わせ、目の端には涙を溜める。

 その姿を見てもメルキオールの心に慈悲が芽生えることはない。死刑宣告を行ったメルキオールの体から雷光が弾けた。

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