第148話決起

 呼吸が整い始め、ある程度余裕が出始めた北條は鮮血病院での出来事を思い出していた。


 ——一緒にいて欲しかった家族はいない。見たかった景色はもう見られない‼ それもこれも全てはお前達がいるせいだ‼


 血濡れの男の表情が、言葉が——胸に深く突き刺さる。

 血濡れの男を生み出したのは矢切宗一郎やぎりそういちろうだ。異能を持つ人間を増やそうとして非人道的な実験を行った。

 例え、人類を救うためだとしてもそれは踏み越えてはならない一線を越えたものだった。レジスタンスもそう考えた者が多かったからこそ、矢切を追放した。


 しかし、だからどうなのだろうか?

 レジスタンスは完全に矢切と関係ないと口にできるのか?

 北條一馬はその時いなかったから関係ないと無視できるか?


「————」


 どうするべきか答えが出てこない。答えのない答えに挑んでいるようで、全くゴールに辿り着かない。


「何やってんのっと」

「ゴッホ⁉」


 頭を悩ませていた所に腹部に衝撃が走る。

 意図せず昔の偉人の名前を口にしながら噴き出した北條が見上げれば、そこには馬乗りで腹部に跨るミズキの姿があった。


「どうしたんだよ」

「それはこっちの台詞。また悩んでる顔してたから解決しに来てやったのよ」

「…………」


 そんな表情をしていたのかと北條は天を見上げる。

 紫の空は気味が悪く、気分が悪くなりそうになり、直ぐに北條は視線を降ろす。すると、そこには更に近くなったミズキの顔があった。


「何があったの? アナタにそんな表情されるとアタシも困るのだけれど」

「……関係ないって言ったら怒るか?」

「ブチギレるわね。何ならこっから突き落としてやるわ」

「…………」


 冗談、と一瞬北條は捉えかけるが、ミズキの目が笑っていなかったこともあり、口を閉ざす。


「レジスタンスに恨みを持つ血濡れの男をどうするか。悩んでるんでしょ?」


 そのまま黙り込む北條だったが、ミズキは何に悩んでいるかなどお見通しだとばかりに悩みを言い当てる。

 既に血濡れの男については再開した際に説明済みだ。そこから北條の性格を考えれば、何に悩んでいるかなどミズキには直ぐに分かった。


「まぁ、ショックよね。街を解放するためのヒーローとして活動していたレジスタンスの一員が実は極悪非道なことに手を染めていたって知ったら……でも、仕方がないじゃない。それはアナタが入る前の事よ。どうにも出来なかった。違う?」

「…………」

「レジスタンスには住民を守る役割もあるからあの男のことも見捨てられないって考えているのは分かってる。アナタは優しすぎるからね。被害者の無念を踏み潰して前には進めないだろうけど、あれだけは駄目よ。だって、心底あれはアナタのことも憎んでる」


 死者の想いに囚われかけた北條が、目の前で苦しむ1人の人間を放っておけるはずがない。

 だが、血濡れの男がレジスタンスの手など取る訳がない。むしろ、手を差し出せば引き千切ってくるだろう。求めているのは憎い相手の血そのものなのだから。


「——あぁ、それは分かってる」


 だが、そんなことはミズキに言われずとも北條も理解している。

 それでも北條は血濡れの男を敵としては見ることは出来なかった。


 。全てを失う感覚を——。


 全てを失う経験を北條もしているからこそ、男の叫びを無視することはできなかった。

 だから、男がどれだけレジスタンスのメンバーである北條を苦しめようとしても説得したいと考えていた。


「憎しみをどうにかする方法はないのか——」

「……それは分からない。私はあそこまで人を憎んだことはないから」


 安易に大丈夫だとは言わず、ミズキは正直に答える。

 ミズキはガルドのことを憎んではいる。だが、血濡れの男の憎しみとは桁が違うものだ。

 あれは憎しみの爆弾だ。無関係な者まで巻き込み、手あたり次第に殺し尽くす殺人兵器。もうそんな領域まであの血濡れの男はいってしまっている。


「——でも、1つだけ言えることがある」

「何だ?」

「憎しみをアイツに捨てろって言うのは、アナタが夢を諦めるのと同じぐらい無理だと思う」


 ミズキが血濡れの男と顔を合わせた時間は短い。それでもあの男の心には憎しみしかないと断言する。

 北條が夢を糧にして生きているように、あの男は憎しみを糧に生きているのだ。


「アナタは今から別の道を探せる?」


 奥底に染み付いた憎しみ。それを晴らすために生きる血濡れの男に何がしてやれるのか。

 何もできない。出来るはずがない。もうそれは北條自身の夢を諦めるのと同じだとミズキは思っていた。

 だからこそ、血濡れの男を諦めさせるために口にする。


「————」


 その言葉に北條は息を止めた。

 全てを失い、残ったのは絶望だけだったのなら——。

 思い出す。自分が何故レジスタンスに入ろうとしたのか。

 自分自身に力はない。ルスヴンのおまけでしかない。

 家族と言えた人達もいなくなった。

 それでも何故戦うのか——。


「無理——だな」


 別の道など選べるはずがない。

 これまで血濡れの男が辿る道を変えようと必死になっていたが、それは傲慢だったと今更ながらに理解する。


「(俺は人の心を動かせるはずがない)」


 何時だって説得が成功したことなどない。

 それでもかつては同じ夢を見た者達がいた。それが出来たのは別の要因があったからだ。


「そうだな。無理だよな。色んなものを失っても、それがあったから頑張れたんだ」

「北條?」


 それはミズキに向けたものではなかった。北條自身、自分自身に向けた言葉だ。


「俺さ。孤児院にいたんだよ。吸血鬼が運営していた孤児院に」

「それは——」


 ミズキが言葉を失う。

 孤児院とは聞こえは良いが、実際は吸血鬼にとっての高級レストランであることは知っていたからだ。


「当時は何も知らなくて。馬鹿みたいに約束なんて口にしてた」


 外に憧れを持った理由は孤児院を任されていた人物が見せた1つの写真。

 そこから憧れが始まった。

 口下手で説得ができなくとも、その写真があったからこそ皆が夢に同意した。

 いつか外に行こうと共に育って来た者達と約束までした。しかし、その約束が果たされることはなかった。

 何があったのか。その後のことは言うまでもない。なんせ、そこは吸血鬼が自分自身のために運営していた養殖場だったのだから。


「全部終わった後、俺に残ったのは希望だけだった。だから、俺はルスヴンと取引して今の道を進んでる。導いて貰っている。でも、あいつに残ったのは絶望だけで、導いてくれる存在もいなかったんだよな」


 目を瞑り、静かに息をする。

 ぐちゃぐちゃと考えるのを止めた。

 北條は自分の原点に戻ってきた。

 他人を気にすることはなかった。あの時と同じように手を取って無理やりにでも連れて行けば良かったのだ。

 何故なら、あの写真で見た太陽は誰の目をも眩ませたのだから。


「ミズキ、ありがとう。やることが決まったよ。協力してくれ」

「……はぁ、なんか諦めさせようと思ってたんだけど、逆になったみたいね」

「悪いな」

「別に良いわよ。どんな答えを出したのかは分からないけど、迷いはなくなったみたいだし。その顔をしている奴に協力するのは悪い気はしないわ」


 覚悟は決まった。道が違うのならば、戦うしかない。

 だが、それを悲観することはない。大事なのはその後なのだから。

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