第146話摩訶不思議な世界

 可笑しな空間だ。横向きになったビルの中を歩きながら、北條はそう思ってしまう。

 巨大なビルや島が浮いているのに、重力が存在しているし、魚らしき存在が宙を泳いでいるのに空気がある。


「本当に何なんだ。ここは——」

「確かに」


 北條の言葉にミズキが同意する。

 北條の後ろをぴったりと張り付いて歩きながら、周囲を見渡す。ガラス張りの通路から見える景色は現実では見ることの出来ないものばかり。

 緑が生い茂る島に中世期の建造物。巨大なビルに煙を上げながら走る列車。そして、それらを丸のみに出来そうな出来そうな巨大魚。

 どういう理屈で動いているのか。科学に通じるミズキでも分からないことばかりだった。


「ふん。驚いたか」


 北條の腰にぶら下がった吸血鬼が得意げな声を上げる。


「貴様等では到底作ることの出来ない空間だ。ククッ恐れ入ったか?」

「へぇ……つまりこれは吸血鬼が造った空間なのね?」


 調子に乗る吸血鬼が滑らせた言葉にミズキが笑みを浮かべて問いかける。だが、そんなことは些細なことだと吸血鬼は鼻を鳴らした。


「その通りだ。ここは儂の主——メルキオール様が創った空間だ」

「メルキオール。か」


 メルキオールの名を再び耳にし、北條は険しい表情を作る。

 メルキオールは上級吸血鬼。今からそんな吸血鬼の元へと向かおうというのだから当然と言えば当然だった。


「(メルキオールについて分かってることって異能ぐらいなんだよな。もっとちゃんと朝霧さんとかに話聞いとけば良かったかな)」


 メルキオールについての情報を積極的に学ばなかったことを後悔する。だが、それは仕方がないというもの。

 常夜街に存在する上級吸血鬼の中にメルキオールはいない。存在する吸血鬼の対処法を学んでも仕方がないということでレジスタンスでも情報を教えることは稀でしかない。精々、人の噂話で出る程度だ。


「メルキオールって吸血鬼は一体どんな奴なの?」


 ミズキもメルキオールについては何の情報も持っていないため、少しでも情報を集めようと吸血鬼に語り掛ける。


「戦いを好まない吸血鬼だったな。と言っても、平和主義という訳ではない。吸血鬼の異能は最上級の位階を除いて1つしかない。それを変えようとしていた」

「吸血鬼が複数能力って……そんなことしなくても再生能力もあるし、強いじゃない」

「強さなどは望んでいないだろう。あの御方が望んでいるのは世界の創り方だ」

「はぁ?」


 思わずミズキは言葉を漏らす。北條もその言葉に首を傾げた。


「スケールのデカい話が出て来たな……メルキオールは神にでもなりたいのか?」

「さぁな。そこまでは口にしてはいなかった。ただ、世界を創りたい。そう一言おっしゃっただけだ」

「それは……どうなんだ。今ある世界を壊して作り直す的なアレか?」


 加賀に借りた漫画にそんなことを口にしながら主人公に対峙する登場人物がいたことを思い出し、問いかける。

 その登場人物が文字通り、世界を木っ端みじんにして世界中の命を奪ったこともあり、もしかしたらメルキオールもそんなことを考えているのではと冷や汗を流す。

 世界が崩壊しているのは今も同じだが、これ以上滅茶苦茶になるのは流石に御免だった。


「知らん」


 そんな北條の不安を吸血鬼はバッサリと切り捨てる。


「いや、知らんて——」

「知らないはずはないでしょ。だってメルキオールから聞いたんでしょ?」

「知らん。言ったはずだぞ。世界を創りたい。そう一言おっしゃったとな」

「……もしかしてそれ以上のことは知らないの?」

「はぁ? 何故そんなことを知る必要があるのだ」


 世界を創る。スケールが大きすぎてピンとこない話だが、もしそれが今ある世界を全て壊すというものならば、自分達の生活が脅かされるのならばそれを止めなければならない。

 本当は知っているのでは——だと再度ミズキが問いかけるが、吸血鬼の態度は変わらない。


「何でって、アナタはメルキオールの眷属じゃないの?」

「そうだ。だが、だから何だ? 考えを全てを知らなければついていってはいけないなどということはないだろう。そこの小僧が外の世界に憧れているのと同じだ。新しい世界とやらに儂も興味を抱いただけ。口車に乗ってやっただけだ。他の奴等も同じだろうよ」

「…………」


 ついていくのは興味があるという理由だけ。そう吸血鬼は語る。


「口車に乗ってやっただけ、かぁ」


 その言葉に北條は幼い頃に養って貰っていた孤児院での出来事を思い出す。友人と一緒に過ごした日々。その友人と語り合った外の世界。

 今はもういなくなった一緒に外の世界を見てみたいと思った者達を——。

 彼等もまた、吸血鬼と同じようなことを口にしていた。


「どうしたの?」

「あ——いや、少し昔のことを思い出してた」


 肩を叩かれ、慌てて北條は意識を現実へと引き戻す。何か言いたそうな表情をミズキがするが、北條はそれに気付かず、視線を前に向ける。

 既に北條達はビルの端へと移動していた。崩れたアスファルトの壁から顔を覗かせると、下にはクラゲのような生物が浮いているのが目に入る。


「それで、また下に落ちるのか?」

「無論だ。だが、今回は島や建造物に入るなよ。あそこは他の眷属の領域だ。入れば儂も殺される」

「それじゃあどうやって下に行くんだ。自由落下何てもう2度としたくないぞ」

「ふん。安心しろ。体がある時なら兎も角、貧弱な貴様等の腰にぶら下がるしかない今の儂は落ちただけで死ぬからな。そんなことは言わん」

「そうか。それは安心した——で? どうやるんだ?」

「うるさい小僧だ。少し待っていろ。もうじき来る」


 何が来るのか。首を傾げる北條とミズキだったが、直ぐに答えは判明する。

 下ばかりを見ていた2人に大きな影が覆い被さる。慌てて上を見上げれば、そこにいたのは巨大な機械仕掛けの蛇だった。


「不味いッ下がれ‼」


 嫌な予感が体中を駆け巡り、反射的に2人はその場を飛びのく。

 その直後、先ほどまで立っていた場所を機械仕掛けの蛇の大きすぎる体が通過していく。

 ビルの外壁と蛇の体が接触し、大きくビルが傾く。

 満足に立つことすらままならず、まるで虫籠の中にいるような気分に陥るが、そんなことは許さないと吸血鬼が口を開いた。


「何をしている。さっさとあの蛇に飛び移らんか‼」

「はぁ⁉」


 あまりの言葉にミズキが目を見開く。


「嫌よ‼ 何であんなのに飛び移らなきゃならないのッ。というかアレは何⁉」

「知らん。しかし、主であるメルキオールが直々に連れて来たものだ。時折、クラゲを食べにここにやってくる。この機を逃せば次にやってくるのは10日後だぞ」

「だからって……もっと穏便に下に行く方法はないの⁉」

「吸血鬼の縄張りを通るか。あの蛇に飛び移るかだ。さっさと行け‼ もうじき通り過ぎるぞ」


 急かす吸血鬼の言葉を受けて北條はミズキを抱えて走り出し、機械仕掛けの蛇目掛けて壊れた外壁から飛び出した。


「噓でしょ噓でしょ噓でしょ噓でしょッッ⁉」

「舌を噛むなよミズキ‼」


 クラゲを頬張りながらも移動し続ける機械仕掛けの蛇の体は凹凸だらけ。そのせいで着地には失敗したものの、北條は転がりながら何とか凹凸の1つに手をかける。

 ミズキも北條の腰にしがみ付き、降りかかってくる勢いに耐えた。


「——ッ」


 振り落としに来ているのではないかと思うほどの激しい揺れ。

 左右だけでなく上下にも揺れる機械仕掛けの蛇。見た目以上にしがみ付くのは一苦労だった。


「どれぐらいしがみ付いてれば良いの⁉ これ、風きつすぎるッ」

「後2時間でこの蛇は一度休息に入る。問題ないだろ」

「「はぁ⁉」」


 2人の声が揃う。そんなに時間がかかるのかと。

 機械仕掛けの蛇の速度は時速500キロ。上下左右は勿論、1回転処か2回転、3回転。そして、ひねりも加わる。

 シートベルトなしで激しく揺れるジェットコースターに乗っているようなものだ。

 こんな所から早く降りたい。そう思うのは当然だった。そんな2人に告げられた残酷な言葉。


 後でこの吸血鬼しめる。


 2人は思いを1つにしながらも叫び声をあげて機械仕掛けの蛇の体にしがみ続けるのだった。

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