第144話次元の狭間

 風が頬を撫でる感触。土の匂い。

 触覚と嗅覚が感知したのは、常夜街では感じることのないものだった。それを不思議に思い、土塊つちくれの一族であるミズキは重い瞼を開ける。


「うっぐぅ——」


 瞼を開けた瞬間に飛び込んできた光に呻き声をあげる。

 視界に飛び込んできたのは妙な光。触覚、嗅覚に次いで視覚にまで未知の情報が追加され、ミズキは軽く戸惑った。


「ほ、北條ッ‼ ここは何処⁉ 何処にいるの⁉」


 思わず近くにいたはずの北條の名を叫ぶ。

 だが、返事はない。代わりに耳に届いたのは全く別の声だった。


「ふん。起きて早々喧しい奴だ」


 敵意すら滲み出ているその声にミズキはピタリと動きを止める。

 ゆっくり、ゆっくりと顔を動かし、背後を確認する。


「な——生首ィッ⁉」


 そこにあったのは岩の上に乗っかった生首。しかも、ただの生首ではなく生きている生首。驚くのも無理はなかった。


「何でここに生首が。それにアナタ吸血鬼⁉」

「それぐらいは分かるか。馬鹿な人間め」


 ミズキを馬鹿にするように鼻で笑う吸血鬼。

 驚いたものの頭が冴えてきたミズキは思わずそれにカチンとくる。


「馬鹿ですって? ならアナタは何? 1人で動くことも出来ずにいるアナタは。アタシが小突けばそこから転がり落ちるってこと理解してるの? それともそれも理解できないほど間抜けなの?」


 先程の怯えた様子から一転して挑発するかのように笑みを返すミズキ。殺し合いはごめんだが、口喧嘩ならば買うこと戸惑わなかった。


「人間が——調子に乗るなよ」

「アナタこそ調子に乗らないことね。それとも今ここでアタシを殺せる力があるのかしら?」


 吸血鬼の表情が歪む。

 それを見てミズキは確信する。この吸血鬼は怖くないと——。

 僅かに強張っていた体から力を抜いて、ミズキは辺りを見渡す。今、ミズキが立っていたのは池のある小さな浮島だった。

 その周囲には高層ビルや森林地帯のある島、神殿のような建物、どうやって生息しているのか分からないが巨大な魚などの生命体が空中を泳いでいた。

 そして、とりわけ目を引いたのが光を放つ巨大な球体だった。空間を一色に染める紫色の光り。これがこの空間の光源になっているのかと理解する。


「————まじかよ」


 先程の吸血鬼とのやり取りも忘れてミズキは唖然とする。

 それだけの光景が広がっていた。

 何故浮かんでいるのか。どうしてこの世界は明るいのか。何故、こんな所で生きていけるのか。一体ここは何なのか。様々な疑問が出てくる。


「面白い」


 摩訶不思議な世界の景色。それを純粋にミズキは面白いと感じた。

 常夜街とは違う一風変わった世界の在り方。別世界を見るような楽しさがミズキの胸の内を支配していた。先程まであった恐怖はもうどこにもなかった。


「なんだこれ。なんだこれ‼」


 キラキラと目を輝かせてミズキは周囲を見渡す。その様子はまるで新しい玩具を貰った子供。その騒がしさに吸血鬼は顔を顰めた。


「こんな景色を見ただけではしゃぐとは。やはり、人間はどうしようもないほど愚かだな」

「何——」


 再び、ミズキと吸血鬼の視線がかち合う。

 しかし、今度は先程のような喧嘩にはならなかった。

 目をくわっと開き、ミズキは吸血鬼へと迫る。一瞬の出来事。戦闘衣バトルスーツの機能は失われているのに機敏な動きだった。


「それ、本当?」

「な、何がだ……」

「さっき、こんな景色って言ったでしょ。まるでこれが序の口みたいな口調だったじゃない。まさか、これ以上の面白くて可笑しな場所があるって言うの?」


 目を輝かせて吸血鬼に問いかけるミズキ。

 てっきりまた怒り出すとばかりに思っていた吸血鬼はミズキの変わりように戸惑っていた。


「ふ、ふん。お前に話す理由がない」

「えぇ~。良いじゃない。減るもんじゃないしさぁ。あ、血が欲しいの? なら、情報料としてサービスくらいはしてあげても良いよ?」

「いらん‼」

「そんなこと言わずにさぁ~」


 何とか吸血鬼から情報を引き出そうとするミズキ。だが、そんなミズキの変わりようを気持ち悪く感じたのか吸血鬼は頑として口を割らない。

 それでも摩訶不思議な世界の情報を得るためにミズキも諦めない。

 動けない代わりに吸血鬼は瞼を閉じるが、ミズキは無理やり指で瞼を開けてニッコリ微笑み、それに対し吸血鬼が怒りの声を上げる。

 そんなやり取りがしばらく続いた。


「……いつの間にか仲良くなったんだな」


 すると横から何処か呆れたような呟きがミズキの耳に届く。


「あ、北條」

「ッやっと戻ってきたか‼ さっさとこの餓鬼を儂から引き離せ‼」


 ミズキと吸血鬼が視線を向けるとそこにいたのは腕に果物を一杯に抱えた北條だ。


「……一応、資料で見た食べられそうな物を取ってきたから食事にしようかなと、思ってたんだけど」

「あ——」


 そこでようやくミズキは自分の置かれた状況を思い出す。

 摩訶不思議な世界を目にして高揚した気分が一気に冷め、現実へと引き戻されたミズキ。はしゃいだ姿を見られた影響もあってか耳は赤く染まっていた。

 それにを見ないふりをして北條は腰を下ろし、ミズキに座るように施す。

 ミズキも腰を下ろした所で、北條は果物を手渡す。


「それじゃあ食おう。話をしながらな」





 鮮血病院が存在する空間。

 それはメルキオールの眷属が作り出した特殊な空間だ。この世の何処でもなく、何処にでも通じることができる場所。名前を付けるのであれば次元の狭間と呼ぶべき場所。


 ここには、様々なものが漂っている。

 まるで宇宙を漂うように島が1つ浮いていたり、がらくた同然の機械があったり、子供が持っているような玩具だったりと本当に様々だ。

 これらは主にメルキオールが持ち込んだものだが、深い階層にある物以外は既に廃棄された物だ。

 捨てた物をどう使おうがメルキオールは看過しない。

 故に、メルキオールが捨てた物——特に大きな物には、彼の眷属達が住み着き、縄張りとしていた。鮮血病院もその内の1つだ。

 原則として彼等眷属達は、他の吸血鬼の眷属の領域に入ることはない。

 もし、破ればどうなるのか。誰もが理解していた。

 だが、その禁をやすやすと破る存在がこの空間には存在していた。


 秒速1000メートルを悠々と超える速度であらゆる場所を飛び回るその存在。吸血鬼にとってもその存在は目障りではあったが、誰も手を出せずにいた。

 何故なら、その存在はこの次元の狭間の主であるメルキオールが手ずから作り出した存在だったからだ。


「とっても、とっても楽しいデス‼」

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