第143話不愉快


 常夜街の第4区にある特区。ネオンの光で照らされるこの地域は第1区には劣るものの大きな高層ビルが立ち並ぶ。

 特区に入れない者達がそこに入ればその見慣れない建造物をずっと物珍しさに見上げることになるのは間違いない。

 そんなビルとビルの間には幾つもの隙間が存在する。その隙間を通っていくと辿り着くのは1つの空き地だ。

 小さな小屋が1つ建てられるぐらいの大きさしかない空き地。ここは、高層ビルが造られるにあたって出来てしまった僅かな隙間だった。


 そんな人目のつかない場所は近所の者達からはゴミの投棄場所として利用されている。尤も、その空き地は大量のゴミでこの場がごみの投棄場所に指定されている訳ではない。当然ながら不当投棄である。


 何処から持ってきたのか、古くなったテレビや机なども大量にあり、元々狭かった空き地を更に狭くしていた。

 そんなゴミの中に木製の扉が1つだけ存在した。建物に据え付けられてもおらず、ただ、フレームのみの状態。

 あちこちに傷や汚れが目立ち、鉄で出来たドアノブは腐食している。


 その扉が勢いよく開かれる。

 建物に据え付けられてもいない扉が開くことなどあるはずはないのだが、そんな現実と相反するかのように扉からは続々と人が出てくる。

 扉から出てきた人々は、周囲を見渡し、そこがどのような場所なのかを理解するとある者は涙を流し、ある者は汚いゴミの山を見て不満をたらし、ある者は歓喜の声を上げた。

 そんな者達を遠巻きにする男女が一組。その者達は最初に扉から出てきた人物——鴨田と金城だった。


「いや~無事に出れて良かったねぇ。そう思うだろ? 匿名希望君」

「……そうだな」


 笑顔で問いかける鴨田に対し、金城は無表情だった。


「どうしたんだい?」

「別に、何でもねぇよ」

「本当かい? あ、もしかして北條君達のことが心配なのかい? 同じ悩みを持つも者として聞いてあげようか?」

「ハ——俺がそんなに優しい奴に見えるのかよ」


 わざとらしい態度の鴨田に馬鹿馬鹿しいとばかりに金城が肩を竦める。

 そんな金城を試すかのようにニヤニヤとした表情で鴨田が詰め寄る。


「えぇ~。本当かなぁ。私は君のことは結構優しい奴だと思ってるんだけどなぁ」

「ふざけるんじゃねぇ」

「あいたッ」


 近寄ってきた鴨田の額に手を置いて突き放す。鴨田が涙目になって金城を可愛らしく睨みつけるが、そんなもの金城に通じる訳がなかった。


「心配だなんてよく言うぜ。売り払った癖によ」


 金城が鼻を鳴らして扉へと視線を向ける。

 釣られて、鴨田も視線を向けた。


「非難しているのかい?」

「んな訳ねぇだろうが。反対ならあの時に全部バラしてるよ」


 あの時——それは北條と合流した時のことだ。

 鴨田と金城は北條に噓をついていた。

 確かに2人はあの中庭へと赴いた。しかし、そこで起こったのは戦闘でも救助でもない。取引だ。

 北條とミズキが気を失っている間、2人は血濡れの男が吸血鬼に襲われる姿を見て、鮮血病院の中でも特異な立場にあると見抜き、襲われないために取引を持ち出したのだ。


 血濡れの男からすれば、その態度は可笑しなものに見えただろう。しかし、戦闘能力は兎も角、舌戦ならば圧倒的に鴨田に分があった。

 警戒はされてはいたものの、男の中にあった怒り、憎しみ、それが向けられている相手を見抜き、自分の都合の良い方に誘導した。


 北條がレジスタンスであることを説明し、体に組み込んでいた録音機で北條との会話を証拠として見せ、男が最も憎悪を向ける矢切、レジスタンスをこの病院から抜け出せば招き入れることに力を貸すことを約束。そして、吸血鬼にも行っていた裏切った際の対策——種子を体の中に入れる条件すらも承諾した。

 更に、自分自身の力を信じ込ませるために吸血鬼を裏切らせることを約束。その後のレジスタンスのことを更に聞き出すと嘘をつき北條を譲り受け、ミズキを代わりに差し出した。


「むしろ俺はお前の方を気にしてる。今頃、あの餓鬼はあの化け物に襲われてんだろう。お前、アイツ等と仲良くしてたのに何にも感じねぇのか?」


 導きもした。手助けもした。鴨田を尊敬していた様子もあった。少なくとも金城にはそう見えていた。そんな相手を裏切っても何も感じることはないのか。そう問いかける。


「——いや、別に」


 その問いかけに対し、鴨田はあっさりと答えた。その表情からは後悔は微塵も感じ取れない。


「私は万能の人間じゃない。手が伸ばせる範囲など決まっている。だから、範囲を限定するしかないんだ。そして、その範囲に入れる者達はもう決まっている」


 今回、鴨田には守るべき命があった。子会社と言えど、まだ部下ではなくとも、彼等はカモダの一員。責任を果たすために鴨田は奔走した。

 慰め、鼓舞し、前を向かせた。


「彼等2人を嫌っている訳じゃない。むしろ好ましいと思ってるよ。でも、彼等はレジスタンスとその関係者。吸血鬼側である私の敵だ。犠牲にするのなら、彼等だと私は最初から決めていたよ」


 北條を励ましたのはあくまで戦力を確保するためのこと。それ以外の目的などなく、感情移入もしていない。

 故に後悔もなく、罪悪感を感じることもない。


「まぁ、犠牲を無駄にせずに生きていこうとは思うけど……それくらいだよ」


 わざとらしく泣き崩れる鴨田。既に鴨田の中では2人の犠牲は確定していた。


「そうかよ」


 肩を竦めて金城もそれ以上は追及しなかった。

 血濡れの男の実力を一端とは言え、金城も見ている。

 戦いを生業にしているからこそ金城は鴨田よりも相手の実力を正確に見抜いていた。上級吸血鬼には及ばないものの、中級以上の実力があると見抜いたのだ。だからこそ、金城は取引には反対はしなかった。

 反対すれば、死しかなかった。それもただの死ぬだけではない。血濡れの男の気が済むまで苦しみぬき、地獄の中で死ぬことになっただろう。

 取引が成立したおかげで鴨田や金城、他の者達は血濡れの男の復讐の対象外となり、見逃された。

 だから、別に良いことなのだ。生き残った者達は犠牲に感謝して生きれば良い。


「さて、そろそろ私は帰ろうかな」

「帰る? あの血濡れの怪物との取引はどうした?」

「え、あぁ——そうだった」


 血濡れの男との取引をすっかりと忘れていたと鴨田は頭を搔く。


「いやでもなぁ。もうこっちは外に出てる訳だしぃ……うん。いいや、このまま帰るよ。帰る最中に出会ったら教えるぐらいはするけど」


 取引の履行。外に出る代わりにレジスタンスを中に誘き寄せることに力を貸すことを面倒臭そうにする鴨田。

 血濡れの男も馬鹿ではない。取引を守るように期限をしっかりと設けていた。

 現在、鴨田の体の中にある種子は取り込んでから3時間で成長するようになっている。それを取り除くことは出来ず、血濡れの男にしか止めることは出来ない。それなのに、鴨田は積極的に動くことを面倒くさがった。


「急がなきゃならねぇだろ。もう2時間もねぇ。死にてぇのか」

「フフッそんな下手な芝居はしなくて良いさ。気付いてるんだろう?」


 静かに忠告する金城だったが、鴨田は笑みを浮かべた。

 自分の体がどうなっているのか。吸血鬼と取引をした部屋で片手を掴んで確かめたのだから分かっているだろう。金城には鴨田がそう口にしているように感じた。


「それじゃ、失礼するよ。Goodbye‼ 匿名希望君♡」


 ひらひらと手を振りながら鴨田がネオンの光が迸る街中へと足を向ける。その後慌ててディアナが続き、更にその後に続くように他の者達も狭い空き地から出ていく。

 2人が取り残されていると全員が理解しながら、後ろを気にすることもなく。


「——チッ」


 最後の1人になった金城が不機嫌そうに舌を打つ。

 何故、不機嫌になったのか金城自身も分からなかった。頭を振るい、苛立ちを追い出そうとする。しかし、それが消えることはない。

 無意識に金城は頬を撫でた。

 そこは、甘い戯言を吐くヘルメット男に殴られた箇所だった。


 地獄の苦しみの中で死ぬ2人。まだ金城よりもだいぶ若い2人だ。

 ヘルメットの男ならば、あの甘い言葉を吐く男ならば、そんな2人を助けに行くのだろうか。そんなことを考える。


「いや、行くだろうな。あのクソは——」


 僅かな時間で答えは出た。

 戦いの最中に敵だった者達ですら助けようとしたのだ。迷わずに助けることは容易に想像出来た。

 忌々しい姿が浮かび上がり、扉に向かう姿が幻影となって金城の目に映る。見たくもない姿を見て金城は表情を顰め、視線を逸らす。


「…………」


 金城にとって救いとは苦しませる前に殺すことだ。

 だが、今回はその心情を曲げた。何故なら、2人は取引材料だから。2人を殺してしまえば、血濡れの男の矛先はどこに向かうかなど考えるまでもないことだったから。

 だが、その取引を鴨田はあっさりとこの場で覆した。ならば、その2人の犠牲はどうなるのか。


 空き地から去り、通りを歩く。だが、その足は重い。

 薄汚い恰好をしている金城に物珍しい視線が突き刺さっているせいではない。そんなこと金城は全く気にしていない。


 気にしているのは、先ほどの幻影。


 脳裏に過った世界一気に食わない男の迷いのない行動が——

 目の前の扉に飛び込んでいく姿が——

 それを後ろから見ている自分自身が——


 酷く、不愉快だった。

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