第142話保管機の中で
明るく冷たい空間で1人ルスヴンは呆れたような表情をしていた。
古代の芸術品と言われても通じそうな氷の玉座に座り、頬杖をつく。彼女の目の前には先程まで情報を搾り取っていた少女が氷の彫刻となっていた。
「はぁ~……自分達を滅ぼしたいのか、吸血鬼を滅ぼしたいのか。一体どっちなんだ人間」
少女から話を聞いてまず最初にルスヴンはそう思った。
制御できない力を使い、あまつさえ恨みを募らせ反逆されるとは愚かの極み。そうとしかルスヴンには言えなかった。
「処理をするならキッチリ処理をすれば良いものを」
処理が出来なかった矢切という研究者に向けて愚痴を吐く。
もし、その人物が上手く実験体を処理していたら。そしたらこんな目に遭うこともなかったのだ。まるで後始末を押し付けられたようで、ルスヴンの気分は急降下していた。
もう情報を集めようなども考えない。
北條が傍にいて助けてと口にするならばまだしも、ルスヴンは自分から動く気が全くなくなっていた。
足を放り出し、だらしのない格好で玉座に凭れ掛かる。先程まで女王然とした恰好をしていたのに、今はもう何処かのだらしないニートを思わせる格好になってしまった。
「うぁ~面倒じゃ。
北條が傍にいたら絶対にしないような態度を取るルスヴン。
そんなルスヴンに声が届く。
「随分とだらしのない態度だ。かつてのお前を知っている身としては信じられんよ」
この空間にいる者達は全てルスヴンの異能で凍り付いている。だからこそ、声が聞こえると言うのは可笑しな話。しかし、ルスヴンは驚くこともなく、落ち着いた様子で顔だけ動かし、声の主を捉えた。
「メルキオールか」
「肯定する」
そこにいたのは人の形をした靄だ。そこにいるのかも目を凝らさなければ分からない正体不明のそれに向けてルスヴンはその吸血鬼の名前を口にして見せる。
「前あった時と姿が違うな。それに随分と縮まったものだ。それともペナンガランの様にそれがお主の本体なのか? それとも新たな自分探しでもしておるのか?」
「否定する。この
「生真面目に答えおって。相変わらず冗談の通じぬ奴だなお主は」
一目見て状態を看破したルスヴンにとっては冗談のつもりだったが、メルキオールはそう受け取らなかった。
生真面目な返事が返って来て溜息をつく。
「驚かないのだな」
「そこの小娘から囚われていた場所が鮮血病院だと聞いた時にはお主がいずれは来ると思ったよ」
メルキオールの陰険さをルスヴンは知っていた。
吸血鬼の中でも異質で人間の科学技術に興味を持った吸血鬼。その性質は研究者とも言っても良かった。
ドンパチやるよりも静かな場所で資料と機械に囲まれているのを好む吸血鬼。だからこそ、眷属の作り出した空間に閉じ籠ると口にした時、ルスヴンはまだ籠ってなかったのか。等と思う程だった。
「それで、ここに閉じ込めたのはお主か? だとしたら、文句を言いたい所だが」
「否定する。この空間を作り出したのは人間だ。かつて魂という不確かなものまでも証明した人間が作ったものを我が再現したものだ。今お前がいる空間は魂の保管機と呼ばれていた所だ」
「ほう?」
人間がこんなものまで作っていたことを初めて知ったルスヴンは興味を示す。無言で続きを催促した。
「お前が人間から引き剥がされた原因はこの保管機にある。この空間に落ちて来る際、魂を留まらせるのに最も適した調整がされていたこの保管機に吸い寄せられたのだ」
「吸い寄せられる、か。そんな感覚は一切なかったのだがな」
「それもそうだろう。そもそも人間と吸血鬼は相容れぬもの。自我の目覚める前なら兎も角、混ざり合うなど有り得ない。反発して当然だ。ならば、より良い依り代として用意されていた場所に無意識に移るのは当然だ」
「ここに来たのは余の無意識下による行動だと?」
「そうだ。帰巣本能のようなものだな」
犬や鳥と同列に語られたルスヴンが眉を寄せる。だが、暴力までには至らない。
だらしなく座っていた態度を取り繕い、キッチリと玉座に座り直し、メルキオールに向き直ると不満そうに口を開いた。
「それにしては薄汚い同居人がいるようだが?」
「それは我の関与する所ではない。ここに来たのは無意識下とは言えお前の意思だ。それを我に言われても仕方がない。だが、予想するならば——」
「何だ?」
「彼方がより濁っていたから、嫌ったのだろうな」
視線を上に向けたメルキオール。
その言葉の意味をルスヴンは察する。そしてすぐに忘れた。北條とは違い、ルスヴンは誰でも助けようとは思っていないからだ。
「上に宿主もいるのか?」
「肯定——いや、否定する。今は落下中だ」
「? 詳しく話せ」
「鮮血病院内で戦闘を行っていたが、逃げるために鮮血病院から身を投げ出したようだ。今はより深い階層に向けて落下中。死ななければここに辿り着くやもしれんぞ」
「死ななければ——か。連れて来るとは言わないのだな」
世界から干渉することが出来ないこの場所を作り出したのはメルキオールの眷属。そして、眷属は主に絶対服従だ。ならば、ここはメルキオールの支配する国とも言って良い。
メルキオールならば北條をルスヴンの元まで簡単に案内出来るのも容易い。それなのに、傍観する口ぶりにルスヴンは嫌味をぶつける。
「お前が肩入れしている人間を殺す理由もないのと同じように、我がお前に味方をする理由がない」
だが、その嫌味もメルキオールはさらりと受け流す。
怒りを受けるのも躊躇わないのか、それとも気にしていないのか——メルキオールは続ける。
「言ったはずだ。我は戦いには興味がない。巻き込まれることなど御免だ。静かな場所で我は研究に没頭出来れば良い。これを邪魔するのであれば、お前も——お前の宿主とやらも排除させて貰う。例外はない」
「相変わらず陰険な奴だ」
「肯定する」
「…………皮肉なのだがな」
皮肉すら通じないメルキオールにルスヴンは苦虫を噛み潰したような表情をする。
やりづらい。そう思わずにはいられなかった。
「余の宿主を殺すのか」
「それは状況次第だ。我の残した娘が侵入者を見逃すとは思えぬ。それに、ここまで来て我に牙を剥くのであれば我が排除する」
その言葉を聞いてルスヴンは目を細くした。
「言っておくが、我の残した娘に命令を出すことは出来んぞ。アレの命令権を我は所持していない」
「……そうか」
言いたいことは色々あれど、ルスヴンは言っても無駄だと考えてそれを抑え込む。
深く、腹の中にあった熱を吐き出す。
「宿主が近くに来たら余をここから出して移せ。それぐらいは出来るだろう。そうしたら、余の力でここから上層へと昇る。お主の力も借りぬし、邪魔もせん」
「感謝しよう。その言葉を聞けて安心した」
「ふん。そのためにここまで来たのか」
「肯定する。お前が暴れられたら、我の研究そのものが頓挫する。それは避けたい」
邪魔をさせないことを確約させる。メルキオールの目的はそれだった。
満足する結果になったことにメルキオールは感謝を告げて早々に姿を消す。1人残されたルスヴンは上に視線を向ける。
案じるのは、ただ1人。
「余がいなくて大丈夫だろうか」
そこにあったのはいつもの女王としての表情ではない。息子を案じる様な母親としての表情だった。
ルスヴン自身が動くことは出来ない。これまでのように助言を授けることは出来ない。1人で大丈夫だろうか。そんな思いがルスヴンの胸の中を過る。
無茶はするな。例えそれが無理な願いであったとしても、ルスヴンはそう願わずにはいられなかった。
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