第140話打ち捨てられた者
「あいつが1つの部屋に暫く籠っていたようだが、そこにいるのではないか?」
吸血鬼の言葉を聞いた瞬間に北條は走り出していた。
後ろから制止する声が耳に届くが、足を止めることはない。腰にぶら下げている吸血鬼の首を掴み、叫ぶ。
「おい‼ さっき言ってた部屋って何処だ⁉」
「はぁ? 何故そんなことを儂が貴様に教えなければならないのだ。それよりもさっさとさっきの場所に戻れ」
「出来るか‼」
頑として戻るつもりのない北條は布を取っ払い生首状態の吸血鬼を睨み付ける。
「はぁ、さっきの通路の右へ行け。そこから暫く真っ直ぐ行って一番最初に目に入った扉を開けろ」
北條がどうあっても命令を聞く様子が無いと分かると吸血鬼は気に食わなさそうに溜息をつく。
鮮血病院内にあるすべての扉の空間を自由自在に繋げられる異能を持っていたのだ。何処の扉が開いたのかどうかぐらい簡単に把握できていた。そのため、居場所の把握は容易だった。
指——はないため、視線で右に映った通路を示す。
その言葉に北條は素直に従った。吸血鬼の言葉だとか。敵対していただとか。そんなことはもう頭にはなかった。
吸血鬼の案内によってミズキが囚われている部屋へと行きつく。
狭い、独房のような部屋。その壁を突き破る様に出た木の幹にミズキは囚われていた。
首や手足が締め上げられており、苦しそうな表情を浮かべるミズキを見て北條は慌てて駆け寄る。
少しでも早く解放しようと力任せに手足を縛る部分を引き千切ろうとする。だが、
「簡単には壊れんぞ。なんせあの男が異能で育てたものだからな」
「クソッ——なら」
吸血鬼の言葉に北條は悔しそうな表情を浮かべた後、拳を握って木の幹を殴りつけた。
鈍い音が部屋に響く。
引き千切ることが無理ならば、引き千切ることが出来るまで弱くするまで——。力一杯、全力でミズキの手足や首を拘束する根元を何度も殴りつける。
北條の拳が痛みを覚えた頃、耐久力を減らした木の幹が軋みを上げる。そして、引き千切るために力を加えると今度こそミズキが解放される。
僅かに動く表情。上下する胸を見て北條は胸を撫で下ろした。
「良かった。生きてる」
血濡れの男に連れていかれたと知った時は、もう駄目ではないかと思ってしまった。
初めて血濡れの男と相対した時にぶつけられた怒り、憎しみ、殺意。それは今思い出しても身震いするものだ。北條が逃げたことでそれをぶつける相手はミズキだけとなった。もし、それがミズキに向けられていたら。死ぬことすら許されずに苦しまされていたら。
ここに来るまで北條はずっとそんなことを考えていた。
だからこそ、腕の中でミズキが大した傷もなく息をしているという事実に酷く安心していた。
「満足したか。なら、さっさと戻れ」
「——そう、だな。分かった」
吸血鬼の言葉に北條は今更ながら自分が勝手な行動をしていたことを自覚する。急いで戻らなければと、ミズキを抱き抱える。
連れ去られた人は全員無事だった。ミズキも助け出すことが出来た。血濡れの男は下級吸血鬼で足止めされている。
脱出するのならば今ほどの好機はない。
急ぎ、北條は鴨田の元へと戻る。
急に飛び出したとは言え、それほど離れてはいない距離。元の場所に戻るのに数分も掛からなかった。
だが、戻ってきたは良いものの、そこに鴨田達の姿はなかった。
不思議に思い、辺りを見渡すと1つの伝言が壁に書かれていた。
——先に行く。後で来てくれ。ゴメンね♡
短く纏められた伝言。勝手に飛び出して行った北條からすれば置いていかれて当然だ。しかし、気になることが1つあった。
描かれていた文字は血で書かれていたのだ。血文字で書かれた文字など不吉過ぎるもの。その血が誰のものなのかを心配してしまう。
だが、辺りを見渡せばすぐに答えは見つかった。
入口に並んでいた下級吸血鬼の足元に大量の血が流れている。それを使ったのは一目瞭然だった。
鴨田達の移動先も分かり、北條は再び移動を開始する。
もう邪魔する存在はいない。下級吸血鬼も病院内をうろつくこともなくなっており、静かなものだった。
鴨田達も大人数で移動しているため、直ぐに追いつくはずだった。
だが、再び北條の目の前に障壁が立ち塞がる。
「これは——ッ」
目の前にあったのは通路目一杯に広がる蔓の壁。
それを見た瞬間。北條は嫌な予感を覚えた。
「よう。何処に行くんだ? クソ野郎共」
今最も聞きたくない存在の声が北條の耳に届く。その声を聞いて吸血鬼も声を荒げる。
「おい‼ 嘘だろう⁉ 追いつかれたのか‼ クソ、クソクソクソクソ‼ やはり貴様等に協力するのではなかった‼」
「ククッ随分と都合の良いことを口にするなぁ。吸血鬼ィ」
「ま、待ってくれ。儂は騙されたんだ‼ 脅されたんだ‼ 貴様を裏切るつもりなど毛頭ない‼」
凡そ吸血鬼らしからぬ怯えを見せる吸血鬼。そこに威厳などは全くなかった。ただ、恐怖に怯える老人がいた。
「ッ——」
「何だ? 逃げないのか?」
「…………逃げられるのか?」
「んな訳ないだろうが」
「だよなぁ」
ピリピリと炎が近くにあるような肌が焼けるような感覚が北條を襲う。
それの発信源は他でもない。血濡れの男だ。目の前に現れてからというもの、この男は北條に向けて——いや、ミズキと吸血鬼にもずっと憎悪と怒りをぶつけ続けている。
「場所を変えないか?」
ミズキを地面に降ろし、問いかける。
血濡れの男の視線が地面に横たわらせたミズキへと移った。
「その女だけでも見過ごせってか? 許す訳ないだろうが、お前等レジスタンスは1人残らず殺すと決めている。吸血鬼、お前もタダじゃ済まさねぇぞ」
「わ、儂は騙されただけ——」
「黙れ。それ以上臭い口を開くんじゃねぇよ。少しでも待遇を良くしたいのなら黙っておきな」
往生際悪く許しを乞おうとする吸血鬼を血濡れの男は一蹴する。それっきり吸血鬼は口を開くことはなかった。
「そいつは、レジスタンスじゃない」
「へぇ? 何でだ?」
「俺がレジスタンスだから分かるんだよ。組織にこんな少女はいない」
血濡れの男の意識をミズキから逸らすために北條は自分を指差してレジスタンスだと明言する。
「それを証明するものはあるか?」
「…………」
「ないよなぁ? つまり、そういうことだ」
しかし、上手くはいかない。
むしろ、血濡れの男は怒りを更に大きくした。
「お前等には罪がある。救世主だの何だのと言っておきながら、使えないと分かればあっさりと捨てる屑を生み出した罪が——」
瞳にあったのは炎だ。消えない憎悪の炎。激しく燃え上がり、視界に映るもの全てを燃えつくさんとする炎があった。
空気が張り詰める。
北條の体が警告を鳴らす。これまでの吸血鬼と対峙してきた経験が、ここから逃げろと訴えかけてくる。
「どうせお前達もそんなんじゃないのか。俺を、俺達を笑いながらゴミの様に捨てるんだろ?」
「俺達はそんな組織じゃ」
「黙れよ。お前等が口を開く度に
ドンッ‼と衝撃が走る。
地面が割れ、何かが浮上してくる。罅割れた箇所から見えたのは、人の顔だった。
「なぁ、そうだろ。同胞——」
血濡れの男の怒りに呼応するように出現したのは地下で北條達を追い詰めた赤黒いスライムだ。
「またスライムかよッ」
「スライム? 勝手に変な名前を付けるんじゃねぇ。コイツ等はそんな名前じゃねぇよ」
怒りの表情を張り付け、男は北條を睨み付ける。
「さぁ、やろうぜ。コイツを使ってレジスタンスの連中を誘き寄せる。そしたら、俺達の復讐もようやく叶う」
血濡れの男が腕を広げる。そして、許可を出した。
「暴れて良いぜ」
その言葉と同時に球体になっていた赤黒いスライムの形が崩れた。ドロリ、と泥のような状態になり、覆い被さる様に襲い掛かる。
同時に血濡れの男も地面を蹴った。
血濡れの男と赤黒いスライム。最悪の組み合わせが北條を狙った。
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