第139話一抹の不安
「いやぁ、取引が上手く行って良かったよ」
吸血鬼との取引が終わった後、十分な距離を取ってから鴨田は額を拭う仕草を見せる。肉体改造者であるため汗は流れないのだが、気分の問題——というのが鴨田の談だ。
「本当に上手く行ったのか?」
その後ろでは金城が厳しい表情を見せる。
「おや? 一体どうしたんだい?」
「どうしたって……そんなの決まってる。聞こえてたぜ。急に取引を切り上げたり、聞いていた内容と全く違うことを口にしただろうが」
「聞こえていたんだね。ちゃんと見張りはしたのかい?」
「舐めてんじゃねぇ。それぐらいキッチリ出来る」
吸血鬼と取引の内容。それは北條も金城も予め聞いていた。しかし、いざ始まるとなると鴨田はその内容を何時まで経っても口にせず、仕舞には取引を切り上げようとしていた。
聞かされていた内容とは全く違う行動に金城は驚いていた。
「いやいや、悪かったね。でも、吸血鬼の様子がかなり予想と違ってね。あれでは私の体でも無理だと判断して急遽変更したんだよ」
そう口にしながら大きな胸を強調させる鴨田。
北條ならば思わず胸元に視線が行きそうになり、咄嗟に視線を逸らすだろうが、金城は鼻を軽く鳴らすだけだった。
吸血鬼にとって人間は歩く血袋。栄養の塊。傷を治すのにも、力を付けるのにも必要な食事だ。
吸血鬼という種族のプライドの高さ、傲慢さから負けたままでは終わらないと考えた鴨田は自分自身が餌になることを考えた。
女性でさえ目を惹きつける美しさを持ち、
「確かに……あの野郎は何かもう終わってるって感じだったからな」
そうなるはずだったのに、吸血鬼の態度で全てが覆った。
取り繕わない態度。戦いなど避ければ良い。貴様等も——等、会話の所々に現れる諦めの言葉。そして、何より殺すと言われても否定しなかったこと。
あそこまで心が折れているなど誰にも予想が付かなかったことだ。
「そ。だから、勝手に変えさせて貰ったんだ。まぁ、私としては体を要求してくれても良かったんだけどねぇ」
「——あの時言ってた秘策って奴か」
鴨田が自分自身を差し出そうとした訳。それは当然ながら美しき自己犠牲などではない。ちゃんとした勝算があったからだった。
それでも、その勝算までは聞かされていない。目を細めて尋ねてくる金城に鴨田も薄く笑って答えた。
「残念だが、教えられないなぁ」
「ふん。あの餓鬼には話したのか?」
「お、もしかして嫉妬? 嫉妬かい?」
「んな訳ねぇだろ。馬鹿にすんじゃねぇぞ」
金城は鴨田の片手を握り、体を手繰り寄せてギロリと睨み付ける。
間近で睨み付けられた鴨田は怯えることなく金城に抗議の声を上げた。
「Hey、ちょっと待とうぜ。か弱い女の子にこれはないんじゃないか?」
「その気になればこの状態でも俺を殺せる癖に何言ってやがる。それに女の子って歳でもねぇだろ」
「HA☆HA☆HA☆‼ カッチーン。頭にきちゃったぞー。私これでも12歳の女の子なんだぜ?」
金城が挑発し、それを軽く鴨田が受け流す。
一頻り笑った後、鴨田は一転して目を細くさせて妖艶な笑みを浮かべて口を開いた。
「安心したまえ。君を騙す時間なんてなかったはずさ。それはずっと一緒にいた君の方が分かっているだろ?」
「…………」
その言葉を聞いてから、暫くは金城は鴨田を睨み付けていたが納得したのか手を離す。
鴨田もニッコリと何時もの笑顔を張り付けて何事も無かったかのように背中を向けた。
その背中を金城の視線が追う。
「(——脈が無かったな)」
嘘か真実かを図るために取っていた手首。そこに脈を感じなかったことに怪しさを覚えながらも金城も背中を向ける。
身分は証明されているのに得体の知れなさが滲み出ていた。金城の脳裏に中庭に突撃した時の出来事が再生される。
「——ふん」
意識を切り替える。
今、生き延びるためには集団に紛れた方が良いのは確実。それでいて鴨田を地上に送ることが出来たのならば報酬が貰えるのだ。
重装戦闘衣を失ってしまい、地獄壺跡地で依頼に失敗した金城には金が必要だった。
だからこそ、この依頼だけは失敗する訳にはいかない。例え依頼人が、血の通っていない存在だったとしても——。
仕事をやり終えた北條とそれを迎える金城のやり取りが耳に入り、視線を後ろに移す。そこには、吸血鬼の首を手に持った北條の姿があった。
北條と鴨田は何もない通路を全速力で走る。
北條の腰には1枚の布切れに包まれてぶら下がる吸血鬼の首がある。
死んでいるのではない。勿論生きている。これは吸血鬼が裏切らない様に近くで見張るための予防策である。
それと同時に吸血鬼の身の安全を確保する意味もあった。
交渉の最中。吸血鬼の体には種子が埋められ、裏切りが発覚した瞬間にその種子が成長すると吸血鬼自身から鴨田が聞いたためである。
故に、不死身である特性を利用し首を切り落とし、持ち運ぶことを提案したのだ。
「もっと丁寧に走れんのか。人間」
「この野郎ッ」
「北條君」
「分かってるッ」
吸血鬼の口から出た文句に苛立ちを感じ、思わず言い返しそうになる北條。だが、鴨田に諭され、口に出かけた文句を呑み込む。
吸血鬼を打倒するレジスタンスが吸血鬼を運んでいる。あまつさえ運び方に文句を言われたのだ。これが人間に親身になってくれる吸血鬼ならば兎も角、殺意を持つ敵でしかない。北條の心中は複雑だった。
そもそもの話。何故北條が吸血鬼の首を運ぶことになったのか。
それは鴨田と金城が吸血鬼を運ぶことに難色を示したからである。
『え、乙女に生首を運ばせるの?』
『俺にはやることがある。テメェがやれ』
そんな言葉と心底嫌そうな表情を向けられたのだ。
北條も吸血鬼の首を運ぶことは嫌だったものの、吸血鬼の首を切り落としたのは北條であり、最初に首を持っていたこともあって、ずっと持ち続ける羽目になってしまった。
2人が拒否をし続けたから、嫌だから——という理由で取引相手になった吸血鬼の首を置いておく訳にはいかない。そんなことをすればせっかく結んだ取引が水の泡になってしまう。
そう考えたからこそ、北條は吸血鬼の首を持ち運ぶ決意をしたのだ。
「おい、揺れが酷くなったぞ。大人しく走れ」
「(全力でやってるよッ。悪いけどこれ以上は無理だ‼ 難しいんだぞ。大人しく走るって‼——って言えたらなぁッ)……分かったよ」
「もう少しの辛抱だ。頑張り給え‼」
「ちょっと黙っててくれないかなホントにッ」
文句を言いつつも北條は足を動かす。
「それよりも、約束は守ってくれたのかい?」
一頻り笑った鴨田が、走りながら吸血鬼に向けて尋ねる。
部屋から連れ出す際、鴨田は吸血鬼に2つの要求をした。
裏切った等は口では何とでも言える。だからこそ、目に見える証を鴨田は求めた。
1つ目は、捕らわれた者達を見張っている下級吸血鬼を除き、全ての下級吸血鬼に血濡れの男を襲わせること。
2つ目は、出口を用意することだ。
「当たり前だ。儂が命令したのだからな。今頃はあの血塗れの男の元へと向かって見つけ次第襲っているさ」
「下級吸血鬼にそんな感知能力があったとはね。驚きだ」
「奴等に感知能力なんぞあるものか。儂が教えたんだ。最も、この首の状態になってしまったおかげでその感知能力も消えたがな。それにこの状態では異能も使えん。扉に仕組んである異能は消えんが、血濡れの男が近づいてきたらどうしようもない。その時は貴様等がどうにかしろよ」
「そうか。では、出口の方は?」
「そちらも用意しておるわ。確認したらどうだ?」
この場に金城がいない理由。
例え視界を塞がれていても吸血鬼は気付いていた。
鴨田が肩を竦める。
「それじゃ、後で確認させて貰うよ。もう少しで目的地に着くからね」
曲がり角を曲がった時、見えたのは部屋の前に陣取った下級吸血鬼の群れだ。
下級吸血鬼の視界にも北條達は映っているが、襲ってくる様子はない。それどころか、北條達が近づいてくると道を譲る様子まで見せる。
まるで、部下が上官に対して取る行動に戸惑いながらも北條は吸血鬼の群れを抜け、部屋の中へと入る。
部屋の中にいたのは、巨大な筒状の機械の前に跪いた人々だ。
彼等は吸血鬼の群れをあっさりと抜けて来た北條達が信じられないのか。目が合っても暫くは放心していたが、やがて安堵の声を上げる。
「か、鴨田さんだ‼」
「助かったのか。助けに来てくれたのか‼」
「良かった。僕は信じていましたよッ」
既に彼等の視線からは吸血鬼の姿はなかった。
喚声が部屋に響き渡り、歓喜の表情を全員が浮かべる。
「明日香さん‼」
それぞれが鴨田へと称賛を向ける中、鴨田の名前を呼んでディアナが飛び出してくる。鴨田もディアナの姿を確認すると胸を撫で下ろして駆け寄って来るディアナを抱きしめた。
誰もが頬を緩め、安心しきった表情を浮かべる中——北條だけは笑顔を浮かべることはなかった。
「ミズキは何処だ?」
一抹の不安が北條の心に過る。
その不安を煽る様に吸血鬼が口を開いた。
「あいつが1つの部屋に暫く籠っていたようだが、そこにいるのではないか?」
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