第141話落下
血濡れの男と波打つスライムの猛攻を北條は必死になって捌き続ける。
触手を避け、血濡れの男の拳から逃げる。
「ハハハハハ‼ 逃げろ逃げろ。ほぉら‼」
「グッ——」
血濡れの男の拳が頬に突き刺さり、硬い地面に投げ出される。
それだけでは終わらない。地面に転がった北條に覆い被さる影があった。
「くそッ‼」
ズキズキと痛む体を無視して四肢に力を入れて飛び、通路にあったロッカーに頭から突っ込む。直後、北條がいた場所に赤黒いスライムが落ちて来た。
「休むな休むなぁ‼ 今のお前は狩られる立場なんだからよぉ‼」
休む暇もなく再び血濡れの男が襲い掛かって来る。
北條は突っ込んだ影響で壊れたロッカーの扉を数枚重ねて盾にする。
「薄い盾だな‼」
蹴りが盾にしたロッカーの扉を叩き潰し、北條の顔面を捉える。
「(——鼻、潰れたな。これ)」
強力な蹴りを叩き込まれ、吹き飛ばされながらも北條はそんなことを考える。
顔に手をやれば、案の定、掌には大量の血がこびり付いていた。
「不細工な面になったじゃないか」
にやにやと血濡れの男は北條を笑う。
その様子から鼻も変な形になっているのだろうと北條は想像した。
呼吸を整えようとするも、鼻が曲がっているせいで上手く行かない。苦しそうに表情を歪める北條を見て血濡れの男は増々嬉しそうに頬を緩めた。
「震えろ。怯えろ。叫べ。泣け。苦しめ。それだけが俺達の傷を癒す薬になる」
「——ッ。そいつも矢切に姿を変えられた人間なのか?」
度々映る人の顔。そして、男の台詞から北條は予想して問いかける。血濡れの男はその問いに答えず、鼻を鳴らして再び球体になったスライムの表面を撫でた。
取り込まれたりしないのか。そんなことを北條は思うが、スライムが男を取り込む様子などはない。むしろ、その撫でる様な手つきに甘えるように体を震わせる。
「意思が、あるのか?」
「当たり前だろう。怪物に成り果てているとでも思っていたのか?」
スライムの表面を撫でながら口を開く。
その表情は北條達に向ける時とは違い、慈愛に満ちていた。
「こうしている時だけ、思いが伝わってくる。寂しい。苦しい。怖い。あの時のようにコイツ等はずっと叫んでいる」
「解放出来ないのか……」
「出来たらさっさとやっている‼ 何も出来ないからこうなってるんだ。贄をやってコイツ等を延命させる。それしか俺には出来ないんだよ‼」
北條の言葉に血濡れの男は悔しそうに歯を食いしばる。
「この病院内に碌な設備何てない。だから外にだって行こうとした。だけど、どの街にも入ることは出来なかった。街を牛耳る吸血鬼がずっと俺達を拒み続けたからだ‼ お前が住んでいた街でもな‼ お前に分かるか? 誰にも手を差し伸べられず、拒絶され続ける苦しみが‼」
「——ッなら、俺が助ける‼ お前達は中級吸血鬼を傘下出来る程強いんだろ。レジスタンスは何時だって戦力不足なんだ。ここで矢切にされたことも話せばきっとレジスタンスも分かるはずだ。そしたら、お前等の治療だって‼」
「ハ——馬鹿馬鹿しいな。俺がお前達を信用する訳がないだろう」
北條の説得を血濡れの男は一蹴する。彼にとってレジスタンスは自分達を貶めた矢切が所属していた組織。受け入れられるはずがなかった。
あんな男でも所属できたのなら——。
あんな男に知恵を与えたのなら——。
そう考えているのだ。
「もう前みたいには戻れない。何処に言っても爪弾きにされる。なら、やることは決まってるだろ。あの男を殺す。同じ組織にいる奴も同じだ」
「矢切はレジスタンスを追放されてる‼ 矢切がやったことはレジスタンスでは許されていないんだ‼」
「だから何だよ。俺達の怒りがそれで収まる訳がねぇだろッ‼」
血濡れの男が腕を伸ばす。
腕に埋め込まれた種子が異能によって成長し、北條を貫かんと迫る。それと同時に赤黒いスライムも触手を伸ばした。
蛇のようにグネグネと不規則に動き。咄嗟に北條は体を捩って回避した。その勢いのまま跳躍し、血濡れの男の異能によって成長した植物を蹴り飛ばす。
「知っているか。俺達があの男に一体何をされたのか⁉」
壁や天井を蹴って三次元移動を繰り返す北條に向けて男は叫ぶ。まるで罪人に罪を認めさせるかのように。
「裕福じゃなかった。それでも家族はいた。苦しかったけど、それでも笑顔はあったんだ。なのに1つ残らずあの男に奪われて、こんな所に連れて来られた‼」
迫ってきた触手をロッカーの扉で防ぐ。しかし、意識を逸らした瞬間に北條の脇腹が血濡れの男によって抉られる。
「ここに来た時に最初何を言われたと思う⁉ 『喜べ。これも人類のためだ。吸血鬼に対抗する武器を完成するためだ』そんなことをあの男は口にした‼ それから地獄が始まった。吸血鬼の細胞を埋め込まれ、何日も苦しんだ‼ 俺の娘もだ‼ 血を流しながら苦しむあの
地面に転がった北條に血濡れの男が迫り、拳を繰り出す。再び地面に倒れ込む北條を血濡れの男は何度も蹴りつける。
容赦のない。しかし、手加減された威力。最初からそうだった。血濡れの男は北條を殺さない様にしていた。
もし、血濡れの男が全力だったのなら最初に頬を殴られた時に北條の首から上は吹き飛んでいただろう。
全てはレジスタンスである北條一馬を苦しむために、血濡れの男は手加減をしていた。
「俺は覚悟したよ。嫌だったけど立ち上がったよ。俺が実験全てを引き受けると言った‼ もう1人の娘もいた。妻もいた。2人の犠牲何て見たくなかったからなぁ‼ でも、適合しちまった。そんな俺を見て、あの男は何て言ったと思う? 『よし、次は別の手段を考えてみよう』——だ。成功したとしても俺はあいつにとって成功例の1つに過ぎなかった。武器が完成しても俺達を解放する気なんてあの男には微塵もなかった‼」
大きく蹴り飛ばされる。
まるで子供がサッカーボールを蹴り飛ばすようだった。天井や壁をバウンドして転がり続け、北條はどちらが上下なのか分からなくなる。
「だから暴れた。あのクソ野郎を殺そうとした。でも出来なかった‼ そしたら今度は俺達を排除するために動き出した‼」
血濡れの男の言葉は、北條には朧気にしか届いていない。それでも血濡れの男は構わなかった。
「部屋を酸のプールで満たされた。それで隣の奴がドロドロになっていくのを見た‼ 今でもあの時の悲鳴がこびり付いてる‼ 何より最悪なのは——俺が死ななかったってことだ‼」
血濡れの男が当時のことを思い出し、怒りを更に大きくする。
その怒りが全て北條に叩き込れる。拳、蹴り、異能。ありとあらゆる攻撃手段で北條を痛めつけていく。
「一緒にいて欲しかった家族はいない。見たかった景色はもう見られない‼ それもこれも全てはお前達がいるせいだ‼ お前達があの男を生み出したんだ‼」
フラフラになり、それでも尚立ち上がる北條を血濡れの男は異能で成長させた植物でぶん殴った。
1つ1つは小さくとも纏まったそれは巨人の腕にも見間違えるほどの大きさがあった。
真正面から北條はそれを受け、壁に叩き付けられる。衝撃で窓が割れ、ガラスが通路に飛び散った。
「おっと。やり過ぎたな。外に放り出す所だった。
軽い様子で血濡れの男は北條へと迫る。辛うじて意識を保つのがやっとな北條は血濡れの男を視界に入れる事しか出来ない。
「まだ死ぬなよ。この後は皮膚を剥がされる苦しみを分からせてやる。レジスタンスの情報も引き出さないといけないし、同胞の腹も満たして貰わなきゃいけない。あぁ、後は囮の役もやって貰わなきゃな。次のレジスタンスを誘き出すために……やることはいっぱいあるぞ」
心底嬉しそうに血濡れの男は笑う。赤黒いスライムとなった共犯者達も同意とばかりに体を震わせた。
「——本当に、
「あ?」
それらを前に北條はか細く声を上げる。
「あぁ? 何だ。俺達が怒るのが可笑しいとでも言うのか。そんな権利はないとでも言うのか?」
「違うッ。そうじゃないッ」
血を吐きながらも北條は反論する。
男の境遇を聞いて、敵視するなど北條には出来ない。どれだけ殴られても、怒りをぶつけられても、怨みなどで出てくることはない。
「別の道があったんじゃないのかって言ってるんだよッ」
北條が口にしたのは、男の行動についてだ。
街には出ることは出来ないと、男は口にした。街を牛耳る吸血鬼のせいで街に入れなかったと。では、その他はどうなのか?
「吸血鬼がいない所にも行けたはずだ。レジスタンスとは無関係な場所に行けたはずだ。それなのに、何でまた危ない橋を渡ろうとするッ‼」
矢切のボイスレコーダーでは街以外にも出られることは確認出来ている。ならば、男にもその手段があったはずなのだ。
鮮血病院の主であった吸血鬼を下した男であれば簡単に出口を作れたはず。吸血鬼やレジスタンスに関わらずに生きることが出来たはず。それなのに、男はそれをしなかった。
わざわざ街に戻り、レジスタンスの隊員を探して殺し続けるという危険な行為をしている。
「何処かに、安全な場所で仲間と過ごす。そんな手段は取れなかったのか⁉」
レジスタンスだってやられたらやり返さない訳ではない。
そうなれば、中級吸血鬼を圧倒する実力を持つこの男もただでは済まない。それを危惧して北條は叫んだ。
復讐しても、更に酷い結末が待っている。今ここで末端である隊員を殺しても一時の満足を得るだけ。逃げるべきではなかったのか。そう問いかける。
「そんなことして何になる」
だが、男はそんなものに意味はないと切り捨てる。
「俺達は後のこと何て考えてねぇ。どれだけお前等を苦しめることが出来るか。それしかない」
あったものは全て奪われた。残っているものは怒りのみ。そんなものだけ持って、逃げたとして何の意味があるのか。
血濡れの男は嗤う。嗤いながら怒る。
腕が伸び、北條の頬へと添えられる。
体が真面に動かない北條では抵抗することも出来なかった。
「——だから、もう虫唾が奔ることを口にするんじゃねぇ」
血濡れの男の指が北條の皮膚に突き刺さる————その直前、花柄の可愛らしいバッグが男の頭上に放り投げられた。
「————」
それはミズキが薬を詰め込むために利用したバッグだった。
そのバッグが視界に入る意味を理解し、北條は目を見開く。
北條は意識を失い、身動きの取れないミズキから遠ざけるように戦っていた。人質に取られない様に、危険な目に遭わない様に。
それなのに、ミズキは北條を助けに来た。こんな危険な場所に——。
可愛らしい花柄のバッグの中から火花が上がり、炸裂する。
中に入っていたのは硝子にパイプ、瓦礫などだった。即席の炸裂爆弾が血濡れの男に襲い掛かり、硝子やパイプが体に突き刺さる。
血濡れの男が怯んだ瞬間。物陰からミズキが飛び出し、北條を抱えて逃げる。
「逃がすかぁあ‼」
だが、簡単に逃げられるのならば苦労はない。体に硝子やパイプが突き刺さろうとも異能を発動させるのに何の問題はなかった。
植物の鞭が2人に襲い掛かる。
「な——」
薙ぎ払いの一撃は2人を鮮血病院の外へと押し出す。
それは血濡れの男も意識していなかったことだった。
可笑しな空間へと2人は落ち、血濡れの男の怒りの叫びが、病院に響き渡った。
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